序章ノ十一 ”二つの血”
栄昌元年 秋
浄基と千子の子、時千代が生まれた。
ようやく生まれた緋家の嫡男の誕生に、六原は沸き立った。紀基でさえ目尻を下げて千子を褒めたたえた。
「この子はいずれ、緋家の未来を背負うことになる子じゃ」
浄基でさえあまり見たことのない、紀基の心からの笑顔だった。貞秀丸を抱いた浄基の母しのも様子を見に来たが、貞秀丸がむずかったので、紀基ともども早々に引き上げていった。
紅羽は興味津々で時千代の顔を眺めていたが、伊佐は紅羽の背中越しに覗き込んでは引っ込みを繰り返していた。
「ほれ、伊佐。もっと寄って見よ」
浄基が伊佐を前に押すと、急に時千代が泣き出し、それに驚いた伊佐も泣き出した。
「おっと、すまぬ、伊佐」
「あら、まあ」
「父上、伊佐を泣かしてはいけません」
紅羽が言うと、千子は笑った。浄基は「すまぬ」と言って頭を掻く。
「時千代は乳が欲しいようですね」
「・・・よくわかるのう」
「母というものはそういうものです」
時千代は千子の乳を口にくわえるとすぐにおとなしくなった。
宗明は馬を走らせていた。
時折後ろを振り返り、警戒しながら今日の道を駆け抜ける。大路を抜け、羅城門を抜ける。
山間の山林に分け入り、さらに奥、竹林に入る。人の通った後は一見ないように見えるが、笹をかぶせて見えないようにしているのが分かった。
馬を降りてあたりを見渡しながら、草をかき分けて進む。どれくらい進んだのか、奥の方に廃寺のような建物が突如として見えてきた。
宗明は刀を抜き、注意深く寺の奥ヘ進む。本尊の千手観音像が立っているが、他に怪しいところは見当たらなかった。ここを宗忠が指した以上、何かあるに違いない。
その時だった。
宗明は背後の首筋に冷たいものを感じる。先ほどまで全く気配など感じなかった。これほど簡単に背後を取られるとは・・・。
「何者か?」
宗明が尋ねると、首筋の刃物が離れるのを感じた。
「霞宗明殿でありましょうや」
背後からそう声がする。低く落ち着いた声だ。
「いかにも。検非違使尉霞宗明である」
「失礼いたした。いつぞやぶりにございます」
「お主、あの時の忍びじゃな?」
「はい。恒範王に仕えておりました。”朧”とお呼びくだされ」
「では朧、宗忠殿より楠慶秀に会えとここへ来るように頼まれた。慶秀殿はおられるか?」
「承知しております。しばしお待ちくだされ」
朧は本堂の中に入り、本尊の千手観音像を横に押すと、その壁に通路の入り口が現れる。
「なんと・・・」
「子の奥に慶秀殿がおられる。宗忠殿よりすでに宗明殿がお見えになることは承知しております」
「承知した」
「暗いのでお気をつけくだされ」
そういうと、朧は入り口を閉じた。
暗くてジメジメとした狭い通路を、ギシギシと床を鳴らして進む。やや頭を下げていないと、烏帽子が天井に擦れるくらいの高さだ。
やがて突き当たりに木戸があり、開けると日の光が一気に宗明に降ってきた。目を細めて辺りを見渡す。
そこは驚くほど広い場所だった。床には板が敷き詰められて、白壁が広がり屋根は全体の半分ほどしかなかった。
「霞宗明殿ですな」
職人らしき男が宗明を見て近づいてくる。
「いかにも。楠慶秀殿か?」
「はい。楠流継承者慶秀と申します」
無精ひげと精悍な顔つき、締まった体は浅黒く焼けていた。
「ここは霞宗忠殿が密かに作られた御体の御造所と呼ばれる場所です」
「御造所・・・」
「こちらへ」
宗明は慶秀に誘われて奥へと入る。
すると、大きな荷車のようなものに寝かされた御体があった。その御体は碧色の鎧を纏ったような姿で、緋家の御体とは明らかに違い、ずっと人に近い姿をしていた。
「唐から持ち帰ったものではない、倭国で初めての御体、名を”碧縅皐月紋・風結”にございます」
「風結・・・・宗忠殿は、御体を作っておったのか・・・」
紺碧の鎧姿と兜には左右二本の飾りが伸び、縅には皐月の風を現していると思われる紋が飾られている。
「恒範王と霞兼信殿から資金を受け、蓮華寺の蓮空殿に御体に必要な御霊石を探してもらっていたようです。だが蓮華寺は御霊石を探していることを紀基に気づかれ、焼き討ちされました。ですが、御霊石は佐渡の金山で見つかりました。金と一緒に掘り出され、今まではいらぬものとして捨てられていたそうです」
「御霊石?」
「はい。御霊石は御体を動かすために必要な、霊力を取り込む石のこと。繰り手にも霊力が必要で、それだけでは足りぬ場合は陰陽師の霊力をこの御霊石にため込みます。その霊力が切れるまで御体は動かすことができるのです」
「ではその霊力とやらがある限り、いつまでも御体は動き続けられるということじゃな?」
「そうなりますが、人は動き続ければ必ず疲れて動けなくなります。霊力も然り。力が尽きれば動くこともできなくなります。さらに、御体の傷の痛みは繰り手に伝わります。繰り手の体は傷つきませんが、痛みだけは伝わるのです」
