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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第1章「奇譚開幕」
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第25話「無間の六魔・狂狸⑥-号哭は空へと消える-」

「……?」


 忌々しくも霞んだ視界に映るのは、俯せに倒れた景生。吐血する狂狸。


 そして——髪が左側から三割ほど、白く変色したあいつ。


「な…………」


 何なのだ……あいつは。放っている霊気すら、まるで別物だぞ。

 いや、違う。この骨を震わせられる感覚は……。思い返せば、さっき結界を容易く破壊した時と同じ。体から白い稲妻のように漏れ出してるそれは。


 貴様、それは…………その妖気(・・)は……⁉︎


「顔上げろ、狂狸……次は顔面だ」


 あいつは左拳を強く握りながら、恨み殺さんばかりの怒気を放つ。見開かれた目からは、止めどなく涙が流れ続けている。何もかもが、普段のあいつではなかった。


「……おかしいなあ。確かに滅多刺しにした……即死でなくとも致命傷だった……君如きが助かる手立てはなかった……それなのに……どういう事かなあ…………⁉︎」


 口元の血を拭いながら、狂狸は明らかに平静を崩していた。舐め腐った饒舌が、感情的になっている。

 当然だ。あいつ程度の退魔師なら、狂狸にかかれば傷一つ負わずに殺せただろう。それを、まさか血を流す事になろうとは。


 フフ……フフフフフフ。


「フハハ……! ざまあないな狂狸」

「……何だい。ズタボロで這いつくばってる癖に、掠れ声で口挟まないでくれる?」

「指図するな陰険粘着質ダヌキが。ソイツの変貌の理由は知らんが……原因の一端が貴様なのは明らかだぞ?」


 嘲笑う笑みなど完全に引っ込み、ただただ苛立ちを私に向ける狂狸。空っぽの眼窩を、瞼が細めた。


「どういう意味だい?」

「貴様はさっき、そいつを殺せる立場にあった……私はともかくな。なのにそうしなかった…………」

「……言ったろ? 生死は僕が決めると。僕の勝手だ」

「フン……昔からそうだったなあ狂狸……。貴様は弱者に対して本気を出さない。じっくり嬲る事を好んでいたものなあ…………フフフフ」


 喉の奥から笑いが込み上げてくる。

 傷は痛むが、笑わずにいられるか。

 狂狸が誤りだと証明されるのだから……!


「だから貴様は愚かというのだ! 殺せるのに殺さない……これはそのふざけた態度が生んだ結果だ……! 私を呆れさせるなよ、狂狸…………相手が誰であろうと、全力を以って叩き潰す。それが強者というものだろう⁉︎ それをしない貴様は、私に言わせれば弱者同然……ッ! より弱い者を嬲る事でしか、己を誇示出来ないと……そう公言しているようなものだ!」


 狂狸が右手を振り下ろした。

 左肩に鋭い痛み。血が噴き出す。


「つぁ……!」

「黙って聞いてれば。そんなザマの君に言われてもねえ」

「……『言われても』……何だ? やはり嬲らなければ黙らせられないか?」

「ッ! いい加減に——」


 狂狸は台詞を中断させられた。


 白い残光の尾を引いた、あいつの握り拳。それが狂狸の頭を、体ごと殴り飛ばしていた。瞬きもしていないのに、見えなかった。

 地面を無様に転げ、身を汚す狂狸。流石に笑いは堪えておいた。


「……満足か?」

「……ッ…………」


 私の方など見向きもせず、あいつは狂狸を睨み続ける。

 無視するなよたわけ。それとも聞こえてないのか?

 そもそもまともに思考出来ているのか?


「こんなもんじゃない……まだ…………清算出来やしない…………許さない……」

「……決めたよ。僕も許さない」


 隙を見せずに立ち上がった狂狸は、首をごきごきと鳴らす。髪をかきあげ、ない目玉であいつを睨んだ。額には青筋がくっきりと見える。


「こんな屈辱的な思いは久しぶりな気がするよ……。かつても感じた気がするけど覚えてないや。ありがとう、殺る気を煽ってくれて。お礼に君を殺したくて堪らないけどいいかな。なに、時間は取らせない。すぐ終わるから。……死を恐れる時間すら与えない」


