最終話、実に面白い
初秋の空気は、ひっそりと季節の境目を知らせる。
陽射しはまだ柔らかく温かいのに、
風だけがひと足先に涼しさをまとい、
木々の葉をそっと揺らしていく。
ここは、奥多摩市でも有数の閑静な住宅街で、細君の地元ということもあり、
大学退官を機に遊川はここを終の棲家にと、細君と共に引っ越してきた。
喧騒の都内を離れて三年、ようやく田舎暮らしにも慣れてきた遊川だったが、
母校でもあり、かつて研究に勤しみ、教鞭を執ったT都大との関係は切れず、
時折、特別講義の依頼がある。
今日も、自室で三日後に控えた特別講義の準備をしていると、
携帯の通知音が鳴り、遊川は手に取って開いた。
すると、地元紙・奥多摩日報の新着ニュースが届いていた。
タップして新着ニュースを開くと、「空中停止の謎、解明される!」と、
そこには人目を惹く見出しが躍っていた。
ニュースでは、遊川の推測通り、車が射出装置代りをしていたことが
科捜研の調査で判明したと、記載されていた。
この記事を読んだ遊川が薄っすら笑みを浮かべていると、
そこにお茶を持って細君が部屋に入ってきた。
「あら、何かいいことがあったんですか?」
細君の指摘に遊川は小さく顔を振った。
「いやっ、別に。ただ、物理学は裏切らないと、再認識しただけさ」
「?」
夫が常人には理解しがたいことを口にすることは、
すでに細君にとっては日常の一部になっていたので、
そこには触れずに水を向けた。
「ところで、あなた、久佐薙さんの社外取締役就任祝いのことなんですけど」
「う~んっ、たぶん何を送っても、あまりいい顔はしないだろうな」
夫の意外な物言いに細君は首を傾げた。
「なぜです? 大手警備会社の部長職から社外取締役になるんですよ」
「まっ、世間一般では出世ということになるみたいだが、久佐薙にしたら、
毎日、ケツで椅子を磨いていることに変わりはないからな」
「まっ」
細君が呆れていると、再び遊川の携帯が鳴ったが、
今度は着信音だった。
携帯を手に取り、画面に表示された名前に見えて、
一瞬、遊川の顔が曇った。
出るか出ないか、迷う遊川に細君は出るように促した。
「出てあげたら? 宇津見さんとも付き合いは長いんでしょう」
仕方なく遊川が通話ボタンをタップすると、
宇津見のけたたましい声が響いた。
『先生、大変なんです! 助けてください!』
「宇津見君、いま君は出向中とはいえ、特別官房参事官なんだろ。
警察庁が個別の事案を扱っていいのか?
警察庁は本来、全国の警察活動を統括する機関であり、
実際の犯罪捜査や取り締まりは行わないだろう」
すでに古巣の捜一モードに入っていた宇津見は、
遊川の正論をガン無視した。
『先生、港区の繁華街で殺人事件があったんですが、
これが手も触れずに人を空中に持ち上げて引き千切ったんです』
「手も触れずに?」
少しばかり興味を示す遊川の声に、宇津見は畳み掛けた。
『はいっ、多くの目撃者が口を揃えて“まるで念動力を使って殺したみたいだ”と言ってました』
「念動力だと」
明らかに声を上ずらせる遊川に、宇津見は窺うように訊いた。
『ご興味いただけましたか?』
「いやっ、別に。先を続けたまえ」
必死に堪える遊川に、宇津見は理解不能な事件の顛末を話した。
『はいっ。しかも、その男は大勢がいる目の前で、
ガスみたいな気体になって、文字通り煙のように消えたんです』
「煙のように消えた?」
そして、宇津見はダメ押しの一言を放った。
『こんなのあり得ませんよ!』
「あり得ない? フフフフッ、実に面白い」
二人がお約束の掛け合いをする中、
庭先ではどこからともなく漂う金木犀の香りが、
夏の終わりと秋の始まりを静かに告げていた。
《おしまい》




