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 蒼然たる林の中を青年がひとり歩いている。その歩みは規則的で、迷いも疲れもなく既に定めた目的地だけを目指していた。

 後ろ姿でも彼がウルトナだとユシュネモは直ぐに分かった。蘇ってから再会した姿と左程変わらなかったからだ。どうやら、随分と場面の年月が進んでいるらしい。

 一体何処に行こうとしているかと首を傾げる。しかし、見えたウルトナの顔にユシュネモは傾げていた頭を思わず元に戻してしまった。

 大切な人を失い、自暴自棄になった世捨て人のような顔をウルトナがしていたからだ。

 え、と声にならない言葉がユシュネモから漏れる。もしかして、もしかしてだが、これは俺のせいだったりするのだろうか。極寒どころか、全身に氷柱を纏っているウルトナはユシュネモから見ても少しばかり声をかけにくい。相変わらず勝手に動く足がウルトナの後を追う。

 朝方なのか真夜中なのかも分からずにいたが、梟の鳴き声が今しがた聞こえてきたのでおそらく後者だ。なら、魔族退治に来たのかも知れない。確かに、梟が鳴く時間帯だけ活動する魔族もいるからである。

 ほどなくして、背を丸め地面に蹲っている男が目に入ってきた。怪我をしているのか引き攣った唸り声をあげている。血の匂いはしないが、中身の方はどうだろうか。たが、それはきっと自業自得な結果なのだろうとユシュネモは片方の口角をきゅっと引き締めた。

 彼の傍らには大小様々な墓石が転がっていて、その面には歪な陣法が描かれている。半分以上溶けた蝋燭の灯りを頼りにしていのか、所々に蝋の雫が落ちて固まっていた。

 陣法が良いものか悪いものかなんて、ユシュネモには手に取るかのように分かる。一度死んだことによって完全にユシュネモの魂に溶け込んだ、二度と開くことも現れることもない『部屋』に存在していたあの本。

 男が墓石に描いた陣法は、どれもが本に載っていたものだった。

 よくこれだけの知識を集められたものだと顎をさする。歴史から意図的に消されたものを探しだすのは並大抵のことではなく、男の強い執着心と執念を感じる。あれもそれもと片っ端から試した痕跡があるが、いずれも中途半端で男が完全に禁術の理を得ている訳ではなさそうだ。それでも魔族に堕ちるのは避けられない。

 ウルトナは男のすぐ傍まで来ると、妙な鋭さを帯びた目で見下ろした。


「教祖」


 蹲り地面に爪を立てる男の手を足で踏みながら、ウルトナが彼の正体を口にした。

 禁術に手を出し、退魔師に祓われる教祖なんてユシュネモは初めて見た。一体どこの宗教の人間だろうかと顔を覗き込んでみるが、当然全く知らない顔だった。想像よりずっと若くて驚いていると、若さにそぐわない嗄れた声が鼓膜を揺らした。


「貴様らなんぞに消されていい存在じゃない! よくも、よくも禁句令をだしたなこの外道が!」


 男の暴言罵倒は絶えず続き、肩で息をするまで口を挟む隙も無かった。ウルトナはおもむろに自分の胸元に腕を入れると、ローブの内ポケットから白い小さな欠片を手に乗せた。勿体ぶるようなわざとらしい素振りだったが、男の気を引くには十分だったらしい。その白い欠片を目にした途端、眼球が震えるほど動揺し息をのんでいる。


「それは…」

「ユシュネモの乳歯」


 聞き捨てならない。


 ユシュネモは頬に指を這わせながら、意味も無く舌先で奥歯の内側をなぞった。

 何故そんなものをこの人が持っているんだ。

 上の空になりかけたユシュネモだったが、水を得た魚のように喜色に濡れた教祖の「よこせ!」という叫びにすうっと瞳の焦点が戻った。

 ウルトナの手からユシュネモの乳歯を奪い取った男は、膝元に散っていた黒い土を爪が抉れる勢いでかき集めると、そこに乳歯を埋めてから自分の指の腹を噛み千切り、ウルトナには目もくれずに流れる血で陣を描き始めた。

 おかしい。こうもあっさりウルトナが物を奪われるなんて。奪われた後も取り返そうとせず、ただ眺めているだけなのである。もし今、ユシュネモが自由に動けていたら、ウルトナの両肩を握って前後に揺さぶっていたことだろう。