 狂狸は血管を顔中に浮き上がらせ、歯を軋ませる。


相当頭に来ているようだが、若干冷静さも取り戻し始めているな。うざったい饒舌が戻ってきている。

 だが私の方もこれ以上黙っていられん。体力も少し回復してきた。冷気を呼び、風穴に集中させながら立ち上がる。


「次はさっきのようにはいかんぞ」

「……氷で穴塞いだくらいで万全のつもりかい? 笑わせる。それと氷凰……さっきの強者論は間違いだよ。嬲れるのは強者故にだ。全てを嬲り殺す権利が強者にはある。全てを上回り、泥水を啜らせてじっくり踏み砕く……それが強者だ」


 互いに、殺意で口元を歪める。


 やはり嫌いだ、こいつ。

 考え方が合わない。真逆だ。


 遺憾だが、今のあいつと私の二対一ならそこまで分は悪くない気がする。色々と不可解だが、気にしても何が分かる訳でもない。とりあえず狂狸を殺す。話はそれからだ。


「食らえ——」


 氷柱を放とうとした、まさにその時。

 狂狸の側に、黒い布を纏った何かが現れた。

 顔中に包帯を巻いたそいつは、小さな木箱を手に持っていた。


「なんだ、見つけたんだ。タイミング悪いなあ」

「……!」


 木箱の中身が何なのか。すぐに思い当たった。


「まさかそれが」

「ああ、どうやら黒禍の欠片の一つだ。割合にして五分の一」


 包帯頭から木箱を受け取り、狂狸は納得したように頷く。


「ふうん……確かに本物みたいだ。君らを殺した後にゆっくり探そうかと思ってたんだけど、この空割は少し有能だったみたいだ」


 肩を竦め、指を鳴らすと同時に、包帯頭の周囲の空間が歪んだ。それは円形へと形を整えられてゆき、やがて空間に開く黒い穴となった。


「最優先事項は黒禍の確保……。仕方ないな」

「待て貴様……!」

「逃がすかッ‼︎」


 私とあいつが同時に叫ぶ。

 だが、それ以上何も出来なかった。


 狂狸がこちらに片手を翳している。

 体が固まって動かない。


「僕としても残念だよ。でも物事には順位がある。今はコレ(・・)を持ち帰る事が一位だ。君らの生死じゃない」

「クソ……」


 もがこうとするも、どうにも出来ない。

 私とした事が、同じ手に二度も……!


「待て狂狸‼︎」


 手を翳したまま穴へと向かう狂狸に、あいつが声を荒げた。足を止め、横目で睨み返してくる。


「お前は絶対に許さない……必ず償わせてやる‼︎」

「へえ。で、どうするの?」

「俺に殺されろッ‼︎」


 怒り、そして恨み。

 血反吐を吐き出しそうな声には、それらが凝縮されていた。


「それは無理さ。その前に君を殺す。君は僕が殺したい。必ず殺す。他でもない、この僕が。……ええと……?」

「間定鱗士……お前を殺す退魔師の名だ」

「覚えておくよ。殺すべき退魔師の一人としてね」


 狂狸は笑う。

 殺気を交え合い、止めていた足を再び進める。


「——僕ら【(ゾウ)】は動き始めた。また会おう」


 それが最後に放たれた言葉だった。

 狂狸は穴の奥へと消えた。

 その穴も空間から消えた。

 固まっていた体が自由になる。


 狂狸など最初からいなかったかのような静寂が広がったが、私の声にてそれは破られた。


「おのれ……!」


 狂狸の奴……黒禍を集めてどうする気だ。今ので一枚、奴の手に渡ってしまったが……。あいつの手元には今何枚ある?

 それに【憎】だと。組織の名か? 聞いた事ない。首謀者はどいつだ?


