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第十六話:甘噛み



 ……それからは、特に大きな問題も起こらなかった。

 逆鱗の心臓を破壊したことで、ブラックドラゴンは完全に活動を停止した。

 念のため、内部も一通り見て回ったけど。

 亜竜の出現も確認されず、私たちはそのまま外に出た。

 止むことなく降り続けていた灰色。

 それも、今はひと欠片も降ってはいなかった。

 ブラックドラゴンは死んだのだ。

 その事実を、灰の降らない景色が何よりも証明していた。

 

「――それでは、初の冒険成功とー。

 サンドリヨン初の偉業を祝しまして――乾杯っ!!」

「どうでも良いが、何度目じゃコレ」

 

 酒場に朗々と響くキャンディの声。

 それに相方のクロームは呆れ顔で応じる。

 口ではそう言いながら、彼は何杯目かの火酒をぐいっと呷った。

 浮かれているのは、何もキャンディだけではない。

 今や酒場はちょっとした宴会場だった。

 

 ……確認作業を終えて、私たちはサンドリヨンの組合支部へと帰還した。

 そして灰の発生を止めた事を、待っていたイヅナに報告した。

 灰が止んだこと自体は、彼女の方も確認していたのだろう。

 すぐさまその報せは、支部である酒場を中心に町全体を駆け巡った。

 数千年も止むことのなかった、サンドリヨンの灰が止んだ。

 当然の帰結として、人々は大いに盛り上がった。

 

「これで無限に灰と格闘する日々ともオサラバだな!」

「まぁまだ山みたいにあるんだけどな、文字通り」

「新しく降らなくなっただけでも随分とマシだろ。

 これで灰を除去する手立ても、真面目に考える必要が出て来たな」

「そこらは《組合》の上層部やユニオンのお偉い方が考えるだろ。

 兎に角、遺跡漁りのために開けた穴が埋まらなくなるだけでありがたいね」

「灰の後始末も大事だが、ブラックドラゴンの亡骸もどうするか――」

 

 ワイワイ、ガヤガヤ。

 誰も彼もが、明日について真剣に語り合っている。

 時に穏やかに、時に激しく。

 私はそれを、どこか他人事のように聞いていた。

 ……いえ、実際他人事ではあるのだ。

 彼らは冒険家として、まだ見ぬ過去の遺物に胸を躍らせている。

 それらを求めてこのサンドリヨンで活動しているのだから、当然の話だ。

 

 私だけが、処理し切れない複雑な感情だけを見ている。

 正しいことをした――と。

 そう断言するには、胸の奥に鈍い痛みがある。

 自ら決めて、その通りに行動した。

 ただそれだけの事であるはずなのに。

 

「……吐き出したいなら聞くぞ」

 

 そんな私の傍らで。

 やっぱり騒ぎを他人事みたいに聞きながら、ヴィーザルは静かに口を開いた。

 気遣われているのは分かるので、私はつい笑ってしまった。

 

「ありがとう。でも、つまらない悩みですから」

「他人の悩み事なんてのは、聞く側からすれば大抵つまらない事だろう」

 

 淡々と言いながら、彼はグラスの酒で唇を湿らせる。

 私も、酔えない酒を少しだけ口にした。

 味は美味しい、それは間違いない。

 ただ、人類種が酩酊する程度のアルコールでは私には効かないだけ。

 

「悩みなんてのは、他人が聞いてつまらないぐらいで良いんだ。

 でないと、聞く側まで同じように頭を悩ませる事になるからな」

「……なるほど、意外と良いことを言いますね?」

「意外とは余計だ」

「あら、それは失礼」

 

 クスクスと笑う私に、彼もほんのちょっとだけ笑みを見せた。

 この場にいるのが、まるで私たちだけのような錯覚。

 向かいに座ったキャンディは、すっかり出来上がって別世界に旅立っていた。

 クロームの方は黙々と酒量を増やしている。

 私とヴィーザルの周りの時間だけが、ひどく穏やかに感じられた。

 

「……別に、やった事に後悔はしていないんです」

「あぁ、それで?」

「ただ、同胞の死を悼んでいただけなんですよ。

 正しいとか、間違いとか――今は、そういうのは良く分からなくて。

 少なくとも、私ぐらいしかあの竜の死に胸を痛める者はいないでしょうから」

 

 自分で言っておきながら、思わず笑ってしまう。

 殺すことを選んでおきながら、その殺した相手の死を悼む。

 あまりにも偽善の行いで、自らを嘲るぐらいしか言葉が出て来ない。

 ――本当に、酷い偽善だ。

 あのブラックドラゴンが味わった数千年の孤独を想った。

 ドラゴンが自らの内で守ろうとしたモノ、私だけがそれが何であるのかを知っていた。

 知っていて、自らの意思で手を下すと決めた。

 眠りから覚めた後の新しい一歩目、そのために相応しい行いだと。

 そう、簡単に飲み下せると思っていたのに。

 

