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灯り

 玲司が橋前市場へ戻ったのは、数日後の夕方だった。


 第二橋の向こうには、見慣れた灯りが広がっている。


 市場の喧騒。


 荷車の音。


 酒場の笑い声。


 夜警の鐘。


 以前と同じ。


 だが


 以前とは、決定的に違う。


 玲司は馬車を降りながら、その光景を静かに見つめていた。


(……本当に、動いてるな)


 自分がいない間も。


 橋前市場は、普通に回っていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「玲司!」


 ボルドが橋の上で手を振る。


「帰ってきたか!」


「街どうでした?」


「揉めてた!」


 即答だった。


 玲司は少し吹き出す。


「でも止まってねぇ」


 ボルドが少し笑う。


「ちゃんと、街だったぞ」


 その言葉に、玲司は少しだけ黙った。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 橋前広場では、公告板の前へ人だかりができていた。


『新井戸整備案』

『代表会議日程』

『南部交易連盟会談報告』


 若い補佐役たちが紙を貼っている。


 代表同士が言い争っている。


 商人たちが口を挟んでいる。


 騒がしい。


 まとまりも悪い。


 だが


 誰も“黙って従う”顔をしていない。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「……変な街になったわね」


 エルザが静かに言う。


 玲司は少しだけ目を細めた。


 前世では、民主制とは“政治制度”だった。


 選挙。

 議会。

 投票。


 だが今は違う。


 橋前市場で見続けてきたものは、

 もっと曖昧で、もっと面倒なものだった。


 不満。


 議論。


 対立。


 妥協。


 疲労。


 それでも


 壊さず続ける。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「……多分」


 玲司が静かに言う。


「民主制って、“皆ちょっとずつ面倒を引き受ける社会”なんだと思います」


 エルザが少しだけ黙る。


「夢の制度とかじゃなく?」


「かなり違いました」


 玲司は苦笑した。


 民主制は“正義”だと思っていた。


 だが実際は違う。


 遅い。


 揉める。


 効率悪い。


 それでも


 “壊れた時に戻せる”ようにする。


 多分、それが本質だった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 その日の夜。


 橋前管理所では、憲章案最終確認会議が行われていた。


「任期制限、二年で確定!」

「議事公開原則も維持!」


 怒号。


 拍手。


 野次。


 完全にまとまってはいない。


 だが。


 皆、“この街を続ける”方向だけは共有している。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「……つまり、“橋前市場”そのものが目的になったのか」


 カルムが低く呟く。


「かなり」


 玲司は頷いた。


 安定した民主制ほど、“誰が勝つか”より、

 “制度を壊さない”ことを重視していた。


「都市って、多分“永遠の正解”探す場所じゃなく、“壊さず続ける方法”探す場所なので」


 ボルドが深くため息を吐いた。


「最近のお前、本当に哲学者なんだよな……」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 会議終了後。


 玲司は一人で第二橋へ立っていた。


 夜風が吹く。


 橋前市場の灯りが川面へ映る。


 少し前まで、この街は小さな中継地だった。


 誰かに決められ。


 誰かへ従い。


 ただ流れていた。


 だが今は違う。


 皆、自分たちで揉めている。


 自分たちで決めている。


 自分たちで責任を負っている。


 面倒で。


 非効率で。


 騒がしい。


 だが


 確かに、“自分たちの街”になっていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「……お前、結局何作ったんだろうな」


 ボルドが隣へ立つ。


 玲司は少しだけ黙った。


 前世では、民主制とは国家制度だと思っていた。


 だが今は違う。


 あれは多分。


 “他人同士が、完全には分かり合えないまま、それでも同じ場所で生き続けるための技術”だったのだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「……分かりません」


 玲司が静かに言う。


「でも、多分」


「“誰か一人が全部決めなくても、人が一緒に生き続けられる形”は、少しだけ作れたんだと思います」


 ボルドが少し笑った。


「十分すげぇよ、それ」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 夜。


 橋前市場では、今日も灯りが消えない。


 議会灯。


 酒場。


 市場。


 夜警。


 橋。


 誰かが怒鳴り。


 誰かが笑い。


 誰かが反対し。


 誰かが譲る。


 完璧ではない。


 だが


 街は動き続けている。


 玲司は第二橋の中央で、その灯りを静かに見下ろしていた。


 民主制とは“完成された制度”だと思っていた。


 だが今は違う。


 あれは多分、“人間の不完全さを前提に、それでも社会を壊さず続けようとする営みそのものだったのかもしれない。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「でもあなた、絶対また新しい制度考え始めるわよね」


 隣のエルザが呆れたように言う。


 玲司は少し考えた後、小さく苦笑した。


「……人類、多分ずっとそれ繰り返してるので」


 橋前市場の灯りが、静かに夜空へ広がっていく。


 それは、誰か一人の光ではない。


 無数の人間たちが、揉めながら、迷いながら、それでも消さずに守り続けている灯りだった。

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