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建国記異聞  作者: 奪胎院
第六部

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第六章:新しいローマ

第六章:新しいローマ


第一幕:ローマへの凱旋


紀元前29年夏、ローマはかつて経験したことのない熱狂に揺れていた。


エジプトを完全に平定し三百年続いたプトレマイオス王朝の莫大な富を国庫に収め、我らが主君オクタウィアヌスはついにローマへと帰還した。


その凱旋式は三日三晩にわたって続けられ、神君カエサルが四度行ったあの壮麗な凱旋式さえも霞むほどの圧倒的な規模と豪華さだった。


俺、マルクス・ウィプサニウス・アグリッパは黄金に輝く戦車の上で、友の隣に立つことを許されていた。


沿道を埋め尽くす市民たちの途切れることのない歓声の波。


彼らの顔にはもはや飢餓の恐怖も内乱の不安もなく、ただ純粋な平和への感謝と未来への希望だけがそこにはあった。


俺の脳裏にこれまでの道程が走馬灯のように駆け巡っていた。


紀元前44年アポロニア、カエサル暗殺の報にただ震えることしかできなかった無力な若者。


あの日から十五年。フィリッピの荒野を、ペルシアの丘を、そしてアクティウムの海を、我々は血に塗れて駆け抜けてきた。


そして今、その長い戦いが本当に終わったのだ。


俺は熱狂する市民たちの顔を見ながら、この十五年というあまりにも長く、そしてあまりにも短かった時間の重みを噛み締めていた。


第二幕:たいまつの継承

凱旋式の熱狂がようやく落ち着きを取り戻した数日後のことだった。


俺とオクタウィアヌス、マエケナス、そしてリウィアの四人は連れ立って、ローマ郊外にあるあの静かな邸宅を訪れていた。


カエサルの遺臣であり我々の師でもあるレビルス、オッピウス、バルブスの三人が穏やかな引退生活を送るあの場所へ。


これが新しい時代を担う我々と、古い時代を支え続けた彼ら新旧世代が公式に顔を合わせる最後の会談だった。


庭園の東屋で我々を迎えた三人の顔には、深い安堵とそして満足の色が浮かんでいた。


まずオクタウィアヌスが三人の賢人たちを前に深く頭を下げた。


「レビルス殿、オッピウス殿、バルブス殿。これまでのあなた方のご支援、心から感謝いたします。あなた方が、あの暗黒の時代に我々に道を示してくださらなければ今の我々はありませんでした」


その心からの言葉に、レビルスが穏やかな笑みを浮かべて静かに答えた。


「顔を上げてください、オクタウィアヌス殿。我々はただカエサル閣下のご遺志に従ったまでです。我々が守り育てたかったのは、閣下が夢見たローマの未来そのものでしたからな」


オッピウスがその言葉を引き継ぐ。


「そうだ。そして君たちは我々の期待を遥かに超える結果を出してくれた。見事な戦いだった、若き獅子たちよ」


そして最後にレビルスは我々四人の顔を一人一人慈しむように順に見渡し、力強いエールを贈ってくれた。


「カエサル閣下が本当に目指しておられたのは単なる勝利ではない。戦いのない、法と秩序による平和な世界だ。アントニウス殿のような英雄の気まぐれでも、元老院の派閥争いでもない。ただ法だけが人を支配する静かなる世界。…君たち四人ならその誰もが見果てなかった夢を必ずや作れると信じている」


その言葉はまるでたいまつのように我々の胸に熱い光を灯した。


会談の終わりにオクタウィアヌスはレビルスに向き直り、一つの特別な依頼をした。


「レビルス殿。あなたにはカエサル閣下の膨大な蔵書とその思想を受け継ぎ、ローマに新設する公共図書館の初代館長となっていただきたいのです。そして未来のローマを担う若者たちの教育にあたっていただきたい。あなたのその比類なき知性をこれからのローマのために使っていただきたいのです」


それはもはや剣も謀略も一切必要としない戦場とは無縁の仕事だった。


だがこの国の百年先の未来を作る上でこれ以上に重要な仕事は存在しない。


レビルスは一瞬驚いたように目を見開いたが、やがてその顔に心からの静かな笑みを浮かべると深く頷いた。


「…謹んでお受けいたします。それこそが私に残された最後の、そして最高の仕事でしょうな」


第三幕:礎の再建

旧世代からの温かい祝福と力強い激励を受け、我々はローマへと戻った。


その数日後、オクタウィアヌスは再び我々三人を自らの執務室へと集めた。


彼は窓の外に広がる平和を取り戻したローマの街並みを静かに見つめながら語り始めた。


「内乱は終わった。だが我々の仕事はまだ終わっていない。いや、むしろここからが始まりだ」


その声は凱旋将軍のものではなく、国家の未来を憂う一人の孤独な建築家の声だった。


彼は机の上に広げられた一枚の古い設計図を指さした。


それはかつてカエサル閣下が夢見ていた新しいローマの都市計画図だった。


「父上が本当にやろうとしていたのは単に敵を打ち破ることではない。この百年もの内乱で疲弊しきった共和政という古い仕組みそのものを、未来永劫続く新しい国家の形へと作り変えることだった」


