第43話 向かい合うとき
そもそも俺と瑞望とでは、運動能力に差がありすぎたのだ。
瑞望の背中はみるみる小さくなっていって、とうとう見失ってしまった。
スマホを取り出し、電話をするも、応答はない。
『とにかくごめん、話したいことがあるんだ』
そうメッセージを送るに留めて、瑞望とどう話し合うべきかということで頭がいっぱいになっていると、気づいたときには自宅にいた。
「え? おにぃ、どうしたの? なんか暗くね?」
二階への階段を登る前に、歩衣から心配そうな声を掛けられるものの、そちらに視線を向ける気にも、返事をする気にもなれず、自室のベッドに倒れ込む俺。
もう何も考えたくない精神状態だけれど、そういうわけにもいかない。
ベッドでふて寝していると、スマホが震えた。
「瑞望!?」
瑞望からの返信を期待してスマホに飛びついたのだが、メッセージの通知は別の人物から。
泰栖さんからだ。
「あっ! そうだ! 泰栖さん……!」
校舎裏に置き去りにしてしまった。
泰栖さんは何も悪いことをしていないっていうのに俺のせいでまた迷惑を……。
今日こそ、泰栖さんに告白の返事をすると決めたのに……!
「いや、自暴自棄になるのはあとだ……謝らないと」
慌ててメッセージアプリを開く。
『どうして何も教えてくれなかったんですか』
そんな泰栖さんのシンプルな文面が飛び込んできた。
文字だけでは、どんな感情のニュアンスで伝えようとしているのかわからないけれど、俺には激怒しているように思えてならなかった。
謝罪のメッセージを送るのだが、既読はついても返信はない。
「……そうだよな。許すわけないよ。誠実でもなんでもない、ふらふら迷ってばっかのヤツってバレたんだから」
相変わらず、瑞望からの返事もない。
この調子だと、俺は一日にして、瑞望と泰栖さんの二人からの信頼を一気に失ったようだ。
「はぁ……」
深い溜め息をつくと同時、蹴破るようにして部屋の扉が開いた。
「おにぃ! んもう、呼んでんだけどー」
部屋に入ってきたのは歩衣だ。
「……なんだよ歩衣」
「ご飯だってば。呼んでんのにおにぃが全然降りてこないからママも心配してんじゃん」
「ああ、そうか……」
今は夕食って気分じゃないんだよなぁ……とは思うのだが、ここで断ろうものなら歩衣に激怒されそうだ。
歩衣は母親思いだから、母さんを雑に扱うようなことは絶対許さないのだ。
その代わり、父さんを相手にするときはすっごく雑だけど……。
「わかった、すぐ行くよ」
「待った、おにぃ」
首根っこを掴まれてしまう俺。
引き止めるにしても、もっと優しくできないものか?
いや、今の俺に優しくする必要なんてないか。
「その辛気臭い顔を治してからにして」
「え? あっ、おい」
歩衣にほっぺたを手のひらで挟まれ、ぐにぐにされてしまう。
「こら、やめろ、こねるな。パンじゃないんだよ」
「おにぃが変な顔してるのが悪いんでしょー」
「顔面は今更どうしようもないだろ」
「そうじゃなくてー」
手のひらこねこねはやめてくれたのだが、歩衣は不満そうに口をとがらせていた。
「おにぃ、最近はそんな顔することなかったじゃん? ほら、ズモちゃんと付き合い始めたからか、なんか明るい感じだったし」
「そ、そうかな?」
「それだけじゃなくて、イベントの仕事があるとかでいつもより遅く帰ってきたときなんかも楽しそうだってママも言ってたし」
「母さんもか……」
意外と家族から気にされていたのか、俺は。
「あのときはあんなにイキってたはずのおにぃが落ち込んでるってことは、どうせ人間関係で揉めたんでしょ?」
「別にイキっちゃいないけど……」
いや、待て。
俺なんぞが瑞望と泰栖さんをずっと天秤にかけていたという意味では、イキリ散らかしていたようなものか。
