序章ノ十伍 ”風が吹く”
「こちらが囮だったとはな・・・」
前代未聞だ。
こんな暗殺劇は聞いたことがない。
宗明の目的はこちらではなかった。あわよくば、という程度のものだったかもしれない。自らが囮となり大軍を率いて六原を攻めた。だが、目的は内裏の警護を手薄にすることにあったとは・・・。
霞宗明の屋敷には女たちと子供しかいなかった。浄基の妻千子と子供達も宵近丸に連れてこられたという。澄乃の侍女だった熙耶は助からず、千子が傍らで泣き崩れていた。
宗矢と澄乃の行方はわかっていないし、探すつもりもなかった。彼らよりも宗矢が操っていた御体の方が気になるが、その後はやはりわからない。それならそれでいい、と浄基は思っていた。
桐高帝に事の顛末の報告をするために内裏に参内していた。
浄基は桐高帝から急ぎ参内せよとの命を受けていて、ロクに着替える暇ももらえなかった。
鎧と腰刀だけは外し、血の付いた装束はそのままで行くしかない。
また礼儀を重んじる口うるさい公家たちがとやかく言うだろう。だが帝の命であるから、仕方ないのだ。
浄基が紫宸殿に参内すると、公家や貴族たちがずらりと並び、奥には沙苑らしき御簾の奥に影があった。
太鼓がなり御簾の奥に桐高が現れると、全員が首を垂れる。
「面を上げよ。浄基、昨夜のこと、そなたの口から聞きたくて無理を言ったな。許せ」
「はっ」
「紀基翁はいかがしている?」
「顔に傷を負いまして、熱を出して寝込んでおります」
「大事ないか?」
「はい」
浄基は昨夜の出来事、逆臣霞宗明の首は浄基自身が討ち取ったこと、唐から持ち込んだ御体が一体、作りかけの御体が一体、破損したことを伝えた。最後に兵や役人以外の被害はほとんどないことを付け加えた。
「陛下、お願いがございます。此度のこと、元はと言えば緋家の所以の者の驕り昂りに端を発することにございまする。我が父、紀基はその権を私し、民を苦しめたこと、霞家以外からも兵が集まっておりました。そのこと広く緋家として御政を乱したこと明白にございます。よって、我が父紀基は出家させ、以後俗世とは遠きに置き、緋家のこの後は我に引き継がせていただく所存」
ざわめきが起きる。
「紀基翁はいかに?」
「今だ話しておりませぬ。しかし、帝からの仰せとなれば、父も従いましょう」
「・・・わかった。緋紀基には剃髪し出羽の国の賀禅寺へ退かせよ。よいな」
桐高は隣の沙苑をちらと見たが、沙苑は変わらず凛として前を見ているだけだった。
「夜は明けども、人の世のことは一晩にて変わることでなし。これからはお主に載るものはさらに重くなるぞ」
「心得ております」
浄基はいっそう深く頭を下げた。
もちろん紀基は素直に言うことを聞く男ではなかったが、自分が帝に立てた桐高帝からの勅命だと言い聞かされて渋々出家に応じた。
「弟たちはどうなるのですか?」
千子の顔を本気で宵近丸たちを心配しているようだった。
「宵近丸は伊豆へ遠島、璃玖殿と白結丸・・・だったか?は蔵馬の尼寺へ追放とした。白結丸は元服を迎えた時に追って沙汰を出す」
「命はお助けくださるのですね」
「ここで幼子の命を奪うようであれば父上と同じとなる。遺恨はあれど、撥ね退けられるような国を作ればよい」
浄基の言葉に、千子は目を赤くして涙を着物の袖で拭った。
「朔臣はどうなっておるか?」
「はい、体には何もございませんとお医者が申しておりました。陰陽師も祈祷したものの、気を戻さず・・・」
唐の者たちからは、御体に乗り込んですぐ気を失ったと聞かされた。それで御体・朱獄は暴走したのだと。気を失っているとはいえ、首を折られる痛みを生きたまま与えられたのだ。絶望しか感じられなかった。
「御体の使い方そのものが間違っているのだろう。戦になど使うから、このようなことになったのだ」
