第8話
マオとは幼馴染だった。とはいっても、シティは小さな社会だから、大体が幼馴染と言えよう。
昔は泣き虫で人見知りで、誰かに話しかけられようものなら素早く自分の背中に隠れていたのをナギは思い出した。それが今や――
「探したぞ、ナギ!」
いくら背面の高いソファとはいえ、長い手足を隠すのは難しかった。ナギの居場所はすぐにマオに見つかり、それでも抵抗するようにナギはソファに身体をうずめたが、すぐに近づいてきた人物の影に覆われた。
「おいおい、こちとら読書中——」
「なぜ出ない!」
ナギは上から降ってくる大声に思わず目を瞑って顔をしかめた。とりあえずしらばっくれようと「何の話?」と返してみる。
「阿呆、姉さんの婚礼の儀だ」
「ああ・・・」
分かっていた答えにため息をついた。ソファから見上げると幼馴染のマオが眉を吊り上げてこちらを見下ろしていた。いつもはナギが見下ろす立場なので、珍しい構図に吹き出しそうになるが、慌てて表情をつくる。歪んだ口角を見てマオはさらに吊り上げた眉の角度を上げた。そこには幼い頃の泣き虫で臆病なマオの面影はないが、唯一長いまつ毛が頬に影を落とすところはあの頃と変わっていなかった。俯くと可愛らしく見えるそれが本人にとってはコンプレックスらしい。
「任意だって聞いた」ナギは本に視線を戻してそっけなく言った。
この部屋に入ってから本の内容なんて頭に入っていなかったし、そもそも一度読み終えた本を持ってきていたが、本は小道具として非常に優秀で、この状況でもマオが読書という行為を遮る自分と葛藤している躊躇いがところどころ見える。
「そりゃな・・・そりゃそうだけど・・・おまえ・・・薄情者!」
素っ頓狂な物言いにナギは思わず噴き出す。
猪突猛進。マオを表すにはぴったりの言葉だ。
とにかく目の前のことに全力で、向こう見ずで、突っ走っては壁にぶつかりひっくり返る。その真っ直ぐさが好感を得て老若男女問わずめでたく人気者になった彼だが、ナギを前にするとさらにそのひっくり返る様が見事だった。
「もっと考えてこなかったのかよ。俺を説得しにきたんだろう?」
「いや、まさかの答えだったから」
「まさかだったか?」
「てっきりまた調律師のところに行っているのかと」
「カイさん、な」
マオは脱力してナギの隣のソファに腰かけた。首元まで締めたシャツのボタンをゆるめてため息をつく。
「行ってたさ。今は十一時三分。カイさんはとっくに帰ったけど」
マオは「知らんがな」という顔をしてソファに身を預けた。そして恨めしいという顔でナギを横目で見る。
「もしくはアオの婚礼に反対なのかと」
「俺が?」
そう思われていることは知っていたが、一応驚いた顔をしてみた。
マオと、マオの姉アオとは幼い頃よく共に行動していた。そのせいか二人の両親からはよくナギとアオはこれだけ仲良く相性も良いのだから、中央様もお選びになるだろう、と言われた。中央様——市民の運命を握る、神様のような存在。
(実際は―――)
ナギは天井の角にある銀色の塊を会話の中でさりげなく見つめる。一見配管の一部かのように施してあるそれを、映像を記録し監視するものだと気づいているのは自分以外にも多くいるはずだ。
(——ただの機械の計算の結果だけど)
「もう言い飽きたし否定するのも面倒だけどさ・・・」
「わーかってるよ。お前とアオが姉弟みたいな関係だってことくらい」
面倒くさそうに顔をしかめながら言いかけたナギに、マオも同じように面倒くさい、と言わんばかりに遮った。
「でも当日来ないとなると、ちょっと思い出すだろう、昔のこと」
「悪かったって」ナギは観念して言った。「なんていうかその・・・正直どうでもよかったんだよ」
マオはなんてことを、と絶句してソファから身を起こし、ナギのことを見た。
「違う違う。アオのことはめでたいと思ってるよ。幸せになるといいなって。でもその、システムそのものっていうのかな」
ナギはちらりと天井の隅を見て声を潜める。
「儀式なんてどうでもいいんだ。明日からアオとその・・・誰だっけ?相手の名前は」
「トノだよ。お前、家も近所だろう」
「そうそう・・・あ、ていうか相手トノなの?へえ、知らなかったな・・・で、そのトノとアオは一緒に暮らす。そしていつか子を儲ける、そしてここでずっと暮らしていく。それだけだ。俺たちは何も変わらない」
「何が言いたい?」マオは呆れながらもナギに合わせて声を潜めた。
「つまり、俺たちはなんの選択肢も持たない」ナギは手元に持った本で口元を隠しながら言った。白に近い金髪が額から落ちてきて目元をも隠す。
「意味なんてない。ただ決められた未来をなぞるだけだ」
隣でマオが息をのむ気配がした。そしてマオの視線が一瞬だけ天井を舐めた気配も。




