第35話:スタートライン
イルミナさんと向き合ったまま、私はそっと話だした。
「その、様ってのやめません? 私、もうただの一般人ですので」
「じゃあ、救世主様だな」
アゼルが横から口を挟み、イルミナさんが僅かに強張っていた表情を緩める。
「あの時はごめんなさいね」
「俺は別に……」
まんざらでもなさそうなアゼルだった。
そりゃ、イルミナさんみたいな聖女らしい人に声をかけられて嬉しいのだろう。
私だって、純粋無垢な少女時代があれば喜ぶに違いない。
「それよりも、今日つけて来た方が問題だって! どうしてくれんだよ。おかげで穴掘りしなきゃならないじゃねぇか」
「穴掘り? 植物でも植えるのですか?」
イルミナさんが私と子供たちを交互に見て、首をかしげる。
「穴掘りする事になったのは、アゼルが言った事でしょ。これ以上話をややこしくする前に、他の皆と屋敷に入って、お菓子でも食べてなさい」
「良いのか!?」
「こらアゼル、あんた少しは遠慮しなさいよ」
「食べたくねぇなら、俺がサリスの分も食ってやるよ。フィリアはどうする?」
「私は……食べたい、かな……」
「よし、行こうぜ」
「こら! 待ちなさいよアゼル! カルナも行くわよ」
「分かった」
騒がしい子供たちに気づいたメイドさんが扉を開け、子供達を中に入れてくれた。
「すみません。子供を外に出しとくのもあれなんで、私たちが外で構いませんよね?」
「問題ありませんよ。やはり、お優しいのですね」
「そんな事ないですって、当然の事ですよ」
イルミナさんが目を細めて、何とも言えない表情を浮かべる。
――何考えてるか、分かりづらい。
顔に出ない様に気を付けながら、私はイルミナさんを連れて湖に近づいていた。
「綺麗な湖ですね。これもサリナ様のお力で?」
「そんな大げさな、私は何もしてませんよ。来た時からこんな感じです」
カルナちゃんが使うから水も完璧には浄化してないし、本当に手つかずのまま放っている。
そして私は水辺で立ち止まってすぐに、気になっていた事を聞く。
「王都の湖は、どんな感じですか?」
それを聞いた途端――、
イルミナさんから感情が消え、冷たい風が運悪く流れるのだった。
「申し訳ありません」
「えっ――?」
突然イルミナさんに頭を下げられ、私は困惑してしまう。
罵られるとすら思っていた。
それなのに謝罪されてしまい、慌ててやめさせようとする。
「イルミナさんが謝る事なんて――」
「いえ、私が悪いんです」
顔を上げようとしないイルミナさんの肩に手を置く。
これで止めようとする事を見越しての行動だとしたら、とんだ策士だ。
「とりあえず、顔を上げてください。ちゃんと聞きますから」
そこまで言ってようやくイルミナさんが顔を上げてくれる。
「ほんと……ですか?」
「はい。そりゃ勿論、聞きますとも」
もうここまで来たんだ、話ぐらい逆に聞きたい。
「ありがとうございます、聖女サリナ様」
そう言えば、アゼルが口を挟んだから、様付けの件も流れたんだった……。
やっぱり、子供達を屋敷に入れたのは正解だったに違いない。
それに、今は謝っていてもいつ文句を言ってくるか分かったもんじゃない。
元、王子の婚約者と、
現、婚約者の会話なんて――どう転んでも終わっている。
子供に見せられないし、聞かせたくもない。
けど、先ずは王都の方が気になるかな。
「それで、王都はどうなっているんですか? 私が聞いている話だと、まだ最低限の飲み水は確保できていると聞いているのですが」
「概ね、間違っては……いないと思います。砂漠で水を奪い合う様な事態には、まだなってはいません」
「まだ、ですか……」
時間の問題。
つまりは、そういう事なのだろう。
その間に井戸の復旧や、別の水源から水を引けばいいものを。
「そもそも、井戸の管理を面倒がった王家が悪いと思うんですよ。聖女一人に任せるなんて、普通に考えれば最悪の選択ですよ。それで私は浄化の日々、そして次は貴方がその任に就いた」
「仰る通りです。しかし、私ではあの湖を元に戻す事は出来ませんでした。やはりあの湖は、聖女サリナ様のお力でのみ――」
「戻りませんよ」
言葉を遮って、私は断言した。
口では言っていないが、結局は王家の怠慢が原因でしかない。
それで国が困ったから助けろ?