六原は一夜にしてその三分の一程度が瓦礫の山になった。十年の歳月をかけて作り上げてきた緋家の力の象徴は、一晩で崩れ去ったのだ。そのほとんどが自らの驕り、力の象徴である戦御体が壊したものだ。
三宅孝周は、御体を使えばすぐに再建できると話していた。そのためには今一度、御体を作らねばならないと。
御体によって壊し、御体によって直す。無駄な繰り返しに思えて仕方なかったが、浄基には御体というものがこの先も必要になってくるように思えて仕方なかったので、まずは御体を作ることを命じた。
何よりも、緋家以外にも御体を作る技術がある。宗矢が繰り手だったあの御体はその例だ。
いずれ、力を持った豪族たちが攻めてくるかもしれない。
あれは、きっとこの世に戦乱をもたらす。
力による和平などない。力に溺れていく権力者を、一番近くで浄基は見てきたのだから。目の前に敷かれた轍を踏むわけにはいかない。それだけは心に深く刻みつけておかなければ。
璃玖は白結丸を抱いて山道を歩いていた。
都を離れれば徐々に人里を離れていく。山道は鬱蒼として薄暗く、往来の人も少なくなる。
この山を越えれば集落があり、そこに目指す蔵馬の慶済院法橋尼寺がある。
白結丸は飛んでいる蜻蛉を捕まえようと手を伸ばしてバタバタさせている。
「あら、白結丸、今日はご機嫌よろしいのですね」
「うー、うー」
璃玖はにっこりと笑うと、白結丸の頭をなでる。
その瞬間、白結丸は何かを感じたように目をきょろきょろさせて、璃玖を見つめた後急に泣き出した。
「あらあら、白結丸も感じたのですね。賢い子です。でも大丈夫。怖くないですよ」
ガサガサと草むらをかき分ける音がして、笠を深くかぶって顔を隠した男が森の中から現れる。
「奥方様」
「あら、汀殿。急にいなくなって・・・」
「申し訳ございませぬ。奥方様を付け狙う野盗がおりましたので」
「殺してきたのですか?」
「いえ・・・命までは・・・・」
命までは・・・が気になったが、璃玖はそれ以上聞かないことにした。
「この汀源馬、大殿や若殿との約束は最後まで守り通し致します」
「わかりましたよ、寺に着くまでお願いいたします」
「いえ、白結様が大きくなるまで、指南役をせよと大殿よりのお達し。必ずやり遂げて見せますぞ」
「・・・大殿はこの子に重い荷を負わせすぎです」
そう言いながらも、璃玖は白結丸に何かの力を感じていた。宵近丸とは違う、強い何かの力。
「宵近丸は無事に伊豆へ着けたかしら・・・」
「宵近様にも雷巌と朧がついておりますゆえ」
「そうですね、宵近丸は聡い子です。きっとこれからも大丈夫でしょうね」
璃玖は山の山林の枝葉の隙間から見える空を見上げた。薄くではあるが、風が見えた。きっと、抱いている白結丸はもっときれいに風が見えているのでしょう。
「どこへ行くのかって?雷巌、もう忘れたのか?伊豆大島に、兄上を助けたという霞家の一党がいるらしいから、そこへ向かうのだよ」
「・・・」
雷巌は何も言わず、頭を掻いた。
「ほんとにお前は忘れっぽいな。大事なことだから、忘れないようにしておけよ」
宵近丸の言葉に雷巌は何度もうなづく。
「それに、まずは伊豆につかなければ後ろからきている役人たちが我らから離れてくれないからな」
雷巌は両腕の力こぶを見せて、ふん!と鼻息を鳴らす。
「駄目だ、雷巌。やっつけちゃいけない。我らが言いつけ通り伊豆に着いたことを都に報告してもらわなくちゃいけないんだから」
「・・・」
雷巌は肩を落として悲しそうな顔をする。
「そう悲しそうな顔をするな。我らがやるべきことはまだまだ先の話だよ。今は伊豆について、力を蓄えないといけないからね」
そう、やるべきことはまだまだたくさんある。まだ始まったばかりだ。




