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ひとつ、風を結いて 序章  作者: ひろくま


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序章ノ四 ”澄乃”

すみは幼い頃、母と兄の三人暮らしだった。母の名はよし、兄はあぎと言った。

京のはずれの川のそばのあばら家に住み、川魚や山菜を取って食べ、母は近くの問屋などから着物の洗濯や織物の繕いなどを受けて暮らしていた。

すみは近所の子らから「父無し児」と馬鹿にされたので、いつも泣いて帰ってきた。そのたびにあぎは、子供らと喧嘩ばかりしていたので傷が絶えなかった。

すみは他の子らと遊ぶのをやめ、兄とばかり一緒にいるようになっていった。木登りを教えてもらい、秋には木の実を取れるようになった。川では魚を一緒に獲り、毎日ずぶぬれで帰ってきた。

冬には川が凍り、魚が獲れなくなる。木の実を秋のうちにたくさん蓄えておかないといけない。

家で布団にくるまっていても、隙間風がびゅうびゅうと入って来る。

あぎは秋になると小石や枝をたくさん拾ってきて、家の隙間を埋めるのに使っていた。

寒いときは、母と兄と身を寄せ合って眠った。小さいすみは母と兄の間に挟まれて、温かかった。

春になると、山菜が生えてくる。筍や土筆などを取って、灰汁を取って煮る。じゅうぶんなごちそうだった。

あぎが母の背よりも大きくなった頃、人足の奉公に出るようになった。すみも母の仕事の手伝いを始めた。裁縫などはしたことがなかったが、母に教わり指に刺し傷をたくさん作りながら覚えていった。

ようやく母に少しづつ楽な生活をさせてやれるだろうかと、あぎとすみはいつも話し合っていた。


その日、あぎは人足の奉公の駄賃として黍を一袋持って帰ってきた。

「ただいま帰った」

声をかけるが返事はなく、よしが壁によりかかるようにうつむいて座っているのが見えた。

「どうした?具合が悪いのか?」

あぎが声をかけると、よしは「ああ、大丈夫。少し眩暈がして・・・」と言った。

だが阿木が抱えた母は力がなく、ふらふらとした様子だったので、布団に寝かせ水を汲んできて飲ませた。熱はないようだが、顔色が悪く、ときおりこんこんと咳をする。

「兄さま!」

すみが慌てた様子で帰ってきた。

「すみ!母様(かかさま)が様子がおかしいのだ」

「ぐす、ぐす、、それで医者を呼びに行ったけど・・・」

すみは涙をこぼして泣き出した。

母が突然倒れ、驚いたすみは医者を呼びに走ったという。だが、金も米もない家に来てくれる医者などいなかった。すみが食い下がると、ひどい言葉を浴びせられた。

そして母が心配になり泣きながら帰ってきたという。

「大丈夫。心配いらないよ。少し休んで明日には立てるからね」

よしはそう言って、無理に笑って見せた。


だが、次の日、よしの具合は良くなる様子はなかった。

あぎは昨日の黍一袋を握りしめ、これで見てくれる医者はいないか探し回った。

すみは一日、母のそばを離れなかった。水を汲み飲ませて、咳をしたら背をさすった。

暗くなってあぎが帰ってきた。

「おかえり、兄さま」

「・・・すみ、すまない。医者は見つからなかった」

「・・・・」

重い空気が二人の上にあった。

二人は話し合い、あぎの一袋の黍を何か栄養のあるものに変えて、母に食べさせようということになった。

だが翌る日、よしを訪ねてきた者がいた。


すみはよしの看病をしながら、いつの間にか眠っていた。

「何だ、おまえたちは!?」

あぎの声で目が覚める。よしも目を開けて上体を起こす。

家に、知らない男が二人入ってきていた。あぎがすみとよしを庇うように両手を広げる。

「お前たち、役人だな!?何の用だ!?」

役人の一人がずかずかと上がり込み、すみの腕をつかむ。

「いやぁ!?」

「やめてください!!」

すみとよしが声を上げる。

あぎが体当たりしようとするが、足蹴にされて床に転がる。

「ぐっ!」

「あぎ!!」

そのとき、役人たちの後ろからもう一人入ってきた男がいた。役人がすみの腕を離し、頭を下げる。

「まあ、まて。手荒なことをするなと言っておるじゃろう。わしの娘であるぞ」

「はっ」

役人たちは一歩下がり、その男がずいと前に出る。

「・・・紀基様・・・」

「おう、よし、久しいのう」

よしの顔がさらに青ざめる。

あぎは驚いて男の顔を見た。これが・・・あの、緋家の総大将、緋紀基?母様とどういう関係が?

