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228話 ダム攻防戦 (33)

破口(はこう)の前を覆っていた霧が、少しずつ薄れていった。


足首まで溜まっていた霧が引き、地面に散らばった残骸と血痕があらわになった。霧の向こうでひとかたまりになっていた黒い影の輪郭も、一つ、また一つと鮮明になっていく。


果てが見えないほどの数だった。


盾を前に押し立てたオークたちの背後には、さらに別のオークたちがぎっしりと詰まっていた。崩れた城壁の瓦礫(がれき)の斜面の向こう、堀に架かる橋の上まで、黒い兜と槍の穂先がひしめいている。


石造りの物見塔の上で、バリスタがもう一度弦を放った。太いボルトが破口の外のオークたちめがけて飛んでいく。ボルトに並んで貫かれた三体のオーク。巨大なボルトは地面に突き立ち、串刺しになった三体のオークがそこにぶら下がっていた。


滑車を回していたダウィの兵士たちが、すぐさま次のボルトを溝に掛け、弦を巻き直し始めた。


破口の外から、オークたちの喊声(かんせい)が再び響いてきた。


「Grum-ka! Grum-ka dum!」


低く太い声が幾重にも重なって轟く。破口へ迫る足取りが、その叫びに合わせて速まった。金属のぶつかる音と怒号が入り混じり、絶え間なく城壁の内側まで押し寄せてくる。薄れた霧の合間に、血の匂いと土埃の匂いが濃く漂っていた。


空では、具現化した手に短槍を握ったムワの翼兵たちが、破口の上を低く旋回している。


翼兵の一人が急降下に入る直前、具現化した手が形を失って消えた。城壁をよじ登ろうとしていたオークの首筋めがけ、翼兵は翼の先を立てて斬り払う。羽根の刃が風を切る音とともに、オークは瓦礫の上へ転げ落ちた。翼兵は再び舞い上がり、次の標的へと向きを変えた。


一方、破口の下では、ニシャリンのムールムックが姿を現したオークへ向かって駆けていた。穂先がオークの喉を突く。オークは手にした斧を取り落とし、膝をついた。ムールムックはその脇をそのまま駆け抜けた。


オークとダウィが、互いに武器を振るい合っている。


「オルデン軍長!!」


ニシャリンが振り向いて叫んだ。


「あそこだ! あっちへ、オークの野郎どもがまだ向かってるぞ!!」


オルデンは盾で斧を受け止めながら顔を上げた。


「何とおっしゃいましたか!?」


周囲の金属音とオークたちの喚き声が、その声を呑み込んでしまう。ニシャリンの口がもう一度動いたが、声はオルデンまで届かなかった。


ニシャリンが短く舌打ちした。ムールムックの脇腹を爪先で押し、向きを変える。オルデンのほうへムールムックを突っ込ませ、間に立ちふさがっていたオーク二体の首と肩を、槍で薙ぎ払いながら駆け抜けた。


「オルデン軍長! あっちだ!!」


ニシャリンが槍の穂先で右を指した。


「あっちへオークの野郎どもがまだ向かってると、そう言ったんだ!!」


オルデンはようやく顔を向け、右を見た。盾を構えたオーク三体が、隊列の側面に食い込もうとしている。


「柵のほうを守れ、ダブダ! 右へ兵を二十人連れていけ!!」


オルデンが叫んだ。


茶色の毛に覆われた大柄なダウィの兵士が、オルデンと視線を合わせ、短くうなずいた。ダブダはすぐさま身を翻し、周囲の兵士たちに向かって腕を大きく振った。続けて、右の側面へ拳を突き出す。


合図に気づいた兵士たちが、次々と体の向きを変えた。兵士たちの手の中で、槍と斧が高く掲げられる。


あちこちに散っていた兵士たちがダブダめがけて駆け寄り、その背後に厚い人垣(ひとがき)ができあがった。


ダブダが真っ先に駆け出した。盾を前に構えたダウィの兵士たちがそれに続く。鎧のぶつかる音と足音が入り混じり、地面を震わせた。兵士たちは互いの肩をかすめ合いながら柵へと殺到し、隙間を埋めようと後ろから続いていた兵士たちも、次々と合流していった。


