青空
「どうした? アイリス。寒いのかい?」
今日は少し風が冷たい。ベッドに座ったアイリスが肩を震わせたのを見て、身体に障ってはいけないとエドガーは窓を閉めようとした。
「待って、エドガー。大丈夫よ。それより青空をもう少し見ていたいの」
秋の空は水色に澄んでいて、気持ちがいい。アイリスは空を見るのが好きだった、と思い出しエドガーはショールを持ってきて肩をくるんでやった。
「今日は本当にいいお天気ね。私たちの結婚式も良く晴れていたわ。あれは初夏だったから気温は違うけれど」
「そうだね。あの日は素晴らしい日だった。人生最高の日だとあの時思ったけれど、あれからもずっと最高の日々が続いているよ」
横に座ってアイリスの肩を抱きながらエドガーは微笑んだ。アイリスもふふっと笑う。
「結婚するまではいろいろと大変だったけれどね」
アイリスが聖女だと知った時は既に恐ろしい魔獣との闘いのさなかだったので驚く暇もなかった。再会を喜ぶも再び意識を乗っ取られ、魔獣ごと死ぬつもりだったが、またしてもアイリスに命を救われた。彼女には感謝してもしきれない。
「君が命を取り戻してくれたから、こうして充実した人生を過ごすことができた。子供たちも健やかに成長し、孫もひ孫も見ることができたね。僕は……僕たちは本当に幸せだ」
アイリスはエドガーに身体を預け、頭を摺り寄せてきた。
「若く見えるといってもやっぱりあちこちが痛むわね。癒しの力でもすべては取り除くことができないわ。寿命には抗えないってことね。でもそれでいいんだわ。いつまでも若く美しくいるなんて変だもの。たくさんの思い出も、いつの間にか頭の中から零れ落ちて消え去ってしまったけど……あなたを好きだという気持ちだけは不思議と忘れないの」
エドガーはアイリスの額にそっと口づけをした。
「僕だってそうさ。いつだって君のことを愛している」
エドガーを見上げてアイリスは嬉しそうに笑う。
「ねえエドガー。今日はね、町で治療師をやっていた頃の夢を見たのよ。ローブと仮面で姿を隠しながら人々を癒していた頃のこと。あれは、楽しかったわね」
「そうだね。週末になるとあちこちの町に出掛けて無料の診療所を開いてね。たくさんの人に感謝されたけど、君の正体は明かさず終いだったのが残念だったなあ」
「いいのよ。伝説の人物になんかなりたくないもの。伝説はアデリンだけで充分」
医者がいない地域の貧しい人々を治してくれないか、というアンドリューの頼みでアイリスとエドガーは変装し、『復活した大聖女アデリン』として各地を回った。二人で旅するのも楽しかったし、国民の役に立つことも嬉しかった。子供が生まれてからは頻度は減ったけれども、一年前までは無理のないペースで続けていたのだ。アイリスの体が病に侵されるまでは。
「あの時、災厄にやられた王宮も、新しく造り直してピカピカだったのに……今はすっかり古びてしまったわね」
「古びた物にも良さがあるさ。僕たちだってそうだろう?」
そうね、そうだわね、とアイリスは呟いた。あの頃一緒にいた人々はもう皆いなくなってしまった。新しい知り合いはたくさんいるけれど、今、頭の中に甦ってくるのは若い頃の思い出たちだ。
「ねえエドガー、私が先に逝ったら若いお嫁さんをもらってもいいのよ? だって、私がいなくなったらあなた寂しくて死んでしまうでしょう」
「そうだよ、寂しいよ。だからアイリス、先に逝かないで欲しい。僕が泣き過ぎて死んでしまわないように」
アイリスは微笑んでエドガーの頬に手を当てた。
「ごめんね、エドガー。意地悪言ってしまったわ。一人になるのは寂しくて辛いから、あなたより先に死にたいってずっと思っていたけど、今はあなたを置いて逝く方が辛いわ」
ポタリ、とアイリスの頬に涙が落ちた。エドガーの涙だ。
「アイリス。駄目だよ。まだ逝かないでくれ」
「大丈夫よ、エドガー。今日は気分が良いんですもの。あなたとこんなにたくさんお話できたのは久しぶり」
アイリスが深く息を吐きだす。エドガーはその身体をベッドにそっと横たえて、胸元まで布団を掛けた。
「寝たままでも空は見えるかい?」
「ええ、大丈夫よ。綺麗な青空が見えるわ。雲ひとつない……」
エドガーの目から涙が溢れ出した。空には、雲がかかり始め柔らかな光に変わっていた。
「アイリス、もう眠るの?」
「そうね。少し眠るわ。エドガー、手を握っていてね」
「ああ、もちろんだ。眠るまで側にいるよ、アイリス」
「ありがとう……」
アイリスが目を閉じた。眠ったように見えるその安らかな顔にエドガーはそっと近づき、キスをした。
「お休み、アイリス……」