「……確かに、つまらない悩みではあるな」

 

 グラス一杯分の酒を飲み干してから。

 ヴィーザルは、ぽつりと呟くようにそう言った。

 ……自分でも口にした事のはずなのに。

 改めて彼に言葉にされると、ズキリと胸が痛んだ。

 けれど、伸びて来た手が私の頭を無遠慮に撫でると。

 不思議と、その感触が胸の痛みを和らげてくれた。

 

「それでも、お前にとっては重い話だ。

 つまらないと言った俺の言う事じゃないだろうが――あまり悔いるな。

 お前が必要だと決断し、その上で『俺たち』がやった事だ。

 事の是非を思い悩むぐらいは良い。

 どういう形であれ、悩んだ末には何かしらの答えがあるからだ。

 だが、やったことを悔いるのは止めておけ」

「ヴィーザル……」

 

 驚いて、私は彼の顔を見上げていた。

 髪の毛や角に触れる手を、振り払いもせずに。

 良く見ると、厳めしい顔にはほんの少しだけ朱の色が帯びていた。

 それは、果たしてアルコールのせいだけだろうか。

 

「………酔って口が滑ったな。

 気分を害したなら謝るし、酔っ払いの戯言だと思って忘れてくれ」

「いいえ、そんなことは決して」

 

 バツが悪そうにそっぽを向く彼。

 呟く言い訳に似た言葉を、私はしっかりと否定した。

 ヴィーザルの言う通りだ。

 私は、正しく終われずにいる同胞の在り方を憂いた。

 灰に覆われるばかりの星の姿を、間違っていると思った。

 過去に置き去られた私が、新たに踏み出す一歩目。

 そのためにも、目の前の悲劇と困難を解決しようと決めたのだ。

 

 死を悼み、自身の内にある正しさと間違いを思い悩んだとしても。

 自らの行いそのものを、悔いてはいけなかった。

 そうしたら、私を含めた何もかもが過ちだったと認めてしまう事になる。

 それはあまりに無意味だし、無責任だ。

 

「ありがとう、ヴィーザル。

 貴方の言葉で、胸の奥が軽くなりました」

「………そうか」

 

 短く、一言だけ。

 たったそれだけの言葉を、私は嬉しく感じてしまう。

 出会いは最悪で、付き合いだってまだ瞬き程度。

 それでも、私は彼の傍らにいる事を心地良く思い始めていた。

 そう感じる事そのものも、決して不快ではない。

 

「――なになに、なんのお話?」

 

 と、いつの間にやらキャンディが顔を覗き込んで来た。

 もう見るからにベロンベロンに酔っぱらった状態で。

 

「おいキャンディ、絡むのは止めとけって」

「別に絡んでませんしー?

 これからも仲良くしたいから、ちょっと構って貰おうと思っただけですからー」

 

 嗜めるクロームの言葉もどこ吹く風。

 ふらふらしながらも、キャンディはとても楽しそうだった。

 お酒を呑んだぐらいでこんなに酔えるのは、見ててちょっと羨ましい。

 ただ、ヴィーザルは明らかに鬱陶しそうな顔をしていた。

 

「飲み過ぎだ、馬鹿。絡むなら別の奴にしろ」

「ええー? 良いじゃんさー。

 まだまだ一仕事しただけなんだから、もうちょっと親交を深めないとー」

「ドン引きされとるぞ。深まるのが溝になりかねんから自重しとけ」

「クロームも上手いこと言いますね」

 

 彼も随分呑んで酔っているだろうに、ちょっと感心してしまった。

 とはいえ、それで止まるようなキャンディではなかった。

 むしろ口元の笑みをより深くして、グイグイと余計に押し込んでくる。

 

「コラコラー、折角美人エルフが構ってあげてるんだからさー。

 もうちょっと喜ぶとかさー、態度ってもんがねー?」

「本気で酒癖が悪いなこのエルフ……!」

「テンションが五割増しぐらいになるが、悪気はないんじゃよ」

「悪気がない方がタチが悪いだろう、コレは」

「ちょっとー、何でクロームの方を構うのさー。もぉー」

 

 見ている分には楽しいので、とりあえず眺めておこう。

 ヴィーザルは鬱陶しそうだけど、キャンディを無理に振り払ったりはしない。

 なんというか、そういうところは意外と紳士だ。

 キャンディの方も分かっているのか、態度を改める気はないらしい。

 また一杯、新たな酒を口にする。

 

「――あ、そっかぁ。そうかそうか、そういう事か」

 

 直後、アルコールを司る神格から天啓が下ったのか。

 何かを思いついた顔で、キャンディは緩く首を傾げる。

 

「おう、酔っ払いがいらんことでも思い付いたか?」

「アレかー、つまりヴィーザル君はアルヴェンと仲良くしてたワケですかー」

「ぶっ」

 

 クロームの問いに、キャンディが満面の笑顔で答えた。

 と思ったら、ヴィーザルが何故か噴き出した。

 はて、それなりに楽しく会話はしていましたから。

 別に彼女の言葉におかしな点はないはず。

 だというのに、何故かヴィーザルは酷く狼狽した様子で。

 

「お前、いきなり何を言い出すんだ」

「おや、アタシってばおかしな事でも言いましたか?