「なんとも、面妖なものなのだのう」
そう言いながら、風結を見上げてその威圧感に圧倒されていた。
「これがあれば、紀基を討てる・・・」
「宗明殿、お願いがある」
慶秀が宗明をまっすぐに見る。
「御体は人のための技。人が生きるためにお使いいただきたい。おれは先の戦で紀基が御体を殺し合いの道具にしたことで緋家に怒り、逃げ出してここへ来た。もう、人殺しの道具を作りたくない。それだけはわかっていただきたい」
「うむ・・・。だが、争いの種は紀基にある。緋家を討たねば争いは消えぬ」
「わかっております。ですから、この風結を作りました。これですべての争いを終わらせてくだされ」
「わしに出来るだろうか?」
「宗明殿に出来ねば、誰にもできないかもしれませぬ」
「皮肉じゃな」
そう言ってにやりと笑った。
「澄乃ーっ!!」
紀基は自分でもわかるくらいに顔が熱くなるのを感じていた。
澄乃の部屋にどかどかと上がり込み、熙耶や女御たちが止めるのを力づくで振り払い澄乃に掴みかかる。
「なんのつもりか!?」
「お主、この腹に子がおるとはまことかっ!?」
!?
一気に鼓動が跳ね上がるのを感じる。
不意に熙耶を見るが、熙耶はおろおろした様子で首を横に振る。
「なんの話でございましょう!?この手をお離しくだされ!!」
「真のことを話せ!」
「ですから、何も存じませぬ!!」
紀基が澄乃の襟から手を放す。
「しらを切るなら、これを見よ」
そう言って懐から手紙を出す。それは千子が霞宗明の正室・璃玖に宛てた手紙だった。
字の読めない澄乃に代わって熙耶が読み、耳打ちする。
「我が猫の腹が膨らんできました。親猫ともども、元の家に戻してあげたいのです。引き取ってくださいませ・・・」
「今朝方、ひとり怪しげな女御を偶然見つけての。捕まえて裸にしたところ、この書を持っておった。千子から霞の局に宛てた手紙じゃ。猫とはお主のことであろうが!?」
「・・・千子姉様は何と?」
「猫の話としらを切った。子息も生んだばかりじゃ。それ以上は聞いておらぬがな」
・・・良かった。浄基の手前、千子には紀基も強く出られないのだろう。
「では、猫の話と存じます」
「嘘偽りないな?」
返事はしないで、睨みつける。
「紀基様、何かあればわたくしからご報告を・・・」
熙耶が澄乃の横に出て縋りつく。
「うるさい!!」
紀基は熙耶を平手で打つ。熙矢は床に転がる。
「熙耶!なんてことを!!」
「澄乃、お前は罪人の嫁だ!子があれば罪人の子だ!我が緋家から罪人の血筋を育て上げるわけにはいかん!!生まれ次第、川に沈める、そう思え!!」
澄乃の鼻先に指をさす。
「父上・・・何をそんなに恐れるのですか!?国を預かる関白太政大臣ともあろうものが、生まれもせぬ赤子ひとりに何をそんなに怖がっておいでなのです!!いい加減になさいませ!!!」
「うるさい!!」
紀基が澄乃の頬を打つ。
「くっ!」
「子の血筋は争いの元となる!争いとなれば多くの民を苦しめるのじゃ!!」
「緋家のために多くの民が苦しんでいるのが、どうしてわからぬのですか!!」
澄乃も食い下がる。
「うるさいと言っておろうが!!」
バシッ!反対の頬を打たれて澄乃が床に倒れる。
「姫様!!」
熙耶が駆け寄る。
「もうこのわしに歯向かえるものはこの世にはおらん。もしそんなものがおるとすれば、これから生まれる子であろう。緋の血筋を守るためなら、帝であろうが僧侶であろうが関係ないのじゃ!わからぬか!緋家が天下に立ってこそ、この世は安泰する!すべての力を抑えてこそ、安寧の世は保たれるのじゃ!お主などに、国を統べるわしの考えは、とうに及ばぬところにあるのじゃ!」
そう言って紀基はどすどすと足音を立てて出て行った。
「姫様・・・大丈夫ですか?」
少し口から血が出ていた。舌先に血の味を感じる。
「熙耶こそ大事ない?頬を冷やしなさい」
女御たちが慌てて水桶と手拭いを持ってくる。
悔しいが、今は自分の身もどうすることもできない。宗矢に会いたい気持ちが膨らみ続けるが、この六原を出ていくことも今はできないのかもしれない。
ミカナは御造所に入り浸っていた。
宗忠がいない今、山城の屋敷に戻ることもできない。それなのに、工房には近づいてはならないと慶秀から言われてしまった。なんでも、混じり物の少ない大きな御霊石が運ばれてきたそうだ。ミカナのような霊力の高いものが近づくと何が起きるかわからないと言われた。
でもその日は、慶秀から霞宗明という霞家の頭領が来るということで、挨拶くらいはしておいたほうが良いと言われて工房に来ていた。
御造所の奥の座敷から工房へ入ると、なんとも言えない風の感覚があった。
・・・なんだろう?この風?
