懺悔
「ヘレナ妃殿下ご夫妻がご到着なさったそうです」
「……は?」
フレヤはまぬけな声を出した。
あるうららかな日のことだった。
執事が言ったことを瞬時には理解できなかった。
「どういうこと……?
何故予告もなく……」
「イルグ国王陛下にお見舞い申し上げるとのこと。
形式的なものは避けたいとのことで」
お忍びでやってきたということか。
フレヤは座っていた椅子から立ち上がって、部屋を出る。
そのうしろをチノが影のように付き従う。
「出迎えましょう」
「かしこまりました」
ふわりと青い髪が揺れた。
「突然の訪問した非礼をわびます、フレヤ様」
静かに頭を下げ寄り添う二人を眺めた。
フレヤは顔に表情が出るのを必死に抑えなければならなかった。
「父上の見舞いにいらしたのですか?」
「無駄を省きたかったので、お知らせは遅れてしまいました。
非礼を詫びます」
「……いえ」
ステファンは、綺麗に一礼して見せた。
フレヤはそれを表情を崩さないようにしながら見るので精いっぱいだった。
ステファンはこんな人だっただろうか。
こんな効率を優先するような理知的な人だっただろうか。
ステファンのことを何も知らなかったことを、思い知らされる。
私は、彼の何だったのだろうか。
ただの形だけの婚約者。
それの事実がじわじわと心を蝕む。
「まずは旅の疲れを癒してから、父上と面会なさいませ」
フレヤは、くるりと背を向けて、歩き出した。
その隣で同じようにきれいに一礼する妹を直視できなかった。
フレヤはステファンとヘレナの三人で父王の病室を訪れていた。
父の顔は一見顔色がよくなっているように見えるが実際は違う。
フレヤの歌の力で確実に体を蝕まれているはずだ。
「お父様……」
ヘレナが力なく父の手を握りしめているのを見て、
フレヤはそっと視線をそらした。
鈍く胸が痛む。
必死に自分に言い聞かせる。
こうしなければいけない。
民を守るためには犠牲が必要なのだ。
父が一向に目を覚まさないのを確認すると
ヘレナがゆっくりと立ち上がった。
三人で連れ立って、部屋を出ていく。
衛兵が敬礼をするのを横目で見ながら父の部屋を離れる。
「お姉さま」
廊下の角を曲がったところで、ヘレナが口を開いた。
ひどく緊迫した表情だった。
「お話があります。
人払いをした部屋を用意していただけますか」
その表情が、一瞬メノウと重なって見えて消えた。
フレヤはヘレナから視線を外した。
そして執事に向かって口を開いた。
ヘレナはオレンジとピンクのまじりあった花のようなドレスを身にまとっていた。
それが、ちょうど花開く乙女であるヘレナの魅力を最大限に引き立てていた。
首元で輝くトパーズのネックレスはステファンから贈られたものだろうか。
ヘレナの大きな青い目がゆっくりとまたたく。
その仕草が、メノウとひどく似ていて、フレヤは目を細めた。
ヘレナを見ているとひどく心を乱される。
誰もいない部屋に、ヘレナと二人きり。
姉妹はなかなか口を開かなかった。
「お姉さま」
先に口を開いたのは、ヘレナだった。
その表情は決意に満ちたものだった。
ぎゅっと手を膝の上で握りしめているのが見える。
「私を、恨んでおいでですか」
しぼりだされた言葉に、表情を変えないことで必死だった。
今更どの口がそんなことを言うのだ。
恨まないはずがない。
そして、羨まないはずがない。
ステファンに選ばれた彼女にとって代われたらどれほどいいだろうと
何度思ったことか。
どれほど惨めな思いをしたことか。
ステファンとヘレナの婚礼式で、
見なさい、あれが婚約者に捨てられた姫君よ、お可哀そうに、と
哀れみの視線を向けられても耐え続けなければならなかったのだ。
フレヤは、感情を抑え込むためにひどく平坦な声を出した。
「それで」
びくり、とヘレナの肩が揺れた。
華奢な肩だ。
だが、丸みを帯びた女の肩になってきている。
ソファに向かい合って座っているヘレナは、
妹である前に、女なのだとふと思った。
「あなたは、何が言いたいのかしら。
回りくどいのは嫌いなの。
私に懺悔でもしに来たの?
謝罪なんかしても、ステファン様は私のもとには戻らないわ」
ヘレナの顔がゆがんだ。
胸が痛んだ。
陰口をたたかれたのはフレヤだけでない。
結婚式の日に、ほらみろ、あれが姉の婚約者を奪った
あさましい姫君だと、ヘレナも陰口をたたかれていた。
彼女はこれから一生姉の婚約者を奪った姫君として
後ろ指をさされることになるだろう。
「……冗談よ。
そんな顔しないで」
「私は何でもいい……なんでもいいからお姉さまと話をしなければと思ったのです」
馬鹿な妹だ。
話をしても何の解決にもならない。
それはただ、お互いの傷をえぐるだけだというのに。
昔からどこか抜けている娘だった。
それでいて愛らしいから、無駄に知恵のあるフレヤよりも
ヘレナのほうが殿方に人気があった。
「……認めましょう」
この言葉を発するだけで、まだ癒えていない心の傷から
血が滴るのを感じた。
ざりっとした嫌な感情が胸をめぐるのを無視する。
「え……?」
「あなたとステファン様の関係を認めましょう」
ヘレナが不思議そうな顔で瞬きをした。
彼女のせっかくのドレスは、握りしめすぎてしわになっていた。
それだけ、彼女が緊張していたのだと悟る。
「何故、そんなに驚いているの」
「死んでも許さないと言われてもおかしくないと覚悟していましたから……」
ゆっくりとヘレナの顔が驚きから沈んだ表情に変わる。
せっかく、関係を認めるといったのに、嬉しくなさそうな表情だ。
「不満げね。
私に罵詈雑言でも吐いてほしかったのかしら」
「はい」
今度はフレヤが驚く番だった。
ヘレナは恨めし気に、悲しげにこちらを見ている。
「おねえさまはいつも私に心を開いてはくださらない」
「そんなことはないわ」
すぐに否定したが、ヘレナはその言葉を否定するように
強く首を振った。
ふわふわとした金髪が華奢な肩から零れ落ちる。
「もし私がおねえさまだったら、私という存在を絶対に許せない。
お姉さまも本当はそうなのでしょう……!!」
心の柔らかいところにヘレナの言葉が擦り傷を残した。
決して深くない傷なのに、痛い。
すごく痛い。
血がにじみ出ている。
私が。
私が何のために自分を押し殺しているのだと思っているのだ。
「そんなあさましい真似、するわけないでしょう」
「ですが、お姉さまはもっと……!!」
「ヘレナ」
フレヤの声が一段と低くなった。
はっと気づいたようにヘレナが姉を見やる。
「そろそろ……口を慎みなさい」
「……はい。
申し訳ございませんでした……お姉さま」
部屋に沈黙が満ちた。