 ていうか真面目に聞くけど、アルヴェンとはそういう仲じゃないワケ?」

「違う。断じて違うぞ」

「ホントかぁー?」

 

 紳士なヴィーザルでも、流石に怒りのボルテージが上がって来たらしい。

 今にも立ち上がりそうな様子で、抑えるべきかちょっと悩む。

 しかし恐れを知らぬキャンディは、そんな状態でも更に言葉を続けた。

 

「アルヴェンなんてめっちゃ美人で良い子だし?

 そんな子を捕まえておいて、男がそんな気ないとか!

 奥ゆかしいにも限度ってモンがあると思いませんかー?

 第一、ヴィーザルってばアルヴェンと同室なんでしょう?

 こんな超美少女と同じ部屋にいて何も思わんとか逆にヤバいって!」

「ちなみにワシはお前相手には何も思わんぞ」

「そりゃクロームは枯れオジなんだからそうでしょうよ!」

 

 ……凄い、言葉の弾丸が止まらない。

 もう怒りとか通り越して、ヴィーザルの方もたじたじだ。

 あと、美少女云々は正直私は良く分からない。

 人型になったドラゴンなんて、大体似たような感じだもの。

 

「そーら、黙ってないでさぁ男の子!

 別に正直になることは疚しくもなんともないんですからねぇ!」

「だから、俺はアルヴェンのことをそういう対象としては見てないぞ……!」

「ホントかよぉ!

 アタシ見てたんだぞぉ、ちょっと馴れ馴れしい感じで頭撫でてたじゃんか!」

「あ、アレは別にコミュニケーションの範疇だろ……!?」

「何でもない男女はンな距離感でコミュニケーション取らねーよぉ!!」

 

 さて、これはいつまで続きそうかしら。

 クロームなんて、止めるの諦めてお酒呑みながら茶々入れるだけだし。

 酒場の他の客たちも、何だ何だと見物に来ている。

 ……うん、いい加減に止めるべきだ。

 

「頭撫でたんなら、もっとこう――あるだろっ!!」

「本当にいい加減に自重しろよ酔っ払いエルフめ……!

 故郷の森で祖霊が泣いてるぞマジで……!」

「そんなもんとっくに絶縁されてるわバカめ!!

 お前こそアルヴェンとちゅーしたいとか、そのぐらいのリビドー晒せよぉ!」

「クソッ、もういいブン殴る……!!」

 

 遂に色々とキレてしまったヴィーザル。

 テンションが最高潮に達したキャンディを制裁すべく立ち上がり。

 

「ヴィーザル」

 

 その直後に、私が手を引っ張った。

 そこまで本気じゃないけれど、それでもドラゴンの腕力だ。

 人間である彼では抗い様もなく、私の方に身体が傾ぐ。

 完全に不意打ちが決まった形だから、その一瞬のヴィーザルは無防備で。

 だから私は、躊躇いなく彼の頬に手を触れさせた。

 そして。

 

「――良い子だから、落ち着いて」

 

 囁いて、彼の唇に軽く噛みついた。

 怒ったり、気分が昂り過ぎた相手を落ち着かせるためのキス。

 信頼や親愛を向ける者にしか、基本的にはやらない作法だけど。

 ヴィーザル相手なら、まぁギリギリ問題ないだろう。

 キャンディの言うことが正しければ、彼も「したかった」ようだし。

 

「…………」

 

 うん、効果は覿面だった。

 激怒しかけていたはずのヴィーザルは、驚愕の表情のまま固まっている。

 唇と牙は軽く触れさせただけなので、私の方もすぐに離した。

 ……しかしこう、あんまり驚いた顔をされるとちょっと気恥ずかしい。

 

「キャンディ?

 楽しい気持ちは分かりますけど、過度にからかうのは余り感心――」

 

 そんな気持ちを誤魔化すつもりで、キャンディの方に注意しようとしたら。

 結構派手な音を立てて、ヴィーザルがテーブルに突っ伏した。

 え、ちょっと、これは――何故?

 

「ヴぃ、ヴィーザル? どうしましたか、ヴィーザル!?」

 

 突っ伏したまま動かなくなってしまった彼を、私は慌てて揺する。

 気を失っているとか、そういう感じではなさそうだけど……!

 そんな私たちの様子を見ていたキャンディは。

 

「……天然って怖いねぇ」

「お前さん、流石にちょっと反省した方が良いぞ?」

 

 などと、クロームと話していたけれど。

 その時の私には、それを聞いてる余裕はまったくなかった。



 

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