傷跡
二佳と半分ずつ買い物袋を持って歩いていると駅に差し掛かった。
この辺りは一番、人が多い。
二佳に苦手を近づけさせないように気を引き締めると、歩道の先に酔っ払いが溜まっているのが見えた。
酔っ払いは声も大きいし、視線も無遠慮だ。絶対に目を付けられたくない。
「二佳、あっちから行こうか」
「…うん」
僕と二佳は道路を渡り、酔っ払いとは道を挟んで距離を置くようにした。
これで絡まれることもないだろうと安心して通り過ぎようとしたその時。
僕にとって聞きなじみのある声が耳に入ってきた。
「零ちゃん!おねがい!あと一軒だけ付き合ってよ~」
「そうそう、そのために零ちゃんの最寄りまで来たんだよ?」
「家の人が迎えに来てくれるので…」
つい、反射的に足を止めてしまう。
これ以上、近づくのが怖い。このまま翻したい。
でも、二佳を一人にしておけない。そんな葛藤が頭の中で駆け巡り、動けなくなる。
「…にい?」
「…あ、ああ」
二佳の声を聞いて少しだけ気持ちが安らいだ。
そうだ。別に声が似ているだけの人たちかもしれない。
僕は不安を解消させるため、縋る思いで、酔っ払いたちの顔を確認するためにちらりと視線を向ける。
すると、最悪なことに酔っ払いの一人と目が合ってしまった。
そして僕も確信する。
間違いじゃなかった。
あそこにいるのは、僕が辞めた会社の同じ部署の先輩たちだ。
「あれ?一本じゃん!おいおい、みんな一本がいるぞ!」
「は?なんでこんなところに?」
「ここってあいつの最寄りだったのか?」
「え、一本、くん…?」
先輩たちは道を渡って、わらわらと僕たちを取り囲んだ。
「……っ」
二佳は見るからに怯えている。
早く離れなくちゃ。
そう思うのに、さっきから心臓がバクバクと脈を打って、まともに息ができない。
思考もうまくまとまらない。最善の行動がわからない。
どうすればいい。どうすればいい?僕は何をやっているんだ?
「おいおい、いろいろと面倒をみてやった先輩たちに挨拶もなしか?」
「……お久し、ぶりです」
こみ上げてくる吐き気を抑え、ほんのわずかに口を開けて声を発した。
働いてた時は、ここまで酷くなかったはずなのに。身体の震えが止まらない。
「……にい」
二佳は買い物袋を手に持ったまま、僕の身体にぴたりとくっついてくる。
「お、一緒にいるのは妹さんか?」
「すげえ可愛いな…。ちょっと芋っぽいけど」
「これがお前がよく言ってた妹か~」
「…………っ」
二佳の震えが伝わってきた。
二佳が怖がっている。
一刻も早くこの場から離れなくちゃいけない。
でも、なんて切り出す?それとも何も言わずに逃げる?
どちらにせよ答えが出たところで、行動する勇気が持てるかわからない。
意味のない堂々巡りが頭の中でなされ、結果として僕はそこから一歩も動けなかった。
考えているようで、何も考えられていない。
二佳を、助けてあげられない。
「ところで一本。お前はもう次の仕事を見つけたのか?」
「...っ」
いつの間にか、目の前に来ていた先輩の言葉は、僕を急激に現実へ引き戻した。
二佳のことで頭がいっぱいだった幸せな生活が、黒い焦りと罪悪感で塗りつぶされていくような感覚に陥る。
ここ最近は、二佳に甘やかされたのをいいことに何もできていない。僕はこれまで何をしていた?
二佳を言い訳にずっと現実から逃げ続けていただけじゃないか。
先輩から強く咎められているような気がして、恐怖から目を逸らした。
「……それ、は」
「空白期間が長引くほど働き口が減っていくぞ?お前は高卒なんだしさ」
「…はい」
「スタートが失敗してるんだから、死ぬ気で頑張らないと。お前の場合、要領も悪いから、人の十倍は努力しないとダメだろ」
「…はい」
僕の教育係として一番関わりのあった先輩からの言葉は重く、説得力があった。
どうにか返事だけはして、ただただ言葉を受け止める。
働いていたときもよくこうして怒られていたことを思い出す。
その時々に言われた言葉も同時に思い出して、目に涙が溜まってきた。
高卒、無能、不器用、とろい、邪魔、給料泥棒、覚えが悪い、才能がない。
どれもその通りだ。
営業で結果を出せなかった僕には言い訳の余地もない。
そのうえ、二佳のことも守れず、働きもしない僕に価値なんてあるのだろうか。
「ちょっと、一本くんも妹さんも困っているじゃないですか!その辺にしてください」
そう言って僕と先輩の間に入ってきてくれたのは、女性の先輩だった。
その人は部署異動をする前に、よくしてくれた先輩だ。
名前は確か、相底零さんだ。
と、僕が名前を思い出した直後、零先輩の姿がぶれて見えた。
「え?」
一瞬、めまいでもしたのかと思ったけれど、手に伝わってくる衝撃からそうではないとすぐに気付く。
僕は、買い物袋を持った二佳から思い切り引っ張られていた。
「…ふんっ!ふんっ!」
力の弱い二佳は綱引きの掛け声のように、いちに、いちに、と僕をぐいぐい引っ張っていく。
「あははは、なんだあれ!ぐずったガキに引っ張られるママみたいじゃねえか」
「実際は兄妹らしいけどな!」
酔っている先輩たちに笑われ、他の人からの視線も集めているのに二佳はうまく身体を動かせない僕に代わって、この場から逃げようと必死だった。
ぼろぼろと買い物かごから荷物がこぼれているが、二佳はまったく気にしない。
不甲斐ない自分を責めて、今にも零れそうだった涙は、二佳への優しさに感謝する形で今あふれ出した。
「…ふんっ!はぁ…、はぁ…、ふんっ!!」
ごめん、二佳。ありがとう。
少し変わった二佳の掛け声に合わせて僕も動く。
先輩たちから十分に離れて、道を曲がり、あの中の誰からも見られない所まで来た。
そうして少しずつ、身体の支配権を恐怖から取り戻していった僕は二佳に声をかける。
「ありがとう。もう十分だよ」
「……っ!!」
「うわぁ!」
すると、今度は二佳が勢いよく走り出した。
引きずられるようにして僕も速度を上げる。
とはいっても、引きこもりの二佳は運動が得意ではないので僕にとっては早歩き程度の速度だ。
それでも二佳にとっては全力のようで、はぁはぁと息を吐きながらそのまま家まで走り抜けた。
勢いよく家の扉に鍵を差し込み、玄関に入ると、ようやく二佳は口を開いた。
「…にい、ゲーム!!」
「あ、はい...」
とっさに敬語で返事をしてしまう。
なぜなら、二佳がこれまでに見たことがないくらい怒っているように見えたから。