「……!」


 あれこれ考えを巡らせる私の視界の隅に、動くものがあった。

 あいつが、今にも倒れそうなおぼつかない足取りで、倒れた景生の元へと歩いていた。







 上っていた血が、一気に頭から失せた。


 狂狸を殺せなかった。黒禍とやらも取られた。溢れていた力も、完全になりを潜めた。


 だがそれら全てを思考する間もなく。

 別の一つが、俺の頭を塗り潰していた。


「こん……な…………」


 微動だにしない、横たわった巨体。

 微塵も感じられない霊気。

 赤く侵食する地面。


「く……」


 躓いたように崩れ、地に膝と手を付く。顔を上げられない。受け入れたくない。


「……鱗……士…………」

「ッ!」


 頭がスプリングのように跳ね上がる。うつ伏せのままの師匠の顔が、僅かにこちらを向いていた。

 縋る思い、食らいつく思いで声を張り上げた。


「師匠‼︎」

「ハハ…………すまんな……。こんな様になっちまって…………」

「違う……謝んないでくれ…………! 俺が、俺が出しゃばんなきゃ……黒禍ってのを守る方に専念してれば…………」


 そう、取れる選択肢は一つじゃなかった筈だ。なのに俺は、感情任せに突っ込んで……こんな事に。俺はどこまで馬鹿なんだ……。俺が馬鹿なせいで……。


「鱗士…………そりゃ違うぞ。あの時……割って入らなくとも…………どうせ俺は、あの時点で既に、長くはなかった……。残された時間を、お前を死なせないために使えた…………。最善かは分からん……が、満足してる。だから……泣くな」

「止めてくれ……もう……」

「……今日、学校で何かあったな? 結界を突き破ってきた時の、お前の面…………見違えるようだったぞ…………。良かった。お前の成長を、最期に感じられて……」


 最期。

 嫌でもその言葉が耳につく。


「一つ、頼まれてくれ…………。焔ヶ坂山(ほむらがさかやま)という場所がある……そこの長に、虎乃と龍臣と、氷凰と一緒に……この事を……伝えに行ってくれ……」

「…………アンタが行けばいいだろ。そんな傷治して……自分で行けば…………!」

「…………」

「……っ」


 師匠の訴える視線が、網膜に焼きつく。

 その瞬間、何もかも悟った。


 そうか……もう…………。

 そうなるしか、ないのか…………。

 もう…………どうしようも…………。


「分かった…………」

「……すまん」


 項垂れるように頷いた。

 地面に水滴が、一つ二つと増えていく。


「それと、氷凰……いるか?」

「……なんだ」

「引き続き、頼む……鱗士の事を…………」

「…………」


 奴は無言で返した。しかしあの冷たい威圧感はなく、何かを押し殺しているようで。奴が何を思っていたのか、俺には分からなかった。


 だが師匠にとっては、それで十分だったらしい。これ以上何も言わなかった。


「ったく……虎乃や、龍臣にも……お前にも。もっと色々教えてやりたかったのに……言いたい事も、山程あるってのに…………。こんな様じゃ、立派な師匠とは……言えねえな……」

「……違う」


 それだけは、否定しなくては。

 本人にとっては深い意味のない、うわ言のようなものだったかも知れない。それでも、否定せずにはいられなかった。


「アンタは……俺を拾ってくれた。ずっと感謝してた……いくらしても足りない……。こんな無愛想で、死に急ぐ生き方を止めようとしなかった俺を……見捨てないでいてくれた。戦う術を教えてくれた……。今日まで育ててくれた……。楽しかった……心が安らいだ。俺は、両親の事なんて知らない……でも、俺は…………」


 嗚咽が酷くなってきた。

 それでも、これだけはしっかり伝えなければ。


 必死になって、ようやくその言葉を紡いだ。


「——俺は、アンタの事……父親みたいに思ってたよ」


 大量の水滴が、目に入る光を歪める。

 そのせいで、師匠の表情は分からなかった。


「…………あとは、託したぞ……。息子よ——」


 師匠の、優しげな声。

 柔らかな風が吹き始めた。そっと手を引くように儚げに、俺の頬を撫でた。涙を拭う。師匠は笑っているようだった。


「……今度は、まだ」

「え……?」

「俺の所に、来るんじゃないぞ」


 さっきに比べ、流暢で自然に発せられた言葉。


「…………——」


 それを最後に、瞳から光が消えた。


「っ‼︎」


 何かが消えた。

 形はない。

 見えもしない。


 だが今、確かに消えた。

 師匠の体から、何かが。


「師……ッ⁉︎」


 叫びを喉に詰まらせる。

 今度こそ、俺の呼びかけに応える事はない。

 確信できてしまった。


 終わってしまった。


「おい……⁉︎ 景生‼︎ おい⁉︎」

「…………う」


 奴が近くにいる事も忘れ、泣き崩れた。額に土が、そこに流れ出ていた血が付着しても気に留めず。


 喀血しそうなほど喉を酷使して、泣いた。


「うああ……ああああああああああああああああ‼︎」


 命も、俺の叫びも。

 まだ青い空へと消えていった。

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