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建国記異聞  作者: 奪胎院
第二部

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19/60

第三章:静かなる同盟

アントニウスとの会談が決裂に終わってから数日後の夜。


俺、マルクス・ウィプサニウス・アグリッパは、オクタウィアヌス、そしてマエケナスと共に、ローマの喧騒を離れた郊外の邸宅にいた。


マエケナスの手引きで用意された、人目につかぬ密会のための場所だ。


昼間の猛烈な暑さが嘘のように、ひんやりとした夜気が、俺たちの高ぶった神経を静かに冷やしていく。


アントニウスとの対決は、我々がただの若造ではないことをローマに示すことには成功した。


だが同時に、我々はローマを支配する執政官という、あまりにも強大な敵を公然と作ったことにもなる。


そして我々の手元には、南イタリアにいる、忠誠心は厚いが正規軍ではない私兵集団がいるだけだ。


このままでは、いずれアントニウスの正規軍に、赤子の手をひねるように叩き潰されるだろう。


状況は、決して楽観できるものではなかった。


やがて、夜の闇に紛れて、三人の男たちが姿を現した。


その中心にいる人物の姿を認めた瞬間、俺は思わず背筋を伸ばした。


ガイウス・セルウィリウス・レビルス。


父カエサルが、その「計算」能力を絶対的に信頼した最高の頭脳。


内乱の全ての戦いを、兵站と戦略の面から支え続けた、影の立役者。

そして、俺が兄のように慕う男。


その隣に立つのは、ガイウス・オッピウスとルキウス・コルネリウス・バルブス。


カエサルの下で、ローマの政治と経済、そして情報戦という「静かなる戦争」を指揮してきた、二匹の古狐。


カエサル派の中枢を担ってきた旧世代の重鎮たちが、今、我々新世代の前に、その姿を現したのだ。


「……よくぞ決断してくれた、オクタウィアヌス殿」


室内に通されたレビルスが、静かに口火を切った。


その声は穏やかだったが、彼の瞳は、厳しい光を宿してオクタウィアヌスを真っ直ぐに見据えている。


値踏みをするような、試すような視線だった。


「アントニウスと事を構えるということは、このローマの全てを敵に回す覚悟がある、と解釈してよいのだな」


その問いに、オクタウィアヌスは静かに、しかし力強く頷いた。


「覚悟などという、生やさしいものではありません。これは、私が為すべき当然の義務です。父が遺した約束を果たす。そのために、いかなる障害も排除する。たとえそれが、今のローマの支配者であろうとも」


その言葉には、一片の迷いも虚飾もなかった。


若さに似合わぬ、絶対的な覚悟。


レビルスの隣で、オッピウスとバルブスが、微かに頷き合うのが見えた。


彼らは、目の前の若者が、カエサルの名を継ぐに値する器であるかどうかを、見極めに来たのだ。


「状況は、君たちが考えている以上に複雑だ」


口を開いたのは、オッピウスだった。


彼は、まるでローマ全土を見渡せる地図を頭の中に描いているかのように、淀みなく語り始めた。


「元老院は、アントニウスの独裁を恐れてはいるが、それ以上に、カエサルの名を継ぐ君たちの存在を警戒している。彼らにとっては、どちらも危険な存在に変わりはない。そして市民たちは、カエサルの遺産分配を期待してはいるが、同時に新たな内乱の勃発を何よりも恐れている。今はまだ、アントニウスの支配を黙認している状態だ」


「さらに危険なのは、東方に逃れたブルトゥスとカッシウスの動きだ」


バルブスが、その言葉を引き継いだ。


「彼らは今、属州の軍団を掌握し、着々と軍備を整えている。いずれローマに攻め込んでくるだろう。もし君たちがアントニウスと事を構えれば、その隙を突いて、彼らに背後から襲われることになる。そうなれば、挟み撃ちにされて、君たちもアントニウスも共倒れだ」


それは、冷徹なまでに正確な情勢分析だった。


俺は、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。


我々は、あまりにも無防備な状態で、巨大な敵の前に立っていたのだ。


だが、オクタウィアヌスは、その厳しい現実を突きつけられても、少しも動じなかった。


「承知の上です。だからこそ、事を急いではならない。まず為すべきは、アントニウスに対抗しうるだけの、確固たる力を持つこと。軍団、資金、そして何よりも、ローマ市民からの支持という大義名分。それらを一つずつ、着実に手に入れていく。ブルトゥスたちが動く前に、我々が先にアントニウスを叩き、ローマの主導権を握るのです」


その言葉は、彼が単なる理想家ではなく、冷徹な現実主義者であることを示していた。


彼は、自らの置かれた状況を正確に理解し、その上で、勝利への道をはっきりと見据えている。


その答えを聞いて、レビルスは、初めてその口元に、満足げな笑みを浮かべた。


「……見事だ。その言葉が聞きたかった」


彼は、オクタウィアヌスに向き直ると、深く、そして厳かに頭を下げた。


「オクタウィアヌス殿。我々三人は、本日をもって、貴殿に我々の全てを捧げることを誓う。カエサル閣下の遺志を継ぐ、唯一の正当な後継者として、貴殿を全面的に支援させていただきたい」


それは、同盟の成立を告げる、決定的な言葉だった。


オッピウスとバルブスも、レビルスに倣って、静かに頭を下げる。


「資金の心配は無用です」

とバルブスが言った。

「私が、カエサル派の全ての金脈を動かし、貴殿の活動を支えましょう」


「元老院の政治工作、そして敵対勢力の情報収集は、私にお任せを」

とオッピウスが続けた。

「マエケナス殿には、私の下で、その実務を学んでいただく」


そして最後に、レビルスが俺の方を向いた。


「そして、軍略と兵站は、私が責任を持つ。アグリッパ殿。君には、私の『計算』を、戦場で完璧に実行する『剣』となってもらう。君の軍才は、カエサル閣下も高く評価しておられた。これからは、私が君を鍛え上げる」


それは、俺たち若者三人にとって、望みうる限り、最強の布陣だった。


資金、情報、そして軍略。カエサルの覇業を支えた三つの柱が、今、我々のために動こうとしている。


「一つだけ、アドバイスをさせていただきたい」


最後に、レビルスが静かに言った。


「オクタウィアヌス殿。貴殿の最大の武器は、若さ、すなわち『時間』です。カエサル閣下は、常に時間に追われていた。彼は常に、危険を承知で短期間に最大限の効果を出す必要があった。だが、貴方には時間がある。リスクを極限まで排し、確実に勝つための戦いができる。貴方が、カエサル様のような危険な戦いをする必要はないのです」


その言葉は、俺たちの胸に深く突き刺さった。


そうだ。俺たちは、カエサルの模倣をするのではない。


俺たちは、俺たちのやり方で、この戦いに勝つのだ。


オクタウィアヌスは、深く頷くと、三人に向かって言った。


「レビルス殿、オッピウス殿、バルブス殿。あなた方のような心強い味方を得られたこと、これ以上の幸運はありません。この御恩は、新しいローマを築くことで、必ずやお返しいたします」


その夜、俺たちは、旧世代の巨人たちの肩の上に立つことで、初めてローマの未来をはっきりと見渡すことができた。


それは、長く、険しい道のりになるだろう。だが、俺たちの胸には、もはや不安はなかった。


静かなる同盟は、こうして結ばれた。


カエサルの頭脳と、カエサルの後継者。


二つの世代が一つになったこの夜こそが、新しいローマが産声を上げた、真の始まりだったのかもしれない。


最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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