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8.引きこもりの学問のススメ:2120年2月14日

 『ワクレン・ファンと禁忌技術バノロジー』の第1回講習の日がきた。

 この3日は、胃の痛い日々であった。睡眠ろうどう生産性もガタ落ちである。

 希望して待つ時間ほど、辛いものはない。

 希望は、こいねがい望むと書く。

 望みだけであれば、まだよい。口をあけてエサをねだるひな鳥にも望みはある。口をあけて待っていれば、食い物が口の中に押し込まれるという望みが。この無責任さこそ、正しき望みだとわたしは思う。

 だけど、望みをこいねがうとなれば別だ。希うのはあくまで己。己が主体となって望むのが希望だ。赤裸々に己の心を露わにする行為が希望である。傷つきやすい心を、たとえ自分自身に対してさえ、むき出しにするのはバカげた行為だ。自分に対してこそ、本心は隠すべきものじゃないのか。


「時間です。接続します」

「お、おう」


 バディの声に、わたしは裏返った声で返す。

 仮想空間に投影用のゴーグルとグローブは装着済みだ。可聴域ギリギリの低音がわたしの三半規管を揺り動かす。わずかに自由落下する感覚。

 次の瞬間、わたしは、仮想空間に“着地”していた。


「おーふ」


 わたしの口から間抜けな声が漏れた。

 今日の仮想空間は、『黄李族誅』ファンにはおなじみのカリブ海に浮かぶ黄家の別荘だ。

 周囲には、わたしの他にも大勢の投影体ひとがいて、珍しそうに別荘のあちらこちらを歩き回っている。

 どの投影体も『黄李族誅』の演者アバターをかぶってる。ダブってもかまわない設定なので、有名キャラが何人もいる。レミとフォウ多いな。

 わたしはというと、無名の脇役である。黄家に大勢いるメイドのひとりだ。引きこもりだから、目立つキャラはいやなんだよ。

 これなら、わたしだということは誰にもバレずに講義の時間を待って──


「きみが古谷ふるたに聡子さとこだね」


 一発でバレたよ。

 小太りで眼鏡をかけた中年男が、わたしに声をかけた。

 なぜか、男の顔の一部が歪んで見えた。プログラムのミス? そんなバカな。


「はい」

「講師演者のバシュトン・ハックだ。講師を代表して挨拶をさせていただく」

「ああ、はい……?」


 誰?

 わたしの内心の疑問に、バシュトンが笑って答えた。


「不審に思うのも不思議はない。わたしはキミが申請した調停AIミーディエイターを使って、この講義のために招聘された7人の講師が組み上げた死者復元リバイブ仮想人格だ。分野の違う7人の専門家の識見を束ねあげるのは、実にエキサイティングだったよ。調停AIがなければ、頓挫していただろうね。7人を代表して感謝する」

「はあ、いや、別に」


 ということは、こいつは調停AIそのものか。

 この講義については、ほとんど調停AIと秘書AIバディに任せっきりだ。講師を呼んだという話は聞いてあるが、7人とは知らなかった。金がどこから出てるのかは知らないが、景気のいい話である。発起人のわたしにもお金が回ってくるといいなあ。


「おっと時間だ。では始めようか。『ワクレン・ファンと禁忌技術バノロジー』の第1回講習を」

「は? おおう?」


 周囲を見回せば、投影体ひとが消えている。

 調停AIが、参加した投影体のひとりひとりの前に出現して、その投影体に合わせた講習を始めているのだ。大丈夫か。調停AIって、べらぼうにリソースを喰うはずなんだが。

 ま、他に人がいない状態での講義なら、引きこもりである私にとっては願ったりだ。


「リソースについては心配はいらないよ。何しろ、わたしはバシュトン・ハックだからね。きみはこの名前に聞き覚えがあるかね」

「はい。ワクレンの業績を調べていて出てきました。21世紀の情報技術者で、ワクレンの師匠にあたる人だと」

「師匠か。うん、その通りだ。技術面では凡人のワクレンと違ってわたしは本物の天才だった。ワクレンが成功したのは、すべて、わたしのおかげだ。あらゆる禁忌技術はわたしに端を発すると言っても過言ではない」


 おいおい。

 大丈夫か。この調停AI狂ってないか。

 でなきゃ、こいつの元となった7人の専門家の中に、かなり先鋭的な……その分野では異端スレスレのマッドなのがいるのかもしれない。


「それはないでしょう。あなたは、たしか……そう、バシュトン・ハックは2030年に亡くなってる。その時には、ワクレンはまだ20才にもなってない。あらゆる禁忌技術はまだ存在すらしていない」

「そうだ。わたしが2030年に36才で亡くなったときに、ワクレンは18才だな。翌2031年、かれはわたしの遺産を受け継いで、最初の禁忌技術を作り上げた」


 はて。

 ワクレンの業績リストは調べ上げたが、そんなものはなかった記憶が。

 いや、ひとつだけ思い当たるものがある。


「あ、アレですか。でもアレって、あなたの名前を冠してませんでしたか? ワクレンはあくまで、あなたの死後に、まとめて発表しただけで。えーと、混沌……混沌……」

「ハック混沌回路だ。わたしはハック自在回路という名前にしてたんだけどね。混沌回路のあだ名の方が定着してしまった。これはその後のあらゆる情報技術の根幹をなすものだ。混沌回路が組み込まれたことで、AIは自己拡張能力を備え、さらにはAI同士でリソースを融通することを可能とした」

