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ひとつ、風を結いて 序章  作者: ひろくま


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序章ノニ “浄基”

仁平七年 初秋


緋浄基は今日も、尊福寺で経を読んでいた。

千手観音像を前に、一心不乱に経を読むと嫌なことを忘れられる。人を小馬鹿にして言いたい放題に上からものを言う貴族どもや、些細なことでも気に入らないと怒鳴り散らす父・紀基が原因である。

今朝のことだ。

「霞の小童に騙されて2日も彷徨っておっただと!?」

・・・そんなことを正直に言えば、父上が怒るに決まっておろう。わが弟ながら情けない。

「なんと、申してよいか、すまぬ、父上!」

孝基は大きな体をこれでもかと小さくして、床に額をこすりつけんばかりに頭を下げている。

「それもこれも、浄基!お主が孝基を甘やかしておるからじゃろう!!」

・・・ほら来た。いつも、こっちのせいにする。

「しかしながら父上、わしは孝基が若狭へ行っておったことを今知ったのじゃが・・・」

「そういうことではない!普段からの心がけじゃ!!」

・・・はい、わかったわかった。

「ならば父上、孝基にはわしから仕事を申し与える。それで納められよ」

「・・・」

まだ何か言い足りない様子であったが、紀基はどすどすと足音を立てて奥へ行ってしまった。

「すまぬ、兄者ー!」

「ええい、まとわりつくな!情けない顔をしおって」

装束に縋りついてくる孝基を振り払う。

「ならば孝基、今朝方、内裏より陰陽師の父娘がいなくなったそうだ。探して、連れてこい」

「陰陽・・・師とな!?」

孝基が鼻水をすすりながら顔を上げる。

「うむ、最後に富士江成親(ふじえのなりちか)の屋敷に出向き、その後行方が分からぬそうじゃ。当の成親は知らぬと申しておる。だが、例の唐の職人が一人、医者もわからぬ病に倒れてな。腕のある陰陽師を探しておる。その男、臼井天海(うすいのてんかい)と言う名だ」

「承知!任せておけ、兄者!!必ずそいつの首を上げて見せようぞ!」

孝基は急に立ち上がると、自分の胸を拳で叩いて見せた。

「絶対、殺すでないぞ!!」


・・・それにしても、霞宗矢か。澄乃は良いところへ嫁に行ったものだ。妾の子として苦労してきたらしいが、良い夫を得れば幸せに暮らせるだろう。ほとんど面識もない妹であるが、その身を案じるのも兄の務めであろう。