ニシャリンが槍を掲げ、高らかに笑った。


「ははは! 俺が直接行きゃよかったか!」


「声が聞こえなかったのです、ニシャリン。」


「次はオークを何匹か余計に殺してから言うとするか!」


ニシャリンのムールムックが再び向きを変え、押し寄せてくるオークたちへ向かって駆けていった。


オルデンは手にした剣を握り直した。


「退くな! この場でオークどもを食い止める!」


声が掠れて割れた。それでも、力は抜けていなかった。


「槍を下げろ! 一歩も退くな!!」


オルデンの声を聞いたダウィの兵士たちの槍先が、いっせいに低くなった。


兵士たちの後ろには、大工が数人陣取っていた。先を鋭く尖らせた木を、両手で握りしめている。樹皮すら剥がしていない、粗末な木槍だった。その隣では石工(せっこう)が拳大(こぶしだい)の石を両手いっぱいに抱えていたが、近づいてくるオークめがけて渾身の力で投げつけた。


飛んだ石がオークの兜を打ち、オークの体が一瞬ぐらついた。


ダウィの兵士が一人、矢に射抜かれて膝をついた。隣の兵士が慌てて腕をつかみ、後ろへ引きずり出す。太腿には、粗く削っただけの木の矢柄(やがら)が深々と刺さっていた。矢柄のあちこちに刃物の削り跡がそのまま残り、黒く錆びた鉄の鏃(やじり)が肉の奥深くへ食い込んでいる。引きずられていく兵士の顔は、苦痛に歪んでいた。


そうした兵士たちに混じって、ダムの漁師も数人いた。手にしているのは魚獲り用の銛だ。柄の先の返しが、淡い陽光を受けて一瞬ぎらりと光った。漁師の一人が腕を大きく振りかぶり、銛を投げた。


銛はオークの肩に深々と突き刺さった。


兵士たちの足が、じりじりと後ろへ押されていく。押し寄せるオークの数は、いっこうに減らない。


「多すぎます、ニシャリン!!」


オルデンが叫んだ。


「所詮オークだろうが!!」


ニシャリンが槍を叩きつけるように振り下ろして応じた。


「数ばっかりで頭の中は空っぽの連中だ、怯えることなんざねえ!」


兵士たちが柵の後ろへ一歩ずつ退いた。その隙間から、矢が飛び始める。柵と石壁の間の隙間で、ダウィの弓兵たちが弦を引き絞っていた。矢は兵士たちの頭上を越え、オークたちめがけて降り注いだ。


オルデンは振り返りもせずに叫んだ。


「撃て! まだ距離がある!」


オルデンの視線が、一瞬だけ背後をかすめた。石壁の隙間という隙間に、土嚢(どのう)が積み上がりつつある。柵もほぼ形を成してきていた。このまま行けば、さほど持ちこたえずとも完成するだろう――そんな考えが頭をよぎった。オルデンは再び前へ向き直った。


「もう少しだけ持ちこたえろ! もう少しだ!!」


剣を握る腕に、再び力がこもる。


「投げ槍、用意!」


オルデンがもう一段、声を張り上げた。


向かいのオークたちは入り乱れたまま盾を押しつけ、さらに一歩踏み込んできた。槍の穂先が盾の上を越えて、ダウィの兵士たちの盾を叩く。鉄と鉄のぶつかり合う音が、途切れなく続いた。




*****


ドォン!


重い音が響き渡った。


石壁の上部が、内側へ向かってえぐれるようにへこんだ。積み上げた石と土嚢がいくつか、崩れ落ちる。


ダウィの兵士たちを押しのけて石壁の前に辿り着いたミノタウルが、鉄槌(てっつい)を再び振り上げた。槌頭(つちがしら)には、すでに石の粉が白くこびりついている。


ボウマがその前に立ちはだかった。


腰の鉄の輪から斧を引き抜く。木を伐り、削ってきた中で手に馴染んだ感触が、そこに残っていた。ボウマはミノタウルの動きをかわして脇へ潜り込み、斧を肩の上まで振り上げた。