光っている?いや闇?呼んでいるような、何か・・・。
ミカナは惹きつけられるように、ふらふらと足を進める。
「おい、ミカナ!」
慶秀の声がして、はっと我に返る。
・・・今の、何?
「宗明殿、こちらが風の陰陽師ミカナです」
慶秀の隣に、口髭をはやした男が立っている。背は高くないが、実際よりも大きい印象を与える。
「この娘が、陰陽師?」
「ミカナ」
「?」
「私の名前。ミカナ」
「・・・おう、すまぬ。霞宗明じゃ」
「少し・・・少しだけど、変わった風を感じるね」
「風?」
「うん・・・。でも、ちょっと弱い風。神無月の雨の日に降るような、少し落ち着かなくて迷っているような風」
「・・・不思議なことを申す娘じゃの」
「陰陽師とは不思議なことを生業とする者ですからの」
慶秀は言うと、宗明を御体のところへ促した。
「この胴のところに人が座ります。そしてこの玉が御霊石です」
緑色で半透明の勾玉が据え付けられている。鈍く光りを発している。佐渡の金山では、この鈍い光が不吉とされ、昔から金に交じっていても山に捨てられていたそうだ、と慶秀は説明した。
「そして、この御体には霊力を貯められる、大きな御霊石を取り付けてあります。常人では難しいが、霊力のある人間ならこの御霊石を通じて御体を長い時間、素早く動かすことができます」
「だが、先ほどの話では、御体を動かすのには霊力とやらが必要なのであろう?大きな御霊石にためるだけの大きな霊力とやらが必要なのではないのか?」
「はい、申される通り。それで、この御体に必要となるのがミカナです」
「わたし?」
不意に出た自分の名前に、驚くミカナ。
「うむ。ミカナはおそらく、今まで見たどの陰陽師よりも強い霊力を持っている。御体の強さ、速さは御霊石の力、そして霊力の強さによって決まるようであるから、ミカナがあってこそ、この風結は完成すると言っても過言でないでしょう」
「どこに、その大きな御霊石というのはあるのか?」
宗明が慶秀に尋ねる。
「頭の部分にあります」
慶秀が兜の仮面のような部分を取り外すと、緑色の御霊石が現れる。
ミカナは、その時感じた。
・・・さっき、私を呼んだのはあなた?・・・どうしたいの?
体がふらふらと吸い寄せられる。
「ミカナ?」
・・・そう、わたしは・・・・。
不意に御霊石が強烈な光を放ち始め、あたりを包んだ。
宗明も慶秀も視界を奪われて腕で目を覆う。
「・・・うわっ!?」
「何だっ!?」
・・・・・。
しばしの沈黙の後、光は急に小さくなっていった。
慶秀は目を開けると、そのまま横たわる御体・風結がある。
「何が起きた?」
宗明の問いに、慶秀は答えられない。
「わかりませぬ・・・ミカナ?」
すぐ隣にいたミカナの姿がない。
「どうした?ミカナ!!」
叫ぶが返事はない。そしてミカナのいたあたりに、ミカナの装束だけが取り残されている。
「慶秀殿、これは・・・?」
宗明が御体の頭にある御霊石を指さす。御霊石の中には、ほんのりと青白い光が灯り続けている。
「もしや、この中にミカナが・・・?」
二人は顔を見合わせた。
「御霊石の力と、ミカナの霊力が強すぎて引き合いすぎたのか?そして取り込まれてしまった・・・?」
「そのようなことがあるものなのか?」
「いえ・・・。聞いたことがありませぬ」
「しかし・・・消えてしまったとは?」
「霊力が御霊石に満ちています。ミカナは生きてこの中にいると・・・」
「どうすれば元に戻るのじゃ?」
「わかりませぬ。おそらく霊力を使い果たせばあるいは・・・」
こんなことは師である李昌烈からも聞いたことがない。人が石に取り込まれるなど・・・。
「あとは繰り手がいれば、ミカナも元に戻るやも・・・ミカナの霊力はやはり・・・」
「繰り手か・・・」
「心当たりが?」
「ないことはない。今は遠くにおるのだが・・・」




