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一、空中停止

 私はいったい、何を見せられているんだ?

 警視庁に奉職して二〇数年。

 以来、様々な事件事故に立ち会ってきたが、

 こんな現場、記憶にない。



 新緑が目に染み、風が薫る初夏、奥多摩市内のとある交差点。

 パトカーの赤色灯が回転し、野次馬がざわつく中、

 尋常でない現場を目の当たりにして私くしこと、

 桐野 忠行(巡査部長、四八歳)は困惑していた。

 

 というのも——

 青い大型バイクが、信号機のポールに“ぶら下がって”いたからだ。


「前輪が見事に信号機の支柱に引っかかってますね。

 まるで洗濯物のハンガーですね」


 中島(巡査、二三歳)が見上げながら驚嘆の声を漏らすと、

 私も驚きを隠せなかった。


「そうだな。前輪と車体の間に寸分の狂いもなくポールに

 引っかかって安定感のある状態で垂直静止している」

「地上から数メートルですし、

 これはどう見ても人力では無理ですよ」

「確か、標準的な車道用信号機は

 地上から約五メートルの高さにあるからな」


 想像の斜め上を行く現場を前に、私たちはしばし立ち尽くした。



 事の起こりは今から遡ること一〇分ほど前、

 車両警ら中の私たちは交差点での車とバイクの接触事故の一報を受けた。


「こちら、第九方面自動車警ら隊、第三中隊所属、

 第二小隊多摩中央分駐所四〇三号。直ちに現場へ向かいます」

「巡査部長、ここからだと一〇分程度で現着します」

「中島、赤色灯を回してサイレント鳴らせ」

「はい」

 

 中島が赤色灯とサイレンのスイッチをいれると、

 すかさず私はマイクを取った。


「緊急車両通過します。緊急車両通過します」


 私の呼びかけに、前方車両は次々と左に寄せて道を開けた。

 流れるサイレンを聞きながら中島は前から目を離すことなく、

 それとなく私に訊いてきた。


「巡査部長、車とバイクの接触事故って言ってましたけど、

 どんな感じなんですかね?」

「現場があの交差点なら、おおかた出会い頭に

 “ドン”ってやっちまったんじゃないか」

「なるほど、あそこの事故件数の半分以上が出会い頭ですもんね」


 私のベテランらしい読みに中島も肯いた。


 やがて、事故現場に着いた私たちは、まずは現状保全のために

 規制線を張ると同時に黒山の人だかりを現場から遠ざけた。


「ハイハイ、下がってくださいね。中島、そっちはどうだ?」


 熱心に撮影するスマホだらけの人だかりを

 規制線の外に追い出しながら私が尋ねると、

 中島は手を焼きつつ、答えた。


「もうすぐ終わります。あっ、入っちゃダメですよ。

 公務執行妨害になりますからね」


 一通りの保全作業を終えた私たちは、改めて事故現場に目をやった。

 片側一車線の交差点中央付近には左フロント部分を大破した

 シルバーのBMWが無残な姿を晒し、

 少し離れた路肩の縁石には事故当時者である二人のドライバーが

 腰を掛けて救急隊員から応急処置を施されていた。

 二人とも、救急隊員とちゃんと受け答えしながら、手当を受けている。


 その様子に私はホッと胸を撫で下ろした。


「どうやら、命に別条(べつじょう)はなさそうだな」

「よかったですね。でも……」


 そう言っただけで、辺りをキョロキョロ見回す中島に私は怪訝な顔をした。


「どうした? 事故原因なら鑑識に任せておけばいいだろう」

「いや、車は交差点中央にあるんですが、バイクはどこにいったんでしょうか?」


 確かに、中島が言うように、交差点内で起こった接触事故なら、

 飛ばされたとしても、せいぜい半径数メートル程度だ。


 そう考えた私も辺りを見回していると、規制線の向こうから野次馬たちが、

 全員腕を上げて、しきりに後の信号機を差している。

 何なんだと不審に思いつつ、肩越しに信号機を見上げると、

 そこには、なんと青いバイクが信号機のポールに“ぶら下がって”いたのである。

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