「今更、すみに何の御用ですか!?この子は何も知らないのです!お引き取りください!!」

「はっはっ、そうはいかん用事が出来てな。どうしても女児(おなご)が一人、必要になったのじゃ」

「何を勝手な!!・・・・ごほっ、・・・・」

叫びすぎたのか、よしが口から咳とともに血を吐く。

「おう、病か。子供を二人抱えて、苦しいことじゃのう!宮中の女御の中でも見目麗しいと評判だったお主が、そんなにやつれて悲しいことじゃ」

紀基が蔑むような眼でよしを見下ろす。

「ともあれ、この娘はわしの子じゃ。連れて行くぞ」

そう言ってすみの手を掴もうとした刹那、紀基は危険を感じてすっと身を引く。

「すみは渡さない!!」

あぎが鎌をもって構える。

「ほほう、威勢が良いな。なるほど、こいつが岩武(がんぶ)双樹(そうじゅ)の子か。よう似ておる」

「やめてください!あぎもすみも、私の子です!」

「訳の分からないこと言いやがって!!」

あぎが再び鎌で切りかかる。紀基は軽くその腕をつかむと、捩じ上げて鎌を取り上げた。

「小僧、威勢が良いだけでは何もできん。力をつけることじゃ」

「・・・くそう・・・離せ!」

「だが、ひとつ、お主の心意気に免じて取引をしてやろう。お主にとってもいい話じゃ」

「お前と取引などしない!!」

「まあまて、その娘はまぎれもなく、わしの娘じゃ。悪いようにはせぬ。わしのところへ来れば、毎日腹いっぱい飯が食える。きれいな着物も着られる。もう、嫁ぎ先も決まっておる。武家の御曹司のところじゃ。それに、みると、どうやらお主の母様は病のようじゃの。娘をわしに差し出せば、医者を呼んでやろう。お主にとって悪いことなど何もないではないか」

「そんな口車に乗るか!」

あぎは紀基を振り払う。

「小童、よく考えよ。わしらはお主たちをここで斬り捨ててもかまわぬのだぞ。わしに必要なのはその娘だけなのでな。何のために死に、何のために何を捨てるのか、男なら常に心に留めおけ、小童!」

「・・・くっ・・・」

あぎは言葉に詰まった。

確かに、緋家に引き取られたなら、すみは毎日ちゃんと飯を食える。米だって食える。きれいな着物を着て、きれいな布団で眠れる。もう、雪が降る中の隙間風にさらされなくてもいい。近所の子供に「父無し児」と馬鹿にされることもない。

何よりも、母様を医者に診せられる。もう一刻も早く医者に診せなければ。その思いでいっぱいだった。

「・・・くっ、母様は・・・おれはどうなってもいいが、母様とすみは・・・・」

言いながら、あぎは床に崩れた。

「賢明じゃ。娘はもらっていく」

紀基は役人に目配せすると、役人はすみを抱え上げた。

「母様!兄様!!」

「すみぃーーーーっ!!!」

すみは、よしの泣き叫ぶ声と、自分の嗚咽しか聞こえなかった。


すみは六原の紀基の屋敷に連れてこられた。

毎日、母様に会わせろと暴れまわり、女御たちも手を焼いていて、こんな娘が嫁に出せるものかと陰口をたたいていた。

すみはその日も、読み書きの稽古を抜け出して、庭で一番高い松の木に登り母と兄のいる場所を探していた。邪魔な長い着物は脱ぎすて、裾をまくっていた。この辺りは建物も多く、見えないことはわかっていたがじっとしていられなかった。

「あれ、あんなところにお人がございますよ、(べに)