 たが、陣が描き進められていくうちに、ユシュネモは両手の行き先を見失ってプラプラと脇に垂らすしかなくなってしまった。

 招魂の陣。死者蘇生の禁術だった。

 この名も知らぬ教祖は自分を贄にして死人を蘇らそうとしているのだ。もしかしなくても、彼等が崇めている人物とは。


「冗談だろ」


 弱りきったユシュネモは、降り積もった雪の重さでしな垂れた枝のように俯いてしまった。

 男の体が陣に咀嚼されていく音が耳に届く。彼は高らかに笑いながらユシュネモの名を呼び謳い、国を滅ぼしたことへの幸甚を滔々と語っていた。


「ご大層な祝詞なことで」


 ユシュネモの口から犬歯がのぞき、鼻に皺が寄る。

 教祖の半身が陣の中に消えると、どこからともなくジャラジャラと鎖を引きずる音が夜の空に響いた。星が輝きを失い、月が紅く染まる。天変地異の前触れかと見紛うほど禍々しい気配が辺り一帯を包み、蛇の如くウルトナに纏わり付いた。しかし求める心臓が違うと分かると、スルスルと離れてまだ残っている教祖の半身に絡みついた。

 絡み付かれた教祖は使いきった雑巾のように絞られ、言い表せない音を筋骨から鳴らしながら容赦なく引き千切られると、心臓を剥き出しにされたまま完全に陣にとりこまれたのである。

 ユシュネモはウルトナを見た。兄は陣から視線を逸らさず、ただ待ち続けている。

 やがて陣の中心から光るものが生み出された。それは少しの歪さもない小さな円形の塊で、   淡く白光しながら存在を主張している。

 ウルトナが小さく息を吐き出した。ただそれだけなのに、何故か万感の思いが込められているかのように感じられた。

 指の筋が浮かぶほど手に力をこめているというのに、触れ方は見てる方の喉奥がむず痒くなるほど慎重かつ入念であった。

 魂胆を掬い上げたウルトナも淡い白光に包まれ、本来あるべき場所に戻るかの如く瞬間的かつ強制的に移動させられた。


「ウルトナ?!」


 移動先にいた退魔師達が蹈鞴を踏んでまごつく。

 流れる滝。生い茂る森。彼方に見える巨大な正門。

 ユシュネモは既視感を覚えた。異なるのは、まるで意思を持っているみたいにガタガタと揺れ動く墓石があることだ。

 ウルトナの手から離れた魂胆が墓石に吸い込まれていく。

 ピシッと石が割れる音と共に、ユシュネモの夢もそこで終止符がうたれたのであった。



□□□



 目が覚めた時、一番最初に視界に入ってきたのは、天井ではなくウルトナの真顔だった。

 名画を鑑賞するのと同じような感覚でぼうっと眺めていたユシュネモをどう思ったのか、ウルトナはユシュネモの両頬に手を当てて頬を掴むと、平素よりほんの少し高い声で「名前は」と問うてきた。

 ひんやりとした手とは対象的に、その声音は芽吹いたばかりの新芽のように柔らかで耳心地がよく、まるで晴天の海に揺蕩っている気分になる。

 しかし、兄の瞳は波よりもゆらゆらと揺れていて、穏やかなの欠片もない。手と声と瞳全てで異なる情緒を伝えてくる器用さに、ユシュネモの口角がゆっくりと上がった。


「あんた分かりやすいな。今まで気づけなかった俺、馬鹿だわー」

「…」


 長い髪をかき上げながら体を起こす。肩甲骨からパキリと音が鳴った。どれくらい寝ていたか聞こうとして、ここがツェニルティ家のウルトナの自室であると見て取ったユシュネモは、もう一度寝具に身を沈めた。


「あいつらは?」

「修練」


 ウルトナが水を持ってくる。受け取ったユシュネモはふたくちで飲み干してしまった。思ったより喉が渇いていたようだ。

 水が入っていたグラスをウルトナへ返しながら、ユシュネモは小鳥が囀る爽やかな朝と同じ調子で、それこそ挨拶よりも気軽に言った。


「兄上って俺のこと好きだったんだね」


 カシャン。


 ウルトナが机に置こうとしたグラスを倒してしまった。

 

「今も」

「え?」

「今も、これからも、それからも」

「それからもって何? 死んでもってこと? ははっ! っていうか、否定しないんだ。もっと照れたりするかと思ったのに」


 頬杖をつきながら悪い顔をユシュネモがしているのに、ウルトナは素直に吐露した。


「言葉は苦手」

「知ってるよ」

「人も苦手」

「それも知ってる」

「知らない」


 ユシュネモが蘇ってから、こんなに強くウルトナに否定されたのは初めてだった。何が琴線に触れたのだろうと眉を上げたユシュネモは、ウルトナの気分を損ねるのは嫌だと思い咄嗟にごめんと口をついていた。