彼の言葉に俺たちは息を飲んだ。


「共和政は確かに偉大な仕組みだった。だがそれはローマがまだイタリア半島の一都市国家であった頃の仕組みだ。地中海世界全てを支配するようになったこの巨大な国家を、もはやあの古い仕組みで統治し続けることは不可能だ。父上はそのことに誰よりも早く気づいておられた」


彼は俺たちの顔を見渡した。


「父上がこのあまりにも巨大な大事業に着手しようとした時、彼はすでに五十代だった。時間もそして理解者も彼にはあまりにも少なすぎた。だが我々はまだ若い。我々には時間がある。そして互いがいる。我々ならきっとやり遂げられるはずだ」


そして彼は俺とマエケナス、そしてリウィアの三人の前に向き直り、その瞳に静かな、しかし燃えるような情熱を宿して、未来の仕事について語り始めた。


「アグリッパ。君には、まだ服従せぬヒスパニアの山々を完全に平定してもらいたい。だが、君の本当の戦場は、ここローマだ。この街に、清らかな水を運ぶ新しい水道を建設し、神々の神殿を修復し、市民のための浴場を築く。君には、ローマを『煉瓦の都』から『大理石の都』へと生まれ変わらせる、その槌を振るってもらう」


「マエケナス。君には、ヴェルギリウスやホラティウスのような才能ある詩人たちを支援し、我々が築く新しい時代の物語を、言葉の力で紡いでもらいたい。剣や法だけでは、人の心は掴めない。内乱で引き裂かれたローマ人の心を、文化の力で一つに繋ぎ合わせる。それが君の戦いだ」


「そして、リウィア。君には、このパラティヌスの丘の家を、全てのローマ家庭の模範としてもらいたい。君の貞淑さと気品が、失われた古き良きローマの道徳を蘇らせるだろう。そして、君のその確かな目で、新しい国家を支える有能な人材を見出し、育ててほしい。君が、この国の、見えざる骨格となるのだ」


その言葉は、もはや抽象的な役割分担ではなかった。


我々四人が、これから数十年をかけて成し遂げるべき、具体的で、壮大な未来の設計図だった。


俺たちは、ただ、静かに、そして、力強く、頷いた。


第四幕:アウグストゥス

紀元前27年1月、オクタウィアヌスは元老院を召集し歴史的な演説を行った。


彼は内乱を終結させるために元老院と市民から託されていた全ての非常大権を「ここに返還する」と宣言したのだ。


共和政の伝統を完全に尊重する、と。


それは完璧に計算され尽くした政治的なパフォーマンスだった。


市民からの絶大な人気、そして軍隊の絶対的な忠誠。


その二つを完全に掌握している彼が全ての権力を手放すはずがないことを、元老院の誰もが知っていた。


だが彼らはそのオクタウィアヌスの「謙譲の美徳」に応えざるを得なかった。


混乱した元老院は数日間の議論の末、彼に非常大権以上の全く新しい権威を与えることを決議した。


「アウグストゥス(尊厳ある者)」


その神聖な新しい称号が議場で高らかに宣言されたその瞬間、俺とマエケナス、そしてリウィアはその歴史的な光景を傍聴席から感慨深く見守っていた。


それは独裁者でも王でもない、法と伝統の上に立つ全く新しい指導者がローマに誕生した瞬間だった。


その夜、アウグストゥスとなった友と共に俺はカピトリヌスの丘の上に立っていた。


眼下には無数の灯りがまるで地上の星々のように輝いている。


百年の長きにわたる血で血を洗う内乱の時代は終わりを告げたのだ。


「…見てみろ、アグリッパ」


アウグストゥスが静かに言った。


「これが我々が命を懸けて守り抜いたローマだ」


その横顔はもはやアポロニアで語り合ったあの頃の、線の細い少年のものではなかった。


ローマの全ての未来をその一身に背負う、国家の父の顔だった。


パクス・ロマーナ(ローマの平和)。


その誰もが可能だと諦めかけていた偉大な平和の時代が、今まさに始まろうとしていた。


俺は友の隣で静かに、その新しい時代の夜明けを見つめていた。


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