脱法天使ちゃん、兄バレする
とりあえず、二佳にこれまでの経緯をすべて説明すると、キッときつく睨まれた。
反射的に身体がびくりと動く。
お願いだから嫌わないでぇ…!
「…起こしてとは頼んだけど、勝手にPCを見ていいとは言ってない」
「ご、ごめん…」
「……それで、百奈とのやり取り以外に何か見た?」
二佳にぐいと距離を詰められ、目と目をはっきりと合わせられる。絶対に嘘はつくな、嘘を吐いたとしても見破って見せるという気迫が伝わってきた。
普段の二佳なら恥ずかしがって絶対にしないことだが、今はそれ以上に必死な何かが二佳にはあるようだ。
「何も見てないよ!本当に!すぐに百奈?さんから通話がかかってきてそれどころじゃなかったし。ですよね!?」
「はぁはぁ…!二佳ちんとビデオ通話できるとかサイコー!声もいいけど、やっぱ顔見ながら聞くと可愛さがダンチだわ…!」
変態に説明を求めたのが間違いだった。
「…わかった。…信じてあげる。にいは嘘つくの下手だし、たぶん本当だと思うから」
ほっと胸を撫でおろす。どうやら信じてもらえたようだ。
と、気持ち的にも落ち着いたところで今度はずっと気になっていたことを僕から聞いてみることにする。
「ところで、百奈さんは二佳の親友だって言っていたんだけど、それって本当なの?」
「あ、ごめん。さっきのは嘘!…二佳ちんは俺の嫁だよ?」
二佳に話しかけたつもりだったのだが、百奈さんがサッと割り込んできた。しかも、声を低くして無駄にカッコつけて。
「…百奈の言うことは9割が冗談だから無視して。でも……、親友っていうのは、そうかも」
「ちょっぴりあたりは強くても、親友じゃないとは決して言わない!二佳ちんのそういうとこ超好きー!んちゅー!」
百奈さんはそう言うと、カメラに向かってキス顔をしながら近づいてきた。
「うるさい…、キモい…!」
どうやら、愛情の重さ?に差はあるものの、仲がいいのは確からしい。
この変態娘とどういう経緯で知り合ったのかは気になるけれど、二佳に親友と呼べる人が出来たのは喜ばしいことだ。
僕が仕事に行っている間、この子が二佳の相手をしてくれていたのかもしれないと思うと、先ほどまで抱いていた百奈さんへの悪感情も薄れて――
「二佳ちんは罵倒も可愛いね!メスガキものもいけるんじゃない?」
「...だ、黙って!」
――やっぱりこの変態と二人で通話していたっていうのはそれはそれで心配かも知れない...。
「あ!てか、ビデオ通話が嬉しすぎて忘れてたけど、二佳ちん二時間も遅刻したでしょ!?」
「…え?あっ」
「遅刻っていうと…?」
遊ぶ約束でもしていたのかと思い、そう尋ねる。
「10時に相談したいことがあるから通話したいって連絡があってね。二佳ちん大好きな俺としては、それはもう今日一日の予定を開けてしまうほどに準備を整えて待っていたわけ。それなのに2時間もこなかったんだよ!?これはもう二佳ちんのエッチな写真の一つや二つ貰わないと気が済まないよ!」
「…それについてはごめん。寝落ちしちゃってた…」
しゅんと肩を落とす二佳。
二佳は昔から他人との約束事には真面目な所がある。
ぐーたらを自称しているし、超絶人見知りだけれど、礼儀はちゃんとしている。
それこそ我が自慢の妹なのだ。
今回は寝ちゃったみたいだけど、眠かったのなら仕方ないよね?
「まぁ、俺と二佳ちんは大親友だからね!これくらいは水に流すよ!でも、相談てなんのことだったの?」
「……そ、それは、また後で」
急に歯切れが悪くなったと思ったら、二佳がちらちらとこちらの様子を窺ってくる。あまり僕に聞かれたくない話なんだろうか。
まぁ、女の子同士の秘密の相談というのもあるのかもしれない。僕としてはそれで納得していたのだが、ここで百奈さんが追い打ちをかけてきた。
「あっ!もしかして耳舐めASMRのこと?」
「……ちょ、百奈!」
「ん?ASMRってこないだ二佳に教えてもらったやつだよね?安眠できるっていう…」
「お!お兄さんも知ってるんだ!実は二佳ちん、ASMR、特に耳舐め界隈ではそこそこの有名人でね!『脱法天使ちゃん』っていう名前で活動してて、なんとフォロワーは3万人超え!それだけ多くの人の耳を虜にしてきているのさ!」
え?脱法天使?フォロワー3万人?
急に情報量が増えて頭がパンクしてきた…。耳舐め界隈ってなんだ?