 それに対し首を傾けたウルトナの様子に、自分の心配が見当違いであると分かったユシュネモは、ばつが悪くなったのを誤魔化すために頬を膨らませて拗ねたふりをした。


「いいよ続けて。俺が知らないって?」

「知らないままでいて欲しい」

「えー、教えてよ。俺さ、もっと兄上と仲良くなりたいんだよね。これからずっと一緒にいるわけなんだし」


 突如、ウルトナが凄まじい速さでユシュネモの胸倉を掴んだ。

 全く予想だにしていなかったユシュネモは、構えのひとつもとれずにいたため、うっかり舌の先を噛んでしまった。

 鉄の味が舌端に広がり、不快さに眉を顰めていると、その顔を真っ正面から浴びたウルトナがはっと我に返り、掴んでいる手の力を緩めた。しかし、緩めただけでなかなか離そうとしない。ウルトナの口唇がヒクついている。言葉を探っているかのような動きに心臓を擽られてしまったユシュネモは、グイッとウルトナの口角に親指を食い込ませて引っ張った。


「ほらほら笑って兄上…。あははは! 変な顔」


 ユシュネモはパッと両手を離し腹を抱えて笑った。

 だから、ウルトナの口角がほんのり上がったままであることを見逃してしまった。

 

「そのうち嫌でも知る」

「それもそうか。じゃ、こいつの出番はもうなさそうだな」


 こいつ、と言ってユシュネモがウルトナの前に出したのは沼地で拾った木箱だった。

 自分に起きたことをユシュネモが説明すると、ウルトナが霊剣で木箱を斬ろうとしたので、度肝を抜かれたユシュネモが全身を使ってウルトナを抑えつけた。


「まてまてまて! あんたってば、いつからそんな短気になったんだ!」

「元々」

「いいから剣をしまって。ほら、これからやらなきゃいけないことがあるって分かっただろ? 兄上も協力してよ、だからあの肉塊の所に連れてって。な?」

「ちょうどサザノンが助けを求めていた」

「ならなおのこと急がなきゃ」


 革靴を履き、髪を結い上げ、ユシュネモから貰ったローブを羽織る。ウルトナに言いたいことも聞きたいことも山ほどあるが、ありすぎてもうどうでもよくなってしまった。

 ともかくまずは、因果を断ち切らなければ。


「サザノン」

「遅い」


 清間へ行くと、顎に一滴汗を垂らしたサザノンに悪態つかれた。


「あれの力が急激に戻りかけている、得体が知れないにしても限度があるだろ」


 ユシュネモが施した禁術に加え、サザノンが霊力の物量で無理矢理肉塊を壁にはりつけて押さえている。

 他の退魔師達もサザノンを支援しているが、皆疲労が色濃く顔に出ており、一昼夜ではなくきっと何日もこの状態が続いたのだろう。


「いいよ大丈夫、あとは俺と兄上でやるから」

「アレを祓うすべを見つけたのか」


 サザノンが後ろへ下がり、ユシュネモが前にでて立ち位置を交換する。隣には当然のようにウルトナがぴたりとくっついていた。

 封印を破らんばかりに肉塊の力が膨れ上がっているのは、ユシュネモが木箱と共鳴したせいだろう。片方の繋がりが受けた影響が、もう片方にも及んでいるのだ。


「…母上」


 清間が静まり返った。静かすぎて耳鳴りがする。疲労を忘れるほど衝撃を受けた退魔師達が、そこかしこで声どころか息を詰まらせ立ち尽くしたり、力なく床に座り込んで絶句している。

 あれだけ暴れ狂っていた肉塊が動きを止めた。一歩、二歩、石橋を叩く用心深さでユシュネモが近づいていく。手を伸ばせば触れられる距離まで近づいても、肉塊はユシュネモに危害を加える素振りをみせず、むしろ一挙一動を感じようとしている。


「俺はそっちには行かないよ。ここでお別れだ」


 ユシュネモは決別の言葉を口にした。呪いを断ち切るために親子の縁を切ろうとしているのだ。そうすることで、彼女の魂はやっとあるべきところへ還れるのである。


「さよなら、母上」


 突如、けたたましい音を立てて清間の扉が開かれ、嵐のような突風がゴオゴオと唸りながら室内に侵入した。強風で悲鳴を上げる柱に手をついて、足の親指に体重計をのせ堪えている退魔師達に、冷たい風が絶え間なく叩きつけられる。

