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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第3章「か弱き逃避行」
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第69話「この世で一番怖いもの」

 昔から人より怖がりだった。

 暗い場所に狭い場所。お化けや自分より強そうな奴。怖くないものを探す方が難しいくらいだ。


 そんなだからもちろん、独りというのも怖かった。

 仲間外れが怖かった。


 鱗士のようになるのが怖かった。


「…………」


 教室の自分の席に、なにもかもを恐れているような面持ちでポツンとしている鱗士。その姿が視界の端に映るたび、守助は表情を曇らせる。存在を認識するだけで気が滅入る……鱗士はそんな雰囲気を放っていたのだ。

 その上誰が広めたのかは不明だが、親がいないことや霊感があるなんて噂も学校中に知られている。


 孤立するのは至極当然だったし、ヤンチャなクラスメイトに目をつけられるのもまた当然だった。そのせいで呼び出されたのか、保護者らしき人を見かけたこともある。でも表情から察するに、その人にすら疎まれているのかと感じた。


「…………」


 苦手だ。関わりたくない。その一心で避け続けていた守助だが、流石にあんまりじゃないかといつの間にか思っていた。

 鱗士には、本当の本当に一人だって味方がいない。それはとんでもないことだ。例えばなにか怖いことがあって。誰かに助けを求めようとしたとして。手を差し伸べてくれる人が全くいない……。


 想像しただけで全身が粟立った。自分なら一瞬だって耐えられない。なにもできないまま、恐怖に喰われて死んでしまいそうだ。


 忌避が同情に変わる。誰か一人くらい、助けてやってもいいのに。

 独りで席に座ってる鱗士に、声をかけてくれる人はいないのか。絡まれてる鱗士の手を引き、逃がしてくれる人はいないのか。真偽はともかく、霊感について真剣に考えてくれる人はいないのか。


 誰か、いないのか。

 一人くらい、いないのか。

 自分以外誰も気づいていないなんて。なんて冷たい。


 …………なら、俺がいけば?


「…………」


 守助はふと、自分の同情の安っぽさを目の当たりにした。

 鱗士の味方は一人もいない。自分だって、味方じゃなかった。勝手に同情して、勝手に味方になった気になって。でも実際はなにもしない。なにもしないくせに、『誰か助けてやれよ』と考えて、みんな冷たいなんてため息をつく。とんでもない奴だと心底思った。


 気づきと同時に、自己嫌悪と納得が守助を満たす。

 怖い。行動するのが。鱗士に歩み寄るのが。そのせいで自分も浮いてしまうことが。だから、思うことまでしかできなかったのだ。


 それ以降、同情が再び忌避へと戻った。鱗士を見るたび、自分の無力さが思い出される。

 だから以前以上に避けるようになった。そうして自己嫌悪を募らせる日々。誰も得をしない日々。どんなときも俯いて、鱗士以外とも目を合わせるのが嫌になっていった。


 行動するのが怖い。でも行動せず今のままでいるのも怖い。なにもかもが怖くて、守助の臆病さはどんどん悪化していった。


 そしてある日。


 守助は鱗士と廊下ですれ違った。俯いて歩いていたのが、なぜかこの瞬間だけは鱗士を目で追っていた。

 そして見た。


 全部諦めた顔を。まるで生気のない顔を。目からも口元からも、一切感情が窺えない顔を……。


「…………」


 歩みをとめ、守助はしばらく立ち尽くす。


 実際このとき、鱗士の中から感情は消えていたのだ。自分には生きる意味がないと絶望し、この日のうちに死ぬことを決めていた。

 そんな鱗士の心情を推し量れたわけじゃない。しかし、守助は思った。


 あれは、死人だ。息をしているけど、生きてるといえない。生きたまま死んでいる……。


 頭が真っ白になり、動けなくなった。他の生徒がすれ違いざま、怪訝そうに守助を見る。最早そんなの気にならない。なにかを考える余裕がなかった。だって人が死んでいたのだ。

 鱗士のことを考えるたび怖かった。そんな中でも、今のが一番怖かった。これ以上の恐怖はないと守助は思った。


 なんであんなことになったのか、考えかけて更に怖くなる。本当のところは鱗士にしか分からないだろう。でもきっと……理由の一つのかけらの中に、自分が関わっている。

 例えば自分が、思うだけじゃなく行動できていたら。


 気分が悪くなって、この日はそのまま早退した。

 翌日、間定鱗士は教室にいなかった。







「俺は怖くて見殺しにしたんだ……。もう一生会わないと思ってたら、同じ高校で。めちゃくちゃビックリした。向こうは覚えてなさそうだけど……まあ当たり前だよな。碌な接点もなく見殺した俺なんて、覚えてないよな」


