1久世誠司は一時代を築いた作曲家だった
久世誠司は一時代を築いた作曲家だった
カチカチと鳴るマウスのクリック音は防音壁に吸い込まれていく。長考の後に脇に置いたキーボードを2、3叩いて音をいくつか試してから再びモニターへ。
久世の作曲風景は見慣れたもので、タイミングを誤ればしばらく口を効いてくれなくなる。それをよく知っている日向はタイミングを見計らって話しかける。
「久世さん、メール読んでおいてくださいね。せっかく人気の歌い手さんから依頼来てるんですし受けたらいいじゃないですか」
その瞬間、ようやく日向の訪問に気付いたのか一瞬視線だけが日向に向いて口はへの字に歪んだ。
「やーだね。顔も名前も知らねぇ相手の曲作らなきゃならんのだ」
久世のもとに足しげく通う後輩、日向葵はため息まじりに冷蔵庫へ食材を入れている。
名字が日向、名前は葵。書いて字のごとくひまわりちゃんなどと呼ばれるが歴とした男である。なんなら久世の2歳下で40代を超えている。
「ボカロの世界ってそういうもんでしょ……けっこうkuzuの曲も歌ってるし曲への理解はあるんじゃないですか?」
「ハッ!俺へのリスペクトもねぇのに書けるかよ!だいたいメールで物事済まそうってのが気に入らねぇ」
「リスペクトって……一番久世さんらしくないセリフですねぇ……だいたいあなたメール以外の連絡手段ないのにどうやって連絡しろと……」
「俺は俺の作りたい曲しか作らん」
カチカチとマウスをクリックして三枚並んだモニターの正面にメール画面を起動させる。
丁寧な文章の自己紹介にはじまり自身のチャンネルリンクが貼られていた。よくある作曲依頼のメールだ。
名前はAo。
和音だけで作られた名前は久世の好みだ。それがハンドルネームでもセンスがよい。
チャンネル登録者数は100万には届かないものの6桁には届いている。投稿された曲はkuzuPのものが多いが歌唱が難しいと言われている曲も難なく歌いこなしており技術力の高さが伺えた。
ろくにメールの文章に目も通さず動画の歌を聞くこともなくメールをゴミ箱に捨て画面はコード進行の黒い画面に切り替わった。
防音だけが取り柄のこの古い物件は音漏れを気にせず作曲できる珍しい環境だ。
「久世さん来月誕生日ですねぇ。ケーキでも買ってきます?」
「いらねぇ。祝う歳でもないだろ」
「45歳でしたっけ?」
「……さぁ……」
その事実に愕然とする。
45歳。
本気で信じがたかったのだ。
作曲家として表舞台から干され、ボカロPとなってから10年が経過したという事実が。
スキャンダルにより全ての仕事を失うということは音楽を発表する場所を失うに等しいことだった。
かつては久世の曲を使えばヒット間違いなし、なんて言われた時代があった。
しかし、奢れるものは久しからず。
どんなときでも謙虚な姿勢を忘れてはいけない。
妻子がいる身でありながら新人女優を何人も侍らせラブホテルに出入りする現場を撮られ久世のイメージは失墜しま。
妻からは離婚を言い渡されその時関わっていた仕事は全てキャンセル。損害賠償額は億に達した。
とはいえ学生時代から音楽しかしてこなかった久世には今さら音楽以外にできることなど何もなく、そんな当時30代無職おじさんをみかねた日向がボーカロイドを与えてくれたのだ。
「……ボーカロイドはいいね、こっちがどんな無茶振りしても応えてくれるんだ。こんな懐の広い歌い手は世界中どこを探したっていねぇよ」
「それがボカロの良いところですからね。夕飯鯖ですけど煮付けと塩焼きどっちがいいですか?」
「塩焼きの塩抜き」
「なんだそりゃ。ただの焼き魚ですね、減塩減塩」
スピーカーからボーカロイドの機械音声が流れる。最近のボーカロイドは優秀なもので自然な声の表現が可能で人間と遜色ない、とまではいかないもののボーカロイドらしさと自然な歌が両立されている。
最初こそ不慣れな機械音声に違和感があったがそのうち慣れた。
今となってはkuzuPはボカロ界でちょっとした有名人だった。
「『メロディに平成初期をかんじる』『懐メロ』『古のボカロ厨歓喜』……うるせぇ、俺の曲が古いってことか!?」
称賛とも酷評とも受け取りづらいコメント欄に食って掛かる。
ネット界隈のノリには慣れたつもりだが、自分への批評となると冷静でいられなくなるのだ。
「このあいだアップした曲ですか?まぁたしかに平成っぽさありましたけど……って一部が沸いてるだけですよ、そのコメント」
「…………」
音楽以外の道がないわけではなかった。
干されたのは30代前半。まだまだやり直しがきいた歳だっただろう。
しかし、結局のところ曲を作るという道にしがみついて40代も半ばに差し掛かっている。
このままで良いのだろうか。
そんな意味のない葛藤が押し寄せる。
どれだけ愚直でも自分にはこの道しかないのだと無理やり自分に言い聞かせているだけなのかもしれない。
「隣、誰かが引越して来たみたいですよ」
「ほー、こんなエレベーターもしょっちゅう壊れる物件に?物好きがいたもんだな」
「その物好き代表が何言って……近くの大学の子じゃないですか?誰かさんが女子大生連れ込むために学生街に部屋買ったから」
「うっせぇ!」
「夕食は鯖の味噌煮ですよ」
「…………引越してきているならしばらくうるさいかもな」
「音出しますし挨拶くらいしておいたほうが良いんじゃないですか?」
「…………」
防音設備はとうに古びてかつてほどの性能を発揮してはいない。
誰ひとり住人のいない7階の、わざわざ隣に住むと言うのだから相当な物好きだ。
日向の言うとおり挨拶くらいしておいたほうがこの先波風立たせずに済むだろう。




