第三十六話
真っ白な濃い霧の中、ヒトが纏う元気な元素が呼吸するようにゆっくりと穏やかに静かに流れていた。
同時にすーすーという寝息が聞こえ、セリシアはそれを確認してパタンと扉を閉めた。
そして慣れた足取りでリビングに戻り、シャルが座っている席の向かい側に腰掛ける。
「よく眠っているわ。よっぽど疲れてたのね」
そう母親の様に微笑んで言い、シャルはこくりと頷いた。
「今日は本当に驚いたわ。来たと思ったらいきなり「ちょっと助けて」なんだもの」
「ごめんなさい。他に方法が思いつかなかったから」
シャルは苦笑して素直に謝った。
ルイが両親に強制的に連れ戻される時、父親を見て見たことのある顔だ、と思った。
ルイの父親を知っているわけではないのだが、もし知った顔の関係者ならばユグ教にも関係してくるだろうと踏んだ。
その顔見知りとその妻はユグ教の教徒だからだ。
変に騒がれても面倒なので、とりあえずルイは放置してそのまま帰ってもらい、セリシアに事情を説明して協力してもらい、今に至る。
「別に構わないけれど、そう何度もしないからね?ちゃんと根回ししないからこうなるのよ」
「……はい」
そうお説教のような口調で言うセリシアに、シャルは反省しているかのように正直に頭を下げた。
その姿に満足したように何度か頷いて、天井を仰ぐ。
その表情は一転、少し困っているように見える。
「ルイちゃんの事に関しては本当にできることは少ないわ。外泊許可が最大ってところよ、本当に。しかもその間に何か問題でも起きたら、それこそ恋に恋する乙女の恋愛相談ですらできなくなるわ」
深い深いため息をついてセリシアは頬杖をつく。
長いソバージュの金髪をくるくると指で弄び、その様をじっと見つめながら言った。
「ルイちゃんはミドルイア家の子なのね」
「……うん。まさかあのミドルイア家とは思わなかった」
「普通地位がある一族の女の子はたいてい聖イルミスール女学校に入るから、軍部
大臣のお孫さんが魔法学校にいるとは思わないわよね」
そう言って二人でため息をついた。
……どうしてあの堅物な人の家族が……
「ごめんなさい。私お仕事があるから、先に出るわね。カギは閉めなくて大丈夫だからー。あ、シャルくん後で寄りなさいね」
セリシアはそう言ってパタパタと出て言った。
家の外に何人か迎えが来ていたらしく、ボソボソと何かを話をしながら出勤していった。
それを見送ったシャルはキッチンに戻り、手慣れた様子で朝食の後片付けを始める。
「シャル、私何すれば……うぷぁ」
「それでテーブル拭いて」
顔に直撃した濡れ布巾をギリギリと握りしめて「はーい」と返事をし、テーブルを拭く。
「それが終わったらベッドのシーツ付け替える。それ終わったら荷物片づけて出る」
シャルは食器を洗いながら言った。
ルイはそれに頷いて、テーブルを拭く。
昼には王都フィルハイムを発つ。
シーツの洗濯と片づけを終え、シャル達は荷物をまとめてセリシアの家を出た。
「そう言えばセリシアさん、後で寄りなさいって言ってたけど、お仕事先はどこなのかな。あ、ちょっと待ってよ」
ルイが首を傾げながら言うのに対し、シャルは教会に向かって歩き始めていた。
「ねぇ、どこ行くの?」
やや早足で追いつき、ルイが問う。
「セリシアさんのとこ」
「え、シャル知ってるの?どこどこ」
「……そこ」
「……は?」
シャルの言葉に意味が解らないといった感じで顔を歪める。
それにシャルはため息をついて足を止め、目の前にある新旧の建築技術がふんだんに使われた、芸術的な建物を指さした。
「セリシアさんの勤務先」
言うなり再びやや早足で歩き出す。
ルイは話がうまく呑み込めないが、すたすたと歩いて行くシャルに置いて行かれまいと必死について行った。
シャルは表にある礼拝堂からではなくその横の庭を通り抜け、関係者以外立ち入り禁止と書かれた門をギギギと音をたてながら開く。
「え、ちょっと。駄目だよ!」
慌てて止めるルイの言葉を聞かずに、シャルはそのまま歩く。
その足取りは、まるで勝手知ったる我が家のような、自分の庭とでも言うように軽快なものだった。
途中ですれ違う司祭たちはシャルを見るなり一歩下がり、深々と頭を下げた。
司教でさえ頭を下げる者もいた。
それを見てルイの頭はますます真っ白になっていく。
……シャルは一体何者?
そうして建物の内部に入り、最深部の2階ほどの高さまである扉の前に立つ。
その両端には教会騎士と呼ばれる騎士が二人立っていた。
マスクも鎧もとても重そうで、動くたびに金属が当たる音が聞こえる。
その手には刃が銀色に輝く剣と、金色に輝く盾が握られていた。
ルイは怒られるのではないかとびくびくしながら、シャルの後ろに隠れるように立っていた。
騎士たちはシャルを見るなり剣を鞘に納め、ガシャンガシャンと音をたててドアから離れる。
そしてその離れた場所の壁をなにやら操作する。
ゴゴゴゴという機械が動く音がしたかと思うと、目の前にある大きな扉が開かれていく。
シャルはそれを全て開ききる前に歩きだし、その内部へ足を進めた。
ルイも慌ててシャルの後を追って中に入る。
「うわぁ……きれー」
広間に入った途端、ルイは詠嘆の声を漏らした。
高い天井には様々な花と様々な妖精たちが美しく色彩豊かに描かれ、そこから吊るされるシャンデリアからは蝋燭の光でなく、ルイでも見える元素の光が絶え間なく雨の様に降り注ぐ。
しかもそれらは頭上5m程の所で弾けて消え、視界が邪魔になることは無い。
足元には金色と銀色、そして白と黒で織られた絨毯が一本、入口から奥へと敷かれ、その両脇には太い白い柱が数メートル置きに立てられていた。
絨毯を伝って奥へ奥へと進むと、まるで光でできているかのように輝く煌びやかな椅子があり、そこに純白の法衣を纏うセリシアが座っていた。
「来たわね」
そう言ってセリシアは立ち上がり、シャルに近づいた。
「……え?セリシアさん?」
ルイは目を見開いてセリシアを見る。
上から下まで何度も見て、そうして何かに気が付いたようにぽつりと言った。
「……あ、聖女セリシア」
その言葉にセリシアはにっこりと微笑んだ。
「あたり」
それは悪戯をした時のエドガーの笑みだった。




