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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第1章「奇譚開幕」
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第26話「交差する啖呵」

 灰色の空。心なしか重く、淀んだ空気の下。

 学校の制服を着て、家の外の塀にもたれかかって宙を眺めていた。太陽が見えない程に雲は厚く、今にも降り出しそうな雰囲気だ。家に入ればいいのだろうが、どうにも気分にはならなかった。

 隣の二人も、同じ気持ちだろう。


 左隣を横目で見る。そこにいるのは、喪服姿の兄弟子たち。蹲って顔を伏せ、小さく肩を揺らす虎乃と、煙草を咥えたまま、少し俯いた龍臣。


 家の中には入りたくない。そこには今、白い布がかけられた平机がある。その上には、布で包まれた直方体、達筆な字の書かれた木の板……そして、黒いフレームで覆われた、師匠の写真。


 俺はまた上を向いた。そうしないと、色々と零れ出してきそうだった。


「…………」


 誰も喋らない。

 さっきから一度も会話がない。

 故にただただ続く、静寂。


 永遠に続くかと思えたその時間は、不意にかけられた声で終わりを迎える。


「あ、見つけた。こんな所にいたのか」


 口調は男勝りだが、女性の声だった。

 門の方に目を向けると、凛とした雰囲気の女性が、俺たちに眼差しを向けていた。服は虎乃たちと同じく喪服で、長い黒髪はバレッタで後頭部に纏められている。


術丘(すべおか)さん……」


 知っている人だった。

 彼女は術丘朔夜(すべおかさくや)

 俺たちと同業者——退魔師。そして師匠と同じ人の元で、共に師事していた人。即ち、師匠の兄弟弟子だ。付き合いの長さで言えば、俺たち三人よりもずっと長い事になる。


「…………」


 術丘さんは目線を下げる。蹲る虎乃を視界に捉えたようだ。俺の前を横切り、虎乃の前で立ち止まる。そして同じくらい姿勢を低くして、右手を虎乃の頭の上に優しく置いた。


「……う…………」


 目を真っ赤に腫らした虎乃が、僅かに顔を上げる。


「いいんだ。泣いておけ、白井口。私で良ければ、いくらでも胸を貸すぞ」


 子供を宥める親のように、柔和な声で語りかける。虎乃はますます涙を零し、術丘さんに縋り付いた。


「うわあぁーーーん! さ、さくやんさーーーーん!」

「よしよし」


 声をあげる虎乃を、この人はどんな表情で抱きしめているのか。角度の関係で確認出来ないが、俺には容易に想像出来た。

 龍臣と目が合う。俺と同じ事を考えていたらしく、互いに少し苦笑いする。


「……間定、少し話がしたい。構わないか?」

「俺ですか? ……はい」


 術丘さんは顔を上げ、真剣な目を俺に向けた。

 何故俺なのか……理由は考えるまでもない。師匠の最期を看取ったのが俺だからだろう。


「白井口。少し留守にするから、代わりに青葉の胸貸してもらえ」

「うぐ……た、た、た、たづおみーーーーー!」

「うわ⁉︎ 落ち着け! まず鼻水を拭け! こら煙草が危ないだろ!」


 いきなり振られ、てんやわんやになる龍臣。御構い無しに抱きつこうとする虎乃。沈んだ雰囲気が、元に戻り始めたように感じた。気分が少し楽になる。


 術丘さんは手招きし、門の中へと入っていった。一度深呼吸してから、俺も続いて中に入る。


「……ふう」

「…………」

「白井口……。いつもの元気な姿も可愛いが、泣き顔も……いいな」

「戻っていいですか」


 口元を綻ばせながら、術丘さんは振り返りざまに一発かましてきた。真剣な話を想定していた俺は、割と冷たく言い返す。


 まあ、分かっていた。

 術丘さんは美人で面倒見のいい出来た大人の女性だが……こういう人でもある。さっき虎乃に泣きつかれた時など、子猫を抱いた猫派みたいにだらけきった顔をしていたに違いない。