下の方から女性の声がした。

見ると、小さな赤子の手を引いた女がいた。

紅と呼ばれた赤子は、よちよちと歩き、すみの登っている木の真下まで来て、よろけてしりもちをついた。きゃっきゃっと嬉しそうに笑い、女に抱きかかえられた。

「まあ、この子もお転婆ね」

女は赤子の顔を嬉しそうに見た。

「あなた、降りていらっしゃいな。お茶と菓子がありますよ」

初めてあったはずなのに、親し気な物言いにすみはなんとなくするすると降りて行った。

「あら、お猿さんのようね」

驚きながら笑うように女は赤子に言った。

「桃があるのだけど、水菓子は体を冷やすからいけないらしいの。あなた、食べておくれ」

にこやかに女は言った。

「私は緋家長男の浄基の妻、千子。この子は紅羽。お腹にもう一人いるの」

そう言ってお腹をさすった。

「あなた、すみでしょう?暴れん坊姫だって噂だわ」

と言って笑った。

「・・・・」

すみはなんとなく、千子の笑顔の前では気恥ずかしかった。


すみは千子にすぐ打ち解けて、気が許せた。

なぜここへ連れてこられたかわからない。母様のところへ帰りたいと話した。

「かわいそうに。あなた、霞家の宗矢兄様のところへ輿入れすることになっているのよ。私と反対。だから、宗矢兄様に頼めば、あなたの母様も兄様も助けてくれるのではないかしら?」

「なら、早く輿入れしたい!」

「あら、だけどね、輿入れするということは、生涯をその殿方に捧げるということですから、ちゃんと支度してからじゃないといけないのですよ」

「何をしたらいいの?」

「まず、読み書きと、歌が詠めないといけないかなぁ?」

「えー・・・」

露骨にいやそうにするすみの顔が面白かったのか、千子はあははと笑った。

「何やら楽しそうじゃの」

「あら、若殿。あなたと私たちの妹が来ておりますよ」

「おう、お主がすみか!わしが浄基!お主の兄じゃ!」

あまりに声が大きいので、すみはびくっとなった。

「若殿、お声が大きいからすみが怖がっておりますよ」

「おお、すまぬ」

そう言って浄基は紅羽を持ち上げてあやしていた。

「暴れん坊姫と聞いておったが、おとなしいな、すみ」

「それなんですが・・・」

千子は浄基に事情を話した。

「そうか、母様と兄者に会いたいとな」

「合わせてくれるのか?」

すみが浄基に詰め寄る。

「まあ、まてまて。進言はしてみるが。あの父上が素直に聞くとは思えんがの」

「頼りになりませんこと」

千子ががっかりと言った物言いをする。

「そういうな。おれも父上には手を焼いている」

「・・・・」

すみは頬を膨らませた。


だが、その日から、すみは千子のところへよく通うようになった。

紅羽の遊び相手になったり、千子に話をしているときは心が落ち着いた。

「もうすぐ、お腹の子が生まれるの」

千子が膨らんだ腹をさすりながら言う。

「おお、いつ?明日?」

「そんなすぐじゃないけど、今月には生まれるわ。男の子を産めって言われてるけど、たぶん女の子」

「わかるのですか?」

「なんとなくね。母親は子供のことはわかるものなのですよ」

「すごいこと!」

すみが素直に驚いた声を上げたので、千子はおかしそうに笑った。

「望まれても望まれなくても、子供は母親にとって大切。すみもいつか母親になったら、わかるようになるわ」

「わたしは嫁にはいかん。千子姉様の子の顔が見たい」

「あら」

「でも、ここにいていいのかわからない。わたしは紀基、あいつが嫌いだ。あいつの顔は見たくない」

「誰が聞いているかわからないから、そんなことを言っては駄目よ」

「でも、本当のことだから」

「そういえば、すみが輿入れするにあたって、名前を若殿が悩んでいらっしゃいましたよ」

「名前?」

「ええ、すみに新しい名前がつくそうですよ」


「お主が暴れん坊姫か。すみ、いや、澄乃だったな」

大男が部屋に来るなり、ぶっきらぼうな言い方でそう言った。

「・・・?」

「俺は孝基。お主の兄にあたる。母は違うがな。お主のような妾の子ではない」

そう言って見下すような目をした。

「・・・お前、嫌いだ」

「おお、そうか。それでもよい。お主は明日、輿入れするのでな」

「!?」

「なので、すみと言う名ではいかんと、兄者がお主に名をくれた。澄乃と名乗るがよい」

「何を勝手なことを!嫁になど行かん!」

「何を言う。もう輿入れの準備はできておる。後はお主だけじゃ。力づくで連れて行けと父上に言われておるのでな」

逃げ出そうとしたところを、すみは孝基に担ぎ上げられる。

「離せ!」

「おとなしくせよ。もうお主に逃げ場はない。そのためにここへ来たのだろう?」

「・・・」

そうなのだ。そのためにここへ来た。兄様がそう望んだ。母様を医者に診せるため、わたしに裕福な生活をさせるため、兄様はそれを選んだ。いや、そうするしかなかった。・・・一緒にいられれば良かったのに。毎日山菜を採って、川魚を捕まえて・・・寒い日は三人で寄り添って眠る。それでよかったのに。