それに以前、宗矢を木刀の試合で見かけたことがある。とても筋が良く、心地よい剣を振る青年だった。

その宗矢の妹の千子はわしのところへ嫁に来て、どう思っておるのかのう・・・。

浄基は経を読みながら、そんなことを考えていた。いかん、意識が集中しておらん。

浄基が経を読み終えると、住職が入ってきた。

「おや若殿、今日も来ておったのか」

「うむ、だが今日はいかん。心が静まらん」

「そうか、大殿もお主くらいの頃は毎日ここへきて、同じことを言っておったの」

「・・・そうか」

「まあ、心静まるまでゆっくりしていくとよい。ふぉほっ」

「・・・」

せっかく静まりかけた心が父と同じことをしていると言われて、またざわざわするのを感じた。

「もう一度経を読むか・・・」


「子供達と遊んでいただけるのですか?」

千子が清基を見るなり言うと、四つになる長女の紅羽が嬉しそうに駆け寄ってくる。

「ちちうえー」

「絵を描いていたのか?どれじゃ、見せてみよ」

紅羽は恥ずかしそうに紙を広げて見せる。

「おお、可愛らしい蛙じゃなぁ!」

と言うと、紅羽は頬を膨らませる。

「それは兎ですよ」

「・・・そうか、よく描けておるなぁ」

千子の陰でもぞもぞしていた次女の伊佐が、千子に背中を押されて清基のそばにくる。手に持った紙を差し出す。

「・・・これは・・・何かわからぬが、よく描けておるのぅ・・・」

紙は真っ黒に塗り潰されていた。


「戦になりそうなのですか?」

自分の腹をさすりながら千子が言う。

「もう避けられぬであろうな」

紅羽と伊佐は遊び疲れて千子の膝で寝てしまった。

「今までの小さな戦ではない。帝の跡目争いであるから、ここ数年で一番大きな戦になるであろう」

「・・・無事にお帰りくださいね、この子たちのためにも・・・」

「むろん、そのつもりじゃ。むざむざ死ぬ気などない」

「戦に行く前に、この子の名前を決めておいてくださいな」

「案ずるな、そんなに長くはかからぬ。この子が生まれる前には帰って来る」

「いえ、名前があれば、会いたくなるでしょう。名もない子には、心を注げませぬ。殿に無事にお帰りいただくためのまじないにございます」

「・・・そうか、では名を考えよう」

しばらく悩み、浄基は紅羽たちが絵をかいていた筆と髪を掴んですらすらと書く。

「時千代と名付けよう。この時が千代先まで続くように」

「良いお名前でございますね」

千子もにっこり微笑む。

「お主の名も入れておきたかったのじゃ」

「おなごであれば、どういたします?」

「いや、今度は男児じゃ。間違いない」

「伊佐の時もそういっておられましたね」

「気にするな。伊佐もお主も悪くない」

「ありがとうございます」

「やはり、経を読むよりお主とおるほうが、気持ちがやすらげるのぅ」

「あら、おめずらしいことをおっしゃいますね。雨が降りますわ」

そう言って千子はいたずらっぽい笑みを見せた。


秋が深まってきたその日、宮中で宴会があった。末席ではあるが、浄基も席に呼ばれた。

千子や女御たちは華やかな装束を着せたがったが、浄基は普段とさして変わらない地味な紺を選んだ。

「着物で人の価値は決まらぬし、たいして目立ちたくは無いのでな」

浄基はいつもそう言っていた。


内裏の清涼殿に一同が会し、宴の始まりが告げられる。

まず、宴の座と呼ばれる儀式が行われる。帝から順番に大杯で三回に分けて酒を飲む。

その儀式が終わると、穏の座と呼ばれる、身分に構わず慣れ合うことを許される場を設けられる。

紅葉を見ながら、筝や琴の演奏を聞き、茶や酒を飲み、飯を食う。

最も高いところに帝と皇后が坐す。帝の桐雅天皇は青白い顔で頬はこけて目はうつろでぼんやりとした表情をしている。皇后はにこやかにしているように見えるが、顔を隠しているのではっきりとはわからない。

その隣に桐高皇太子と、浄基の姉の沙苑がいる。

沙苑は生まれて間もなく宮中にもらわれたので、浄基にはほとんど姉との思い出はない。浄基が物心つく頃にはすでに桐高王と婚姻が結ばれていた。

沙苑は、その美しさは宮中の女ならだれもが憧れ、男ならだれもが見惚れると噂であった。その日も、沙苑の美しさはほかの女御たちとは一線を画すほどの妖艶な美しさと存在感を誇っていた。浄基も、姉ながらその華やかな美しさには、噂に違わぬ輝きを感じずにはいられなかった。だがいつも、沙苑には表情といったものがなく、宮中の者も沙苑が笑うところを見たことがないという噂だ。もっとも、このような席でもなければ沙苑の顔を見ることなどないが。浄基は弟といえど、近くに言って話すことなどできない立場である。

宴が進み、皆が酒に酔い始めたころだった。

雅楽が流れ、舞が披露されて、庭の灯篭に火がともされたころである。

「お集りの皆の者、帝から知らせがあるのじゃ!」

紀基が声を上げ、皆の注目を集める。演奏や舞が一斉に止まる。一瞬の静寂。

「宣命使が帝の(みことのり)を読み上げるゆえ、心して聞くがよい」

紀基が合図すると、宣命使が前に出る。こほん、と咳ばらいをすると、巻物を広げ読み上げる。

「朕、天つひつぎを継ぎて幾年(いくとせ)(まつりごと)(つかさど)りしも、世は流れ、齢を重ねるに至り。よって、ここに、桐高に位を譲り、あまつひつぎを託すこととする。百官、万民は誠を尽くして新帝をたてまつるがよし」

一斉にどよめきが起きる。

「桐雅天皇は桐高様に譲位なさるのか?」

今まで噂にはなっていたものの、正式な知らせはどこにもなかった。

すべてが父の思い描く通りに進んでいる気がする。浄基は何か胸に湧きあがる気持ち悪さを感じていた。

この場にこそいないものの、幸徳王はこの知らせを耳にするだろう。ここにいる公家たちの中には幸徳王に傾倒している者も少なくないはずだ。幸徳王はこの知らせを聞けば、桐高即位を阻止のために軍を進めるに違いない。紀基はそれを力でねじ伏せ、誰も逆らうことのできない緋家の時代を作るつもりなのだろう。浄基は、すべて父の思う通りに進んでいることを苦々しく思った。

力あるものが奪い、力なきものが略奪される。これもまた世の摂理であるか、と浄基は自らの座り心地の悪さを感じていた。

桐高王は読み上げられた文章に心がないことを不安感じていたし、父の本当の言葉でないことは重々承知していた。譲位までもが本当の父の意思であるかはわからない。そんな表情を浮かべ、これで戦が避けられないものであることを感じた。自分の即位により戦が起きる。世は乱れていくこともわかっていた。どこか遠くを見つめるようにして、袖の中でこぶしを握り締めていた。

浄基は読み上げられた詔が、父が用意したもので間違いないだろうと確信を得ていた。

宴の華やかな雰囲気は消え、公家や貴族たちがざわざわとうろたえ、ある者は青ざめ、あるものはいきり立った。手をたたき、一斉に祝言が飛ぶ。再び演奏が始まり、舞が舞われた。

その中で沙苑はやはり表情を変えることはなかった。


その頃、摂津の山間にある神量寺に集まった西同院幸徳若宮王の軍千二百が京を目指して動き出した。

幸徳若宮王は都の南東、西同院に軟禁されているため、藤在崇平(ふじありのたかひら)が総大将となった。そこへ霞宗矢・凪舟兄弟の率いる百二十が合流する。朝廷の兵は緋家千百と霞家四百。

両軍は都から西へ二日、大堰川を挟んで対峙することになる。


「兄者、臼井天海という男、すでに殺されておった」

孝基が申し訳なさそうに頭を掻きながら言った。

「・・・・そうか、仕方あるまい。お主のせいではない、気にするな。だが、誰に殺されたのだ?」

「それが、富士江成親だ。あの男、勝手に宮仕えの陰陽師を始末するなど、言語道断」

「父上に言って、処罰してもらおう。だが、では唐の者を治療する者を探さねばならんな」

「それがな、兄者」

孝基が得意満面でいう。

「天海の娘という稚児にやらせてみたのだ。なんでも、天海に並ぶとも劣らぬ陰陽師の素質があるという噂があってな。ものは試しとやらせてみたら、すぐに快方へ向かったのだ」

「ほう。それは素晴らしい。その稚児はどこにおる?」

「それが・・・・」

孝基は急に歯切れが悪くなり、また頭を掻き始めた。

「天海の首を見せたら逃げてしもうた」

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