「まあ待て。真面目な話、ギャップ萌えというのは侮れるものでは」

「…………」

「分かったすまん。沈んでいるのも良くないと思ってつい……。にしても無言の圧を出すのが上手いな」


 術丘さんはコホンと咳払いをし、真剣な表情を作り直す。出来れば最初からその顔でいてほしかった。


「……例の妖怪は、今いないのか?」

「例のって……」


 すぐに思い当たった。アイツの事だ。


 術丘さんは軽く周囲を見回す。しかしその姿を捉える事は出来ないと踏んでか、すぐに俺の方に見直る。


 しかし俺も実は、今朝からアイツの姿を一度も見ていなかった。家の中のどこを探しても見つからない。

 以前の俺なら、血眼になって捜索に乗り出していただろう。だが今は、そんな焦燥は微塵もなかった。


 理由は……。

 俺がアイツを、————からだろう。


 何にしろ、いないのは好都合だった。今日は退魔師関連の人も来ている。見つかれば大ごとだ。


「知ってたんですか」

「? おかしな事を言うな。当たり前だろ」


 キョトンとした顔で、首を傾げられた。

 そしてすぐ合点がいったように視線を下げ、顎に手を当てた。


「導木の奴、言ってなかったのか……」

「何をですか?」

「……アイツな。お前とその妖怪の関係を容認してくれと、私の所に頼みこんできたんだ」

「……!」

「それだけじゃない。どうやら、ほかの退魔師にも頭を下げに行っていたらしい。『自分の弟子と【無間の六魔】の命が連結した。どうか手出しをしないで欲しい』とな」


 心臓が、熱くなった。そして記憶を追懐する。


 俺とアイツが会ってから少し後、師匠は家を空けた。あれは黒禍を持ち帰る仕事だった筈だが、他に家を空けた期間はない。つまり、この二つをほぼ並行して行ってたって事になる。

 多分、あの日から既に都合をつけていたんだ。俺とアイツが、出会った日から。でなきゃそんな短期間で退魔師たちに直談判なんて、出来る筈がない。


「でも……俺が言うのも何ですけど、そんな頼みが」

「普通は通らないだろうな。【六魔】と言えば、歴史上最強とも言われる化物。一人の犠牲で始末出来るなら儲けもの、と考える者が大半だろう」

「なら何で……!」

「アイツだからさ」


 簡潔に、一言で、これ以上の理由は何もないとでも言いたげに。術丘さんはさらりと言った。

 そしてそれは、俺の胸に深く突き刺さった。


「あの導木景生が頭を下げている。余程の事だと全員が思った事だろう。それでも首を縦に振るのは厳しいだろうが、アイツ一歩も引かなかったらしいぞ? 結局、頼まれた全員が折れたんだそうだ」

