第1話:12月の冷たい風
死ぬほど誰かを愛したことがあるひと、また愛されたい人に読んで欲しい。
「ねぇ……私が別れようって言ったらどうする?」
憎ったらしいほどに幸せそうな可愛い表情で彼女は僕にそれを聞いた。その時感じたこの言葉の意味には、実は深い意味はなかったのだろう。
たしかにめんどくさいやり取りに感じたそれは、ただ互いの思いやる気持ちを確かめ合うだけのものだった。かと言ってまったくその乙女心を相手にしない理由は彼氏の立場には存在せず、お互いに好きだという気持ちをほんの少しだけ実感できるのは、普段から忙しいと偽る僕にとっても大事なことだったのかもしれない。
「僕は、別れないよ。君が別れるって言っても無駄だよ」
そう言って、彼女の頭を胸に引き寄せ撫でた。
その時は、これで正解だなんて不覚にも思ってしまっていたんだ。
けれど、周りを駆けた12月の風はこれから来る二人の未来をあまりにも冷たくし始めていた。
「今日、すごく寒いね。拓也君」
「手をつなごうか…こっちにおいで」
手をつないで一緒に好きなことをして一緒に居る時間があっという間に過ぎるような気がした。付き合って3年にもなる彼女がいまだに僕を拓也君と呼ぶのは、彼女が僕よりもずっと我慢をしているからだろう。
付き合いが深まると気がつくと僕の周りは、もう彼女の色に染まっていて、手に取るもの、身に付けるものすべてに彼女との思い出が存在した。
間違いなく存在していたはずの“信念”みたいなものがいったいどこへ消えたのか……彼女はバイトを始めて、僕は、4月からの就職先から内定をもらい、学生最後の休日を過している時。
一人暮らしの彼女のアパートで、一緒に借りてきた映画を一緒に見たりなんかして、そろそろ帰ろうかとした時、彼女が僕に相談という別れ話をきりだした。
「あのね、拓也。相談があって……あのね……実は私、バイト先にいる人に告白されてね……その人の事気になるの」
呆気にとられるってのはこういうこと。頭にぽっかり穴が開いて見ている世界に沈み歪む。
咄嗟に言い訳ばかりをして、みっともなく。一方的な愛を述べて、愛していると何度も媚びても数分前の世界には戻らなくて、やがてまっすぐに彼女の顔も見れなくなり、背後で流れるにぎやかなバラエティ番組のテレビの音量すら耳に入らなくなった。
やり場のない怒りを、強がって必死でこらえた事。しわくちゃに自分が悪いとなく彼女を、見ていることができない。
「正直どうしようか迷ったの……私の周りはもう拓也でいっぱいだし、嫌いなわけではないし、別れるのはすごく嫌なの。でも、こんな気持ちなのにあなたと付き合ってたら……拓也は辛いでしょう?」
こういう恋の迷いを当人である僕に相談する時点で結果は見えているとわかっている。
だから僕はすぐに彼女に、こう答えた。
「いいよ、別に……恋愛感情がないなら無理してまで付き合うことない! そのかわり、悪いけど……俺はすぐ次の恋を見つけるからな。幸せにねっ」
幸せに……よくそんなこと言えたなって思う。
唐突な別れに自分の気持ちがわからなくなったのだ。
けど、いつものように彼女は玄関で僕を見送る際に言った。
「……ごめんね。強がってるんだよね、ほんとに傷つけてごめんね」
その言葉を聞いて、もう……言い表すことのできない敗北感を感じた。ごまかそうとしてた執着心を隠せるはずもなくて、ひどく悲しい表情で彼女を見つめていた。
「……じゃ、元気で……」
笑顔無く閉まったドア。かちゃりと鍵が閉まる音がアパート中に響き渡るほど大きく聞こえた。
彼女の部屋にたくさんあった僕との思い出はたった一日では片付けられないほどの量だったはずなのに、どうしてか一瞬のうちに、その時に手で持って帰れてしまうほどに薄く軽いものに変わっていた。
だらしなくエンジンをかけた車。その帰り道の車の中で泣いた。
軽く降っていた雨も強まってきてフロントガラスは滲んで、ワイパーが僕の涙も一緒にぬぐってはくれないかと思うほどに冷たいものに感じた。結局寂しかったのは僕だ。
どうしても、もう一度声が聞きたくて携帯電話を手にした。
すぐ電話に出てくれた彼女に、みっともない泣き声で彼女に言った。
「……僕は、別れないんだ……約束したんだよ……君が別れるって言っても別れないって……だから……もう一回だけでいいんだ……考え直してほしい……」
それから彼女は、僕にあえてひどい言葉を連ねては、僕の気にしていることとか嫌な事とかをわざと言って嫌われようとした。そういう気持ちがすごくいたたまれなくて辛い。
「……でも、悪いのは本当に私だから。ごめんね」
――そういうところ嫌いだった。でもとても好きだった……だからさ……そうやってまっすぐ謝られると、もう……僕はどうしたら良いかわからなくなってしまうんだよ
「ほんとにごめんね……拓也」
「後悔するよ?」
「……しないよ。だからバイバイ……」
電話が切れた後、僕は小さくため息をついてハンドルによりかかる僕。冷たく感じるハンドルには車の中なのに湿り気を感じる。
電話をしながら走った普段片道30分の距離は、2時間近くも遠い回り道をしていた。
12月にこぼれた涙はいつのまにか冬の空っ風に吹かれ、枯れている。