「UAAAAAAgh!」


斧の刃が、ミノタウルの肩に深々と食い込んだ。肉が裂け、暗赤色の血が飛び散る。ミノタウルは短い咆哮(ほうこう)とともに身をひねった。


「手伝いますよ、ボウマ!」


ダレンの声が上から降ってきた。ダレンの二枚の翼が大きく広がり、空中で体勢を低くする。具現化した手に握られた槍が、ミノタウルの肩めがけて突き下ろされた。


投げ放たれた槍の穂先が、革鎧の継ぎ目を貫いた。ミノタウルは身をよじらせ、腕を大きく振り回した。ダレンは翼を大きく漕いでその腕をかわし、上へ舞い上がる。


ミノタウルがボウマのほうへ向き直り、鉄槌を再び持ち上げた。


その瞬間、何かが勢いよく回転しながら飛んできた。三又の返しがきらりと光る。漁用の銛だった。


銛の先が、ミノタウルの喉を寸分違わず貫いた。ミノタウルの手から鉄槌が滑り落ちる。膝が折れ、体が前へと傾いだ。


バズが、銛を投げた姿勢のまま固まっていた。指先が震えている。


「……当たった。」


バズが呟いた。そして、声を張り上げた。


「当たった!! あいつの喉に当たったぞ!!」


ダオバが駆け寄って、バズの肩を叩いた。


「やるじゃないか、銛使い!」


「運が良かっただけさ! へへっ!」


「運だって実力のうちだよ! 今の、見たかい?」


ダレンが空から降りてきて、バズの隣に着地した。


「バズ、その腕前なら、私たちの馬車の護衛を任せてもいいくらいです。」


「ははっ! その言葉、覚えとくぜ!」


バズはまだ震えの残る手で、脇に立てかけてあった別の銛をつかみ取りながら答えた。


周りでは、志願兵が数人、短く歓声を上げた。だがすぐに、オークたちの怒号がその歓声をかき消した。


頭上を、翼兵が一人、低くかすめていった。素早く翼をまっすぐに伸ばし、その羽根の刃が、柵へ近づこうとしていたオークの背を切り裂く。オークはそのまま瓦礫の上へ突っ伏した。翼兵は翼を大きく打ち、再び上へと舞い上がった。


ミノタウルが一体倒れたものの、ボウマとバズ、ダオバのいる場所へ向かって、オークが何体も迫ってきていた。盾を構えたオークたちが、石壁めがけて再び殺到する。ボウマは斧を握り直し、その隙間に立ちはだかった。


「オークの野郎ども、まだ来やがるぞ! 持ち場を離れるな!」


破口の向こうから、オークたちがとめどなく押し寄せてくる。黒い兜の群れの間に、ミノタウルの巨体がぽつり、ぽつりと姿を現していた。


ダウィの兵士が一人、傍らに倒れた仲間をつかんだ。閉じられた目は、ついに二度と開くことがなかった。兵士が肩を乱暴に揺さぶる。鎧がガタガタと鳴っただけで、体は何の反応も示さない。兵士は顔を上げた。血走った両の目が、オークたちへ向けられる。


「この、オークの野郎どもがぁ!!」


兵士は槍を握りしめて立ち上がった。そのまま前へ駆け出す。その槍の穂先が、最も近くにいたオークへまっすぐに突き刺さった。


後に続いていたダウィの兵士が二人、その脇に並んだ。三本の槍が、オークめがけて同時に突き出される。


少し離れた場所では、翼兵の一人が倒れた兵士の傍らに降り立っていた。具現化した手で傷口を押さえて血を止めながら、切迫した声で叫ぶ。


「こっちだ! 早く手を貸してくれ!」


その叫びを聞いた翼兵二人が、すぐさま向きを変えて舞い降りてきた。三人の背後から、具現化した手が一つ、また一つと姿を現す。具現化した手は、倒れた兵士の背と腰と脚の下へ、順々に滑り込んでいった。


「ゆっくり持ち上げろ!」


手と手が重なり合い、兵士の体を少しずつ持ち上げていく。力なく垂れた腕が下で揺れ、鎧に付いた血がぽたぽたと地面に滴り落ちた。


その様子を見たダレンが、すぐさま羽ばたいた。空を切って降りてきたダレンの具現化した手が、兵士の肩と背をまとめて支える。


「後ろを支えてくれ! このまま持ち上げて運ぼう!」


六本の手が、兵士の体が揺れないよう少しずつ高さを揃え、翼兵たちはそのまま石壁の裏手へ向かって飛び立った。


ボウマは倒れたミノタウルの傍らで体の向きを変えた。斧を握り直した、その瞬間だった。横から、オークが一体、斧を振り上げて飛びかかってきていた。


「うおっ!? え?」


ボウマの体が、凍りついたように固まった。オークの振るった斧は、もう避けようのない距離まで迫っている。


「KWAAAAk.」


矢が一本先に飛んできて、オークの前腕(ぜんわん)を貫いた。斧を振り下ろそうとしていた腕が、矢の刺さった方向へ引っ張られるようにねじれる。間を置かず飛来した二本目の矢が、オークの目を射抜いた。


オークは顔を押さえて叫び声を上げ、後ろへよろめいた。


ボウマは固まっていた体をどうにか動かし、矢の飛んできたほうへ顔を向けた。


石壁の上に、エルフが弓を手に立っていた。弦には、すでに三本目の矢がつがえられている。


「Mehelein, Dawi?」


エルフが問いかけた。


ボウマには、その言葉の意味が分からなかった。それでも、声に込められた意図は察しがついた。


「あ……ああ……ありがとうございます。」


ボウマが、呆然としたまま答えた。


エルフはすでに、次の標的へ向けて弦を引き絞っていた。

今回もお読みいただき、ありがとうございます!

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