そうだ、ここにいてはいけない。相手がどんな男かわからないが、まだやらねばならないことがある。


翌日の夜明け前、女房や侍女たちが部屋に香を焚き、澄乃に白粉(おしろい)を塗り、化粧をする。十二単を着せて、髪を結う。鏡を見た澄乃は、それが自分だとわからないくらいだった。

千子が様子を見に来て、「すみ、よくお似合いです。さみしくなるけど、宗矢兄様をよろしくお願いしますよ」と言った。泣くと化粧が崩れると言われ、必死で涙をこらえて千子の手を握った。

夜がうっすらと明ける頃、澄乃は朱塗りの牛車に乗せられた。この屋敷に連れてこられてから、外に出たのは初めてである。外は緋色の帳幕(ちょうばく)が飾られ、先が見えないほどの行列が並んでいた。

澄乃が牛車に乗り込むと、笛の音色が聞こえてくる。それを合図に、行列はゆっくりと進みだした。

澄乃から外はわからないが、たくさんの群衆が行列を見に来ているらしい。ざわざわと声が聞こえる。

輿入れの行列は都の町の中をゆっくりと進む。陽が昇り、籠の中にいる澄乃にもあたりが明るくなったのを感じられた。その時、その声が聞こえた。

「すみ、すみ!すまなかった!あのとき、ああするしかなかった!おまえや母様を助けられなかった!すまなかった!!だが、おまえの父は噓つきだ!母様は、母様は助からなかった!!医者など来なかった!だまされた!ゆるしてくれ・・・・、すみ、すみ・・・」

澄乃は籠を飛び出そうとしたが、孝基に籠の戸を抑えられ、「今出たらあの男を斬る」と言われた。

「母様・・・」

澄乃はもう、涙を抑えられなかった。悔しさ、無力ゆえの悔しさ。


半日後、行列は霞家の屋敷についた。

そこは六原の緋家の屋敷ほどの華やかさはないが、武家の屋敷らしい飾りのない建物だった。

宗矢はやや緊張した面持ちで白の装束姿で澄乃を待っていた。あたりにも霞家の武士であろう姿の者たちが列をなしている。

「よう参られた」

輿を降りた澄乃に、宗矢が声をかけてきた。澄乃は顔を伏せ、案内されるままに進んだ。

霞家では宴が開かれ、それは夜まで続いた。

ようやく宴が終わり、澄乃は自室に案内された。この窮屈で重い衣装を早く脱ぎたかった。

だが、そこへ宗矢が、「すまぬ、待たせた」と言って入ってきた。

「?」

なぜ、この人は私の部屋へ入ってきた!?

「疲れたであろう、楽にしてよいぞ」

そう言って装束をするすると脱ぎ始めた。

は!?

「緋家の暴れん坊姫と聞いておったが、随分とおとなしいの。ずっと顔を伏せておったし」

そう言って宗矢は澄乃の顔を覗き込んだ。

初めてまともに見る宗矢の顔。それはとてもあぎに似ていた。ただ、あぎよりも精悍で、その目はまっすぐこちらを見ていた。思わず頬が熱くなるのを感じる。

「あ・・・あの・・・」

澄乃が声を出しかけた時、宗矢は吹き出して笑った。

「あはははは!」

「な、なにがおかしゅうございますか?」

「ひい、ひい、お主、鏡を見よ!あははっは!」

顔を見ていきなり笑うとは失礼な!と思いながら澄乃は鏡に自分の顔を移すと。

鏡には、涙で化粧がぐちゃぐちゃになった顔が、まるで狸の顔のようになっていた。

「あははははは!」

自分も思わず吹き出してしまった。


その三年後 仁平七年 初冬


その夜澄乃はろうそくの明かりを頼りに、宗矢の装束や鎧の手入れと繕いをしていた。

布の繕いをすると、優しく裁縫を教えてくれた母様を思い出す。

宗矢には母様の仇、紀基を討ってほしい。だが、何よりも生きて帰ってほしい。

愛しき人を戦場(いくさば)へ送り出すときの心境とは、こんなに苦しいものかと澄乃は心の中でもがいていた。

澄乃は自分の着物の袖を少し切り、宗矢の帷子(かたびら)の中に縫い付けた。

「共にありますように」

澄乃は念をかけると、帷子をそっと置いた。

・・・どうか、生きてお帰りください。

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