恥ずかしいし申し訳なくなってきた。
「……すまん。俺なんかが二股なんかして」
「二股ァ!?」
奇怪な鳥の鳴き声みたいな声を出して驚く歩衣。
「おにぃがァ!?」
「悪い。言葉のチョイス間違えた。実は――」
人間関係で揉めたと見抜かれているわけだし、変に隠さない方が良さそうだ。
俺は、歩衣にこれまでの事情をかい摘んで話した。
瑞望と付き合うと決めたタイミングで聖女様と名高い泰栖さんから告白されて、ずっと返事を悩んでいたこと。
そして、瑞望にしろ、泰栖さんにしろ、深く関わる前には見えてこなかったものを目にして、より決断しにくくなってしまったことを。
「優柔不断のお手本みたいなおにぃだね」
呆れつつも、鼻で笑うようなことはしなかった。
そして、思ったより薄味な反応に驚く。
「お前、やたらと俺と瑞望をくっつけようとしてただろ? 瑞望と終わりそうになってるんだから、もっと嫌がるかと思ったけど」
「やっぱおにぃはそういう風に考えちゃうかー」
「え? なんだよ?」
「あーし、まだそんな心配してないよ。たしかにおにぃはやらかしたかなって思うけど、ズモちゃんのことだし、これっきりでもう絶交ってことはありえないと思うんだよね」
なんだ、この余裕は……。
どう考えても、もうアウトな状況だと思うんだけどなぁ……。
「おにぃって人付き合いあんまないせいか、一回変なことしたり言ったりしたらその時点で嫌われたもうダメだ! って思い込んじゃうんだよね」
「……かもしれない」
「一回揉めて終わっちゃったら人間関係なんて成り立たんくない? おにぃはシビアすぎんのよ。やらかしちゃったとしても、大事なのはその後ね。おにぃはあーしが怒らないことに驚いてたけど、怒るのはこれからおにぃが何もしなかったときだから」
びしっ! と妙に決まったポーズで俺に指を突きつける歩衣。
「人間関係なんて勘違いすれ違いは当たり前だよ。落ち込んで自暴自棄になってるヒマがあったら動かなきゃヤバくない?」
まさか年下、それも妹から説教をされるとは。
でも、不思議と腑に落ちた。
「だって、あーしとおにぃなんて生まれてからもうもう何度も揉めてっけどさ」
さっきまで堂々としていたのに、急にもじもじし始める歩衣。
「……あーし、おにぃのこと嫌いじゃないし? それって、おにぃがあーしと揉めても投げ出さなかったからでしょ」
「歩衣……」
なんだ、兄妹って美しいじゃないか、なんて気分になったんだよ俺も。
「ていうか頼めば買い物してくれるし、たまに気を利かせてあーしのお気に入りのアイス買ってきてくれるし。あーしの知ってる男子の中じゃ気遣いできる方っていうか。マジで便利!」
でも急に早口になる歩衣を前にして流れ変わった。
「それは血の通った肉親じゃなくて奴隷としての好意では?」
「あたりまえでしょ。妹より偉い兄なんていないんだから!」
血も涙もない返答をするのだが、コミュ強の歩衣にしては珍しく俺から視線を外し、頬もほんのり赤く見えた。
こいつなりに照れがあったってことなのかな。
歩衣はそそくさと俺の背後に回り込むと、グイグイと背中を押す。
「ほら、下、降りる! ご飯、食べる!」
「なんで急にカタコト?」
「んもう、いいからー!」
「なぁ、妹よ」
「なんで属性呼びなのよ?」
「ありがとうな」
「あーしはズモちゃんにお姉ちゃんになってもらいたいだけ。おにぃを助けたいわけじゃないんだから、勘違いしないでね!」
まさかこんなお手本みたいなツンデレセリフが聞けるとは。
俺はそのまま、歩衣に押されてリビングへと向かった。
今回は、歩衣に助けられたな。
このまま情けない兄貴でいるわけにはいかない。
なんとしても、瑞望と泰栖さんから逃げずに立ち向かわなければ。




