序章ノ七 ”宗明”
仁平八年 春
春の日差しが温かく、鳥も囀り始めた頃。
宗明は束帯を身に纏い、内裏へ出仕していた。袍が擦れる感触や、冠の纓が揺れる感じはあまり好きではない。手に持つ笏も、腰の飾り太刀も、いつもの重々しさがなかった。
その日、宗明は先の大堰川での勝利を祝う宴のためだった。こうした場合の宴とは名ばかりで、帝が決めた褒賞をそれぞれに言い渡すための集まりである。
宗明が奥殿に入ると、座敷にはすでに大勢が上座を向いて座していたが、まだ帝は来ていない。
「おお、霞宗明殿か?」
声をかけてきたのは、まだ若い男。宗矢より少し上くらいだろうか。戦の間もあった覚えはないが。
「いかにも。そなたは?」
「これは失礼。私、霞山城守宗忠様の元で検非違使筆頭として仕えております、霞謙信と申す者。この度の戦で宗忠様より兵役の調達や資金の調達を任されておりました」
そういえば以前、従弟の宗忠から商人に顔が利く、租と調に聡い人物が遠縁にいると聞いたことがある。
「しかし宗明殿、これはどうしたことか、ここは見渡す限り緋家ばかりですな」
兼信は少し声を潜めた。
幸徳若宮王はこの度の戦で兵を集めるにあたり、霞家の親縁のものに多く使いを出していた。緋家の者はあらかた紀基の息がかかっていて、西洞院に寝返ることは難しいと踏んでのことだろう。その思惑通り、霞家にはやはり紀基を好ましく思わないものが多く、ほとんどが西洞院に着いた。
帝の入室が告げられ、全員が首を垂れる。
御簾の向こうに人影が現れ、同時に桐高親王、緋紀基が入室する。
「皆の者、頭を上げよ」
宣命使がずいと一歩前に出て、詔を読み上げる。
「此度の働き、見事であった。都に平安が戻り、民の生活が守られた。その功績を称えるとともに、それぞれに以下の褒賞を与えることとする」
そこで一度間をおいて読み上げる。
「緋紀基、正一位関白太政大臣の任とする」
全員がどよめく。
関白と言えば、天皇と同等の権力を持つ国権の最高位。太政大臣は太政官の長で、政の実質的な実行役である。その二つを兼任する武家出身の者など、前代未聞の昇格である。
「緋浄基、従二位左近衛大将大納言。緋孝基、従四位上右近衛中将陸奥守・・・・」
緋家の異例の昇格が次々と告げられる。
「なんと・・・。高官の役職が、緋家に埋められてしまった・・・」
兼信がぼそりとつぶやく。
「霞兼信、従四位上。霞宗明、従三位」
・・・?
宗明は待ったが、宣命使がそれ以上のことを読むことはなかった。
何もしていない緋家の者が異例の昇格ばかりを果たし、敵の総大将を討ち取ったわしが階位昇格のみだと?
「如何なることであるか!?この処遇はあまりに公平ならざるものなり!」
宗明は声を上げて、立ち上がる。
「御前であるぞ、控えよ、宗明」
紀基がにやにやとした顔で言う。
「ここは抑えておきましょうぞ、宗明殿!」
兼信が宗明の肩を両手で抑える。
「しかし・・・」
「ここで我を失えば、奴らの思う壺ですぞ」
兼信が小声でそう言うと、宗明は渋々腰を下ろす。
続いて、捕縛した敵将についての処分が言い渡される。
「西洞院幸徳若宮王、斬首にて成敗。総大将藤在崇平、成敗。・・・・」
戦死したものの名が次々と読み上げられる。
「・・・霞宗矢、伊豆大島へ島流し。他の者、すべて斬首し、獄門とせよ」
斬首刑だと!?
またざわめきが起きる。ここ数十年、死をもって償う刑罰は禁止されてきた。戦場において敵の大将を打ち首にすることはある。が、それはあくまで戦の最中でのことだ。
「詔は以上である。後は宴とする」
宣命使がそう言って下がり、帝が退席する。
「紀基!!これは一体どういうことじゃ!敵の総大将の首を取ったのはこのわしであるぞ!」
早々に宗明は紀基に掴みかからん勢いで詰め寄る。
「そう取り乱すな、宗明よ。わしとお主の仲だから教えてやるが、お主ら霞家には謀反の意志ありと帝は思っておられる。天下を禍う種は、摘み取らねばならん。この度の戦でも、西洞院に着いた兵の大半は霞の手の者であったであろう?その中、お主は敵の総大将を討ち取ったので、霞の嫡男を生かしてやろうという温情じゃ。それだけでも恩赦としてありがたく受け取るがよいぞ」
「そんな私情だけの者どもに、政など勤まると思うてか!」
怒る宗明に、紀基は薄ら笑いを浮かべたままいう。
「ならば、霞家一門に反意の意思なしと証明して見せよ。罪人ども、お主の手で自ら始末せよ。できなくば霞一門、謀反の意志ありとして朝敵とみなす。よいな!」
「・・・紀基っ・・・・!!」
宗明は腰の飾り刀に手をかけるが、兼信が制する。
「いけませぬ。宗明殿が今それを抜けば、霞一門は滅びます」
「ふっ、宗明よ、わしとてお主を失いたくない。ここは内裏であるぞ?お主の行動はお主だけのものでないことを承知せよ」
そう言って紀基は高らかに笑った。
宗明は歯を食いしばりながら広間を出て行く。謙信も、御免!と言い宗明に続いて出て行く。
「さぁ、皆のもの宴じゃ!我ら、緋家の帝への忠義により、都の平安は保たれた。今日こうして褒賞に預かることができるのも、我が1族の世の安寧に対する努力の賜物である。さぁ、皆日1族を称えようではないか。」