…そういえば僕がリタイアした耳がぞわぞわするぬちょぬちょ音声のことを、二佳が耳舐めって言っていたような...。百奈さんの話から判断するに、二佳はああいう音を出すのが得意ということだろうか?
「……い、今すぐ口を閉ざさないと、百奈とは絶交するから!」
「えぇ~!?ごめんごめん!でもなんで!?超すごいことじゃん!自慢しちゃまずかったの!?」
「えっと……、よくわからないけどとにかく二佳はその特技のおかげでネットだとそこそこ有名人ってこと?」
「そう!」
「…違う」
「でも、その…、みんなを安眠させているのはすごいことだと思うけれど、大丈夫なの?...僕は少ししか聞けてないけれど、耳舐めって言葉からするとエッチなやつなんじゃ…」
「そう!超エッチだよ!」
「ち・が・う!!」
二佳は見たこともないくらい顔を真っ赤にして、ふんふん鼻息荒くして百奈さんに食って掛かっていた。
百奈さんの言うことは9割が嘘って言われていたけれど、どうも二佳の反応を見るにこれは本当っぽい気がする...。
「二佳ちんの耳舐めはバリくそエロいんだよ~。お兄さんも今度聞いてみなよ」
「…エロくない。R15だもん」
「いや、R15なら、13歳の二佳はアウトでは…?」
「……っ!じ、15歳未満は、不向きっていうだけで禁止されてるわけじゃないから」
なるほど、これは脱法天使だ。というか、今の言い訳からしてやってることはもう間違いないらしい。
「あ、もしかしてそういうことやっているうちに、この変態むす…、百奈さんと知り合ったとか?」
「わざわざ言い直すんじゃない!変態まで言った時点でアウトだろ!」
「……違う!私はむしろ百奈から誘ってもらったというか…」
「そう!俺が二佳ちんに耳の舐め方を教えたのさ!」
「うちの妹になに教えてるんですか!」
思わず机をたたき、身を乗り出す。心配していたことだけれど、まさか既に変態の悪影響を受けた後だったなんて…。
「さ、最初はもっと普通のシチュエーションドラマみたいな感じだったんだよ?二佳ちんの癒しボイスがどうしても俺の書いた台本に欲しくて頼み込んだんだよ。でも、作中でちょこ~とだけ入れた耳舐めがものすごくバズっちゃってさ。それからは二佳ちんの要望もあって二人で耳舐め作品を作って売ることになったんだよね」
「……もう、これ以上にいに変なこと教えるのはやめて…」
「二佳からの要望?」
てっきり百奈さんにほぼ強制されてやらされてるものだと思っていたけれど違ったらしい。
「二佳ちん、自分でお金を稼いで自立したいって言ってたんだよね」
「自立……」
なんとなく事情がわかったような気がする。
二佳にとっても引きこもり生活には思う所があったのだろう。心優しい二佳のことだ。僕に対する負い目のようなものもあったのかもしれない。
だから、自分でもお金を稼ぐことで少しでも心を軽くしたかったのではないだろうか。
「……にい、引いてる?」
顔を下に向けて、二佳の気持ちを想像していると不安そうな顔で二佳が訪ねてきた。
二佳にとっては結構な秘密を知られたわけだし、不安にならないはずがない。
思い出すのはこの間、二佳の下着姿を目撃した日のこと。
あの時、二佳の恥ずかしいところを目撃した時は何も言えず逃げ出してしまった。
でも、もう同じ失敗はしない。
僕は慎重に言葉を選び、二佳に伝えることにした。
「全然引いてなんかないよ。…でも、もし危ない人に絡まれたら言ってね。僕がなんとかするから」
「……辞めさせようとはしないんだ」
「二佳にも二佳のやりたいことがあるだろうからね」
保護者代わりでもある僕は本当はもっと慎重になるべきなのかも知れない。
でも、二佳が自分で選択して努力していることがあるのなら、尊重するべきだと思った。
本当は心配で心配でたまらないけれど…!
「ま、お兄さんの心配していることにはならないと思うから安心していいよ。アカウントは共有してるし、チン凸やパパ活のお誘いなんかは私の方で即効ブロックしてるから」
「チン凸…?」
「え?知らない?チン凸っていうのは、男の人のおちん」
「……これ以上、にいを汚すのはやめて…!」
…なんだかよくわからないけれど、百奈さんなりに二佳のことを守ろうとしているということは十分伝わった。二佳のことは本当に大事に想っているようだし、脱法天使ちゃんの件は、百奈さんに任せておけば大丈夫だろう。
二佳も信頼しているみたいだしね。
確かに変態ではあるけれど、百奈さんは味方だ。
味方ならむしろ変態の気持ちがわかる分、対変態兵器として頼もしいのではないだろうか。