 泣き笑いじみた自嘲を浮かべ、守助はそう零す。思ってもない展開に、私も冬汰も口を噤んでいた。


「謝ろうかとも考えたけど、あっちは覚えてねえし……俺は臆病だから。なんだかんだ話すようになっても、結局なんも言えてない……」


 守助の握り拳が震える。


「ははは。打ち明けるのが怖い……。妖怪ってのが本当にいるのも怖い。今後俺にも見えるようになるのも……あんたに立ち向かうのも……ああクソ、怖えよ……! やっぱり俺は俺だな! これが武者震いだったらいいのになあ……ッ!」


 そう言う声も、よく聞けば少し震えている。

 守助が恐怖に震えるサマを、ここ数日で何度も見た。今しがたも見せつけられたところだ。情けない奴だ、とずっと思ってきた。


「でも、さ……知ってるんだ俺」


 しかし、今この瞬間。

 同じように震える守助の姿はなぜか。


「見捨てるのって、この世で一番怖いんだ」


 私の目には、少し勇ましく見えていた。


「だから俺はもう見捨てない! もし鈴が俺を使ってるとしても構わない……! 俺がこれからやることは、どっちにしたって変わらないんだからッ‼︎」

「…………」


 相対する冬汰は、見開いていた目を伏せて息をつく。少しの間を置いて再び守助を捉えた眼差しは、私に向けるもののように据わっていた。


「なるほど、分かった。言っても無駄だと言うことが」

「っ」


 手元の紙束を閉じ、懐にしまう冬汰。破壊された巨人も消える。


「不本意だが仕方ない」


 そして、身構える守助の反応を置き去りにし、一瞬で肉薄した。


「! 守助下がれ!」

「一瞬我慢してもらおう」

「え」


 呼びかけたが無駄だった。

 冬汰の繰り出した拳が、守助の鳩尾に突き刺さる。


「あが……⁉︎」

「チッ!」


 私は思わず舌打ちするも、当然といえば当然の結果だった。戦うに足る妖気を得ても、所詮はただの人間……戦うに足る技術はないのだ。さっきのはほぼ不意打ちゆえに、運がよかっただけ。

 思わず希望が沸いていたが、相手はあの景生と肩を並べていた男。普通にやって守助に勝ち目はない。


 ガクリと曲がった守助の膝が地面につく。押し出されたような息を口から漏らし、前のめりに項垂れる。


「申し訳ないが、しばらく寝ていてくれ。……自分を恥じる必要はない。相手が悪いんだよ。守る対象も、立ち向かう対象も」


 崩れゆく守助に諌めるような言葉をかけ、蔑む視線が私たちに向く。


「ハッ……。いいのか? 人間相手にそんなことをして」

「やむを得ないさ。目覚めた後ショックを受けても、時間が過ちに気づかせてくれる。取り込んだ妖気については、ソレを殺せばいい」

「…………」


 冷淡に言ってのける冬汰。今度こそまずいか……そう思い鈴を抱く腕に力がこもる。そして気づく。


 殺意の目に射抜かれる鈴は、いつからか震えていなかった。冬汰など意に介していないように、惚けた顔で一点を見つめる。


「おい……? どうした鈴」


 それは、守助の方向だった。


「恥じ、るよ……」


 苦しげな声を聞き、冬汰がにわかに顔を顰める。


「相手がなんであれ……また見捨てるようなことになったら……! 俺は一生、俺のこと恥ずかしい奴だと思うよ!」


 守助はまだ完全に倒れていなかった。冬汰の腕を両手で掴み、すんでのところでこらえている。


「っ……あのなあ」


 当然一撃で沈むだろうと思っていたらしく、冬汰は戸惑いを浮かべて視線を戻す。ぶっちゃけ私も思っていた。ここに来ていい根性だぞ守助、もっと食らいつけ。


「妖怪を庇っても、いいことなんて一つもないんだ。君に思うところがあるのは分かったが、これは別問題なんだよ。これは見捨てるの範疇じゃない、なるべくしてそうなるだけだ」

「知らねえ……それは、あんたの理屈だろ。俺には、俺の理屈があるんだ……! 絶対っ! 鈴を殺させたりなんかしないッ‼︎」

「…………」


 冬汰の眉間にしわが寄る。私たちのみならず、とうとう人間相手にもイラつき始めたか。それもさっきまで無力だった小僧に。ククク、私の体たらくに目をつぶれば悪くない光景だ。


「……できれば、無関係の人間にまで明かしたくはなかったが。これを聞けば流石に気が変わるか」


 重たいため息を一つ吐き出し、冬汰はまっすぐに守助を見据えた。様子のおかしさに気づき、私は内心の笑顔を消す。


 明かしたくなかった……?

 なんだ、なにを言うつもりだ。


「同じような力を持つ妖怪が他にもいるかもしれない……。どころか、もっと恐ろしい存在がいても不思議じゃない。だから本当は、悪戯に話すべきじゃない。しかし君を諦めさせるためには、言って聞かせなければならないようだ」


 冬汰は掴まれているのとは逆の手を私に……。

 いや。鈴の方へと伸ばし、人差し指を向け。


「そいつには、この世とあの世を繋げる能力がある。放っておけばこの世が終わるぞ」


 あまりにも過ぎたことを言い放った。

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