 その突風はユシュネモとウルトナには一切吹き雪崩れることはなく、見えない境界線が引かれているかのようだった。


「兄上、斬れる?」

「斬れる」


 ウルトナは躊躇なく肉塊を一閃した。二片に転がった肉塊は再生することなく、サザノン達が手子摺ったのが嘘のように呆気なく塵となって消えていった。

 風がやんで、退魔師達が身の自由を取り戻す。今更ながら、まだ年若い顔触れがちらほら見受けられた。修練生も混ざっていたらしい。猫の手も借りたいほどだったというわけか。


「兄上、こっち」


 ウルトナのローブの袖を引っ張る。

 サザノンが周囲に指示を飛ばし慌ただしくしているうちに、どさくさに紛れてユシュネモはその場から姿をくらませた。

 サザノンが気づいた時にはもう、彼等はツェニルティ家の敷地を出た後であった。





「すんなりと出てこられたな」


 ユシュネモは霊山から下りてきた道を振り返った。

 麓は岩石だらけで植物はほとんど生えていない。夏だろうと関係なく冷気を感じるのは、足元を川のように流れている霞の影響だろう。

 ほどけかけた髪紐を結び直す。

 次の目的地も今後の行く末も決めていないユシュネモについてきたウルトナの懐には、二人分の瑠璃鏡が重ねられていた。


「今の時代の退魔師ってさ、温泉街とか行ったりするの?」

「する。貸し切って湯に入る者もいる」

「え! 俺も入りたい! 入ってみたい!」

「分かった」

「旅館に泊まるのもいいけど、これからはひとつの国につきひとつの土地を買って拠点を増やしていくのもありかも。楽しそうじゃん」

「ある」

「へえ、あるのか…あるのか?!」


 口先だけのでまかせに大真面目な答えが返ってきて、ユシュネモは素っ頓狂な声を上げた。

 瞳が真ん丸になったかと思えばキラキラと輝きだし、格好いい虫を素手で捕まえた子供のような顔になった。


「さすが兄上! 秘密基地をつくる趣味でもあんの?」

「ない」

「近くにあったりする? 見てみたい!」


 ユシュネモがウルトナにもたれかかりながら強請ると、分かりづらくはあるがウルトナがはっきりと頷いた。途端に腕を引っ張るユシュネモにされるがまま、ウルトナは歩く道筋を変えて梺の奥のさらに奥へと進んだ。

 転がる岩がそびえ立つ岩石に移り変わりはじめ、その岩石を二つ乗り越えた先に平らな土地と一件の古小屋があった。

 屋根は剝げ、柱は腐り、扉は役目を果たせずプラプラと縁にぶら下がっている状態で、人よりも動物が住処としていそうなほど自然という環境に取り込まれていた。

 見たこともない苔を生やしているその家にユシュネモはズカズカと入っていく。


「いいね、せっかくだから上等なもんに建て直そうよ」


 にこにこと満足そうに笑うユシュネモへウルトナが告げる。


「まだある」

「何処に?」

「各地」

「なら、全部見てまわろう」


 両手を広げて背を反らす。当面の目的ができたところで、ユシュネモが「ん?」と髪を揺らした。


「趣味じゃねえのになんで土地ばっか買ってんの。放置してるくせに」


 ウルトナが口を一文字にしたまま目を伏せる。その顔を覗き込んでユシュネモが教えてよと笑った。


「子供の頃買った」

「だからなんで?」

「自由を買いたかった」

「……」

「お前にあげたかった。けど、なんの役にも立たなかった」


 ユシュネモは口を開いて、しかし何も言うことなく閉じた。

 涙のようにぶわりとこみ上がってきたこの気持ちを、どう言い表せばいいか分からなかった。ひとつとして間違えたくはないと、選ぶ言葉にこれほど気を遣ったのは初めてかもしれない。


「全部嬉しい」


 ぜ、と発音するための最初の息が細く揺れた。


「俺のだ。余すことなく俺のものだ」

「好きなようにすればいい」

「うん」

「我慢などしなくていい」

「うん、分かってる。ちゃんと分かってるよ兄上」


 胸を襲う熱いような、痺れるような痛みで歪みそうになった顔を咄嗟に手で押さえてウルトナから見えないようにした。


「ユシュネモ?」

「ちょっと感動してただけ。とりあえず、4人くらいは住めるようにしようか」


 駆けてくる二つの足音を聞きながら、ユシュネモはカラカラと笑った。


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