私が今助けた所で、いつか私が寿命を迎えてしまえば同じ問題に陥る。
それ以前に、王都に水が戻った場合あの都市の人口はもう少しは増える筈だ。
――尚更、他の手立てを用意するべきだ。
「勿論、ずっととは申しません。ですが、このままでは王都で暴動や反乱が起き、多くの民が」
「私だって、何の力や発言力のない子供が死ぬのは望みませんよ? 今の王都を作ったのは過去と、現在を生きる大人達ですからね。なので安心して下さい、子供は見捨てるつもりはありません」
「それ以外の人は、構わない……そう仰るのですか?」
「どう捉えてもらっても構いませんよ。そもそも、暫くの間と言ってもイルミナさんにそんな決定権はない筈ですよね。これでも元婚約者ですので、少しは分かっているつもりです」
あれだけ貢献した結果が現状だ。
ロクなもんじゃない。
「どうせあの王族連中は、私を湖に縛り付けて死ぬまで浄化をさせようとしますよ? ほら――目を瞑れば、簡単にその光景が思い浮かぶじゃないですか」
「それでも、聖女として――」
「私は、もう一般人です。そして貴方がその役目を引き継いだ筈です。違いますか?」
「だからこうして、少しの間だけでもお力添えいただけないかと」
「王国に非があるのを分かった上で、頼もうとしている自覚はあるんですよね?」
「はい、あります。ですが私は聖女です。自分の力で解決できないからと、投げ出す訳にはいきません。その為だったら私は何だってします」
何だって……ね。
アゼルに続き、今朝だけで二度も聞くとは思っていなかった。
何だろうこの真っすぐ向かって来る人は。
「分かりました、では同じようにして下さい。それが出来たら、室内でもう少し話を聞こうと思います」
「本当ですか!? それで、私はいったい何をすれば――」
イルミナさんが明るい顔を私に向ける。
そんな状況で、私は自分の左手の小指を右手で握りしめ――へし折った。
静かな湖に、骨が折れる音が鳴る。
いっ……。
これだから骨を折るのは、慣れたくもないし嫌だ。
「サリナ様何を!? 直ぐに治療を」
「気にしないで下さい。私も色々と言い過ぎましたから」
再び右手を小指に添えると、曲がっていた小指が元通りになった。
治った小指が元通りに動く。
「聖女として何でもすると仰るのなら、自分で折ってみて下さい。それが私達のスタートラインです」
イルミナさんと目を合わせながら、ハッキリとそう告げる。
私達が直ぐに手を取り合おうと思ったら、そう簡単にはいかない。
「もしそれが出来ないのなら街へ帰って、そのまま王子を連れて王都へお戻りください」
捨てられた元婚約者と、その元凶と今も婚約してる人だ。それを考えれば、イルミナさんとまともに話さずに突き返した所で文句を言われる筋合いもないと思う。
話をしている私を褒めたいぐらいだ。
婚約という名目で帝国から来たイルミナさんが、嫁いだ先である王都の為に頑張っている事は直ぐに分かる。けどそれはそれとして、私が多かれ少なかれ気遣うようにイルミナさんだって私を気遣っている。
ただの初対面以上にどうしても、感情という壁が残ってしまう。
だから覚悟を見せ、腹を割って話そう。
つまりはそう言う事だ。
たとえ何時間話した所で裏切る人間は裏切るし、分からない人間は数えきれない程いる。
それを今すぐに協力関係を築くと言うなら、多少の示しは欲しい。
どうせ私達聖女は骨の一本ぐらい治せるのだから、後はイルミナさんが次第だ。
「イルミナさん、貴方はどうしますか?」
意地の悪いやり方なのは分かっている。
治癒が出来るとは言え、イルミナさんの肌は恐ろしく綺麗だ。
ただ肌が手入れされているだけじゃない。
転んだ事もなさそうな程に、傷跡が見受けられなかった。
そんな人が自分で指を折れるのだろうか。
「……やりますっ」
声を震わせながら答えたイルミナさんが――右の小指を左手で掴んだ。
そして曲げた。
「っ……」
悔しそうな顔をして、目を瞑り手が動く。
けれど、それで小指が折れる事はない。
指が柔らかい人であれば、折り畳む様にして潰さなければ折れない。
それか私みたいに、力づくで骨を握り潰せば別だけど……。
突然身体を脱力させたイルミナさんが、その場で座り込んでしまう。
手を離した小指は折れてはいなかった。
「私には、でき――」
話すイルミナさんの声は遮られ、私の視線は別の声に引き寄せられる。
「貴様ッ! イルミナに何をしているッ!」
その先で捉えたのは、
――怒りに満ちた表情で歩くリオン王子の姿だった。
次話、
エピソードタイトル「良くもまぁ来れたものだ」