「ずいぶん時、険しい顔をしておいでですね」
宗明は苛立ちが抑えきれていないらしい。璃玖に言われて初めて自信の顔に力が入りっぱなしだったことに気づいた。
「すまぬ。気づかなんだ」
「内裏で何かございましたか?」
宗明は内裏でのことを話す.。
「紀基め、富と権力を緋家一族で占めるつもりじゃ」
「・・・この子が生きやすい世の中であればよろしいのですが・・・」
と言いながら、璃玖は自らの腹をさする。
「うむ、この子が生まれる頃には、もっと良い世にせねばならんな」
「そうですとも。殿にしかできない仕事でございますよ」
「・・・そうじゃな」
「ようやくお顔が戻りましたね」
璃玖はそう言って笑顔になる。
「そうだ、以前、千子姫から聞きましたが、生まれる前から名をつけておけば、お互い無事に出会えるそうです。この子にも名をつけてやってくれませんか?」
「まだ男児か女児かもわからぬのであろう?」
「この子は男児です。風がそう申しておりますので」
「そうなのか?陰陽師の娘は不思議なことを申すの」
そう言って宗明は顎に手をやって、か思案する。
「ならば、白結丸はどうか?」
「はい、良い名ですね!」
璃玖は両手を組んで、嬉しそうな声を上げる。
「”霞”は”白”く、淡い影となって人と人を”結”う。霞を背負うこの子の名によく合うと思うぞ」
その五日後、帝から勅旨が下った。
罪人の処刑についてだ。
そこには謀反人に対する処分が羅列されていた。宗矢と数名の雑兵が島流し、他の者はすべて打ち首の上獄門という沙汰だった。宗明はがっくりと肩を落として、膝から床に崩れ落ちた。
宗矢は腕や足を縛られたまま、馬に乗せられた。
役人が二人付き、このまま伊豆までの道中となる。
「父上、お別れにございます」
「宗矢、すまぬ。見送ることしかしてやれぬ」
「もし澄乃に会うことがあったら、達者でとお伝えくだされ」
澄乃は宗矢が西洞院で捕らえられてから、六原の緋家の屋敷に軟禁されているらしい。無事でいると思うことだけが宗矢の救いだった。
「わかった。伝えよう」
「宵近丸、凪舟に伝えてくれ。巻き込んでしまってともに死ねずに口惜しい、すまない、と。」
「兄上・・・。兄上のせいではございません」
「・・・すまぬ。これからはお前が霞の跡取りだ。父上の後を頼む」
「承知しました」
宵近丸の力強い返事に宗矢はうなづく。
そして一行は伊豆への長い旅に進みだした。
「兄上!お達者で!!いつか・・・」
見送る宵近丸はその後を言わなかった。
罪人の処刑が始まった。
一人ひとり、勅旨に書かれている順番に行われた。
死人が悪霊とならないように吉日を選び、僧侶を呼び経を読ませる。そこへ役人たちが数人立ち合いをする。
処刑される罪人が連れてこられると、この世に残す言葉を聞く。泣きながら命乞いをする者もあり、何も言わず首を土壇へ差し出す者もいる。苦しむことのないように、一太刀で首を落とす。これは手練れでも難しい。太刀筋を間違えれば、刀は首の骨にあたり、罪人は口から血を噴き、暴れだす。
その役目を負う宗明も、細心の注意をもって太刀を振り下ろす。
幾度となく人を斬ってきたが、戦場では斬ることに重きを置けばよいが、この時は憐れみをもって望まねばならない。心を無にすることだけに集中するしかなかった。
さらに、太刀の切れ味が鈍ると首を切り落とせなくなるので、一人処刑するごとに一振りの太刀を用意しなければならない。
長い時間をかけて、数日にわたり処刑が行われていった。
そして、凪舟が連れてこられた。
「言い残すことはないか?」
役人が言うと、凪舟はうつむいたまま、辞世の句を詠んだ。
「討たるなら 修羅の場にこそ 果てし身を わが父の御手に 死なじと思ひき」
役人はその句を書き留める。
凪舟は首を土壇に出し、「父上、お願いする」と言った。
宗明は太刀を構える。意識していなかったが、両手がぶるぶると震える。
役人たちが宗明を見る。
宗明は頭から汗が流れて止まらないのを感じている。
「父上」
凪舟が声をかけた。
「おれは、戦場で父上とまみえた時、どれだけ強くなったか見てもらいたかった。いつも兄上にはかなわなかったし、ほめられたことなどない。宵近ほど賢くもない。だからあの時、父上に勝ってほめてもらいたかった。だが、やはり敵わなかった。だがあの時、追い詰められて、敵が父上でよかったと思った。おれのくびを取られるのなら、父上が良いと、覚悟した。あのとき、戦場で父上に討たれて死ねればよかった。それであれば、父上の苦しみも今より軽くなったであろうかと思う。だが、あの時勝てぬなら、おれは父上に殺してもらいたかった。覚悟はできていた。場所は違えど、父上に討たれるのなら本望だ。おれの首ひとつで霞一門が救われるなら、この命惜しくはない!この命、武士として散らせよ!」
一瞬、手の震えが止まった。
「凪舟、見事だ!!」
そう言って宗明は太刀を振り下ろした。
・・・やっと褒めてくれた・・・
そんな声が聞こえた気がした。