「…………」


 俺のために……そんな無理を押し通していた。一言もそんな事、言わなかった。素振りも全く見せなかった。俺に何も気負わせないように……。


「……間定、最近何かあったのか?」

「何でですか」

「顔つきが全然違う。何と言うか、先に希望があるような」

「……ですかね」


 ふと、ある少女の言った事を思い出す。

 そうだ。師匠の他にもう一人、恩人がいたんだ。結局あの後、学校には行けなかった。約束を破ってしまった。早いうちに謝らなければ。


「お前もそんな風に笑うんだな……。特に危なっかしいお前に、色々忠告してやろうかと思っていたんだが……どうやら杞憂だったようだ」

「え……いま笑ってましたか?」

「しかも無自覚。いや、いい事だ。気にするな」


 安心したように、術丘さんは笑った。今は悲しい筈なのに。

 この人も、ずっと俺の事を心配してくれていたのだろう。虎乃や龍臣、師匠、他の人々も。


 今なら、理解出来る気がする。

 周囲の心配を無下にしてきた、今までの俺の愚かさを。


「あ、そうだ術丘さん。頼みがあるんですけど」

「何だ?」

「師匠の使ってた錫杖、預かってもらえますか?」

「……真っ二つになっていたな。直すくらいお安いご用だ」


 術丘さんは、退魔師の使う武器に精通している。修理はもちろん、一から新しく作ったりするのも得意らしい。

 だが俺の意図は、それだけじゃなかった。


「その……直した後も、しばらく預かっていて欲しいんです」

「? 何故だ」

「……虎乃と龍臣に、あれは俺に使って欲しいって言われました。嬉しいんですけど、何か恐れ多くて……。つまり……その」

「なるほど……。要は扱うに相応しい男になるまで、私に持っておいて欲しいと」


 改めて他人から言われると、かなり恥ずかしい。顔が赤くなっているのを実感できる。自分がこんな青臭い事を考えるのも、新鮮に思えた。


「駄目ですか? 術丘さんなら安心して預けていられるんですけど……」

「構わんよ。ただし、必ず受け取りに来い」


 快活に笑いながら、俺の肩を叩く。

 受け入れてもらえて胸をなでおろす。良かった。術丘さんがこの話を断るとは思ってなかったけど。


「はあ……あの見事な錫杖はしばらく私の手の中か。丁寧に触り尽くして、見事に修復してみせるから安心してくれ。その間……ふふ、眼福眼福」


 だってこういう人だから。頰に手を当て、目を閉じ何かに耽り始めた。

 同性だけでは飽き足らず……。俺は思わず一歩後ずさり苦笑いした。


「あと、最後に一つ聞きたいんですけど。焔ヶ坂山って知ってますか?」

「! どこでそれを?」

「……師匠が俺たちに、そこへ行けって」

「そうか……。質問に答えるならば、イエスだ。だが詳細は私の口から言う事ではなさそうだな。導木が行けと言ったのなら、自分たちの目で確かめて来い」

「……はい」


 詳しい事は分からないが、どうやらそこに何かがあるようだ。確か、長に会いに行けと言っていたが……何者なのだろうか。


 まあいい、行けば分かる事だ。


「ありがとうございました」

「いいさ。気にするな」


 頭を下げる。術丘さんは、屈託なく笑った。







 雲は晴れたが日は落ち、既に夜の帳は降りていた。訪れていた人々は全員帰路につき、いるのは弟子三人だけとなった。

 虎乃は少し前に落ち着きを取り戻し、泣き疲れたのか今で眠ってしまっていた。龍臣はそれに付き添う形で、卓袱台の前に座っている。

 そして俺は、何となく庭に出て夜空を見上げていた。無音で届く光も少なく、微風が髪を揺らす空間。


 背後に、気配を感じた。振り向くまでもなく、俺はその正体を察した。


「……今までどこにいたんだよ?」

「さあな」


 この短期間のうちに聞き慣れたアイツの声が、後ろから耳に届く。言葉を交わせば口喧嘩だった頃に比べれば、互いに無愛想ながら成長したんじゃないかと思う。


「ちょっと面貸せよ。話がある」


 ここでようやく振り返り、アイツと対面する。腕組みに仁王立ち、こちらを睨むように見る水色の瞳。それは最早、俺の中でのコイツのデフォルトだった。


「最初に言ったよな。俺は自分が死ぬ事に躊躇はないって」

「ああ……。思い返しても腹立たしい台詞だ。お陰で私は、貴様程度に行動を制限される事になった」

「……事情が変わったぞ。俺はまだ死にたくない。死にたくなくなった」

「…………」

「師匠は俺に言った……『あとは託した』って。俺なんかに、託してくれた。俺の事を信じてくれた。だから俺が死ぬって事は……師匠の意志が無駄になるって事だ。師匠を、無駄死にさせたって事になる」


 俺はアイツに歩み寄って行く。アイツは動かず、俺を見据え続けている。


「師匠は立派に生きていた。凄い人だった。俺を二度も救ってくれた。……あの人の今までを、無駄になんかしてたまるか……ッ!」

「…………」

「だから俺は死ぬ訳にはいかない。でも問題が一つある……お前だ」


 アイツとの距離数メートルの所で足を止め、代わりにアイツを指差した。奴の眉が怪訝げにピクリと動く。


「……は?」

「俺とお前は、生死を共有してる。お前が死ねば、俺まで死ぬ事になる。“結命鎖縛”は、もう俺には解除出来ない。元々はいざって時の道連れ技だからな。解除なんて概念はないんだ」

「おい⁉︎ 初耳だぞそれは! 改めて厄介な術を貴様……」


 仁王立ちが崩れ、アイツはあからさまに慌て出した。頭を抱えて唸るその姿に、安心感さえ覚えてしまう俺がいる。


「もう済んだ事だ。仕方ないだろ」

「そんな簡単に済ますな!」

「仕方ないっつってんだろ」


 一度、大きく息を吐く。そしてまっすぐ、アイツを見据える。


「だから頼む。死ぬな。もしやばくなったら、仕方ないから助けてやるよ。分かったか——氷凰(・・)

「……!」


 初めて呼ぶ名。

 初めての響き。

 それは鮮明に、俺の耳に届いた。


 氷凰にも、同じように聞こえただろうか。


「……ふん」


 数秒呆気にとられていた氷凰だったが、すぐに取り繕って偉そうな仁王立ちに戻った。


「どの口が偉そうな事を……。『死ぬな』? 『やばくなったら』? 『助けてやる』? フハハハハ! 笑わせるなよたわけが! 私は氷凰だぞ⁉︎ 【無間の六魔】だぞ! この私が貴様に助けられる事など、今後起こる筈がないだろうが!」


 尊大な態度と口調でまくし立てる。氷凰はこういう奴だ。


「だから……心配するのなら、自分の身を案じる事だな。貴様は気に食わん奴だ。貴様の信念など、私にはどうでも良い。私を縛る張本人を気に掛けてやる道理はないが……道連れはやはり癪だ」


 いくらか声を落ち着かせ、頭を掻きながら俺を見る。初めのあの頃よりかは、刺々しさは減った気がする。


「貴様、私に黙って死んでくれるなよ。助けを呼べば、遺憾ながら私がどうにかしてやらん事もない。肝に銘じておけ——鱗士(・・)


 互いに口角を上げ、歯を覗かせながら、視線と啖呵は交差した。


 互いに初めて呼び、呼ばれた名前。

 やっぱり、さっきも思ったが。

 なかなかどうして、悪くない。


 理由は……。

 俺が氷凰を、信じ始めたからだろう。

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