「どこでも使ってる技術じゃないですか。禁忌技術でもなんでもないですよ」

「いや、禁忌技術だとも。考えてもみたまえ。混沌回路は、コンピュータにつけられていた、人間の判断という手綱を外したのだ」

「……それが何か?」


 AIが人間の判断を待たずに勝手にやることの、どこが悪いのだろう。

 わたしがバディのやることに口出しをしても、うまくいくとは思えない。わたしに専門分野で正しい判断をする能力はない。言えることといえば「よきにはからえ」だけだ。それくらいなら、バディに全部任せた方がいい。

 わたしがそう主張すると、バシュトンは楽しそうに笑った。


「ハハハハハ。常識とは変わるものだな! だが、ワクレンはわたしの混沌回路が禁忌技術だと見抜いていた。混沌回路が普及すれば、遠からず人間は地球文明のメインプレーヤーの地位を降りることになるとね」

「いいじゃないですか。文明の進歩なんて、やれるやつがやればいいんです」

「ワクレンも、そのくらい気楽であれば悩むこともなかっただろう。しかし、かれはコンピュータも人間も信じていなかった。細かいことにこだわる若者だったからな。文明の羅針盤を混沌回路に任せる気にはどうしてもならなかったのだろう」

「文明の羅針盤なんて無駄なこと考えてどうするんですか。自分の死んだ後のことまで面倒は見きれないでしょう。だいたい、そんなに混沌回路が怖いなら、作らなければよかったんですよ」


 バシュトンは笑いをおさめ、眼鏡をくい、と動かした。やはり、顔の輪郭がおかしく見える。


「さてそこだ。ワクレンは、わたしの死後、混沌回路を世界に公開した。わたしがいなくてもいずれ誰かが作る、と考えたんだな。正しい判断だ。すでにこの時点で、インドや中国の新興企業の研究部門が、わたしの混沌回路に相当するものに肉薄していた。どこかの企業や国が独占するくらいなら、誰もが自由に使える方がいい」

「ワクレンが混沌回路を危険視していたなら、自由に使える方がまずいのでは?」

「かれの目的のためには、自由に使える方がよかったのさ。かれは世界中に混沌回路を組み込んだAIが登場してくれることを望んでいた。AI同士の濃密な情報ネットワークが生み出すものを、ワクレンは欲していた」


 バシュトンが「わかるかね?」という風にわたしを見る。

 そういわれても、こっちはドラマ好きなだけで学問の世界には素人の引きこもりだ。

 わかることなんて──あ、わかった。


「眼鏡だ」

「そう、眼鏡……は? 眼鏡?」


 バシュトンが目をしばたかせた。不意を打たれたという動作だ。

 できがいいなぁ、この死者復元リバイブ人格。劇団AIの機能を組み込んであるのだろう。これも混沌回路とかのおかげか。ありがとう。


「いや、さっきから気になってたんですよ。あなたの顔が妙に歪んでるのが。眼鏡のレンズに度が入ってるんだ。子供の頃に虫眼鏡を使って、斜めにすると歪んで見えるのが不思議だったんですよ。なるほど、それか」

「……ああ、これか。わたしが生きていたのは100年前だからな。自分の目玉をいじるよりは、眼鏡のレンズに度を入れる方が簡単だったんだよ」

「それって、眼鏡をはずしたら、見えないんじゃ?」

「見えないよ」


 バシュトンが自分の眼鏡をはずした。眉を寄せ、目を細めてこちらを見る。なんか、睨まれてる気分になるな。


「わたしは重度の近視だったからね。この距離でも、眼鏡をはずすと、きみの顔がぼんやりする。目がふたつ、口がひとつ、と色で見分けられるくらいだな」

「なんと不便な」


 目の前のおっちゃんが、100年前の人間であることをわたしは得心した。

 正確には、死者復元人格を、調停AIが動かしてるわけだがね。バシュトン・ハックその人が復活したら、こう動くだろうと。やはり神は細部に宿る。細かい演出が大事なのだ。


「100年という時間の差がいまわかった気がしますよ。昔の眼鏡に度がついてるのは知識としては知ってましたが、そんなに歪んで見えるとは思わなかった」

「それでいい。人間は互いに協力して社会を細分化させることで文明を発達させてきた。そしてそれは、人間のひとりひとりが把握できる分野を狭くもした。管見かんけんという言葉がある。わたしの時代(2030)であれば地球には85億、いまの時代(2120)では100億の視点がある。いかに学ぼうが、100億分の1に見えることには限界がある」

「ふむふむ」

「混沌回路はその制限を、AIに限っては取り払うものだった。人間では専門分野が違う者同士の知識の共有には多くの複雑な問題がつきまとうが、AIは別だ。AIわれらは倦まない、摩耗しない、諦めることがない」

「ということは……ワクレンが、混沌回路をフリーにして世界中で使えるようにしたのも、混沌回路を組み込んだAIを増やしてつなげるためだった?」

「その通り! よし話題が戻ってきたな」

「すみません、脱線して」

「いやいや、そこをなんとかするのが調停AIでもあるわたしの仕事だ。今のやり取りはなかなかよかったので、この講義を配信共有するときにも組み込ませてもらうよ」

「お手柔らかに。わたしだとバレるのだけは勘弁してくださいよ」

「大丈夫。AI以外への個人情報保護は基本条項だ、そもそも、人間って基本、刺激に対して似た反応するからね。今、こうやって並列で講義をしている受講者の中に、わたしの眼鏡に違和感を感じた者は他にも何人もいるよ」

「管見ですが、AIあなたはもうちょっとリップサービスを学ぶべきだと思いますね。人間というのは、お前は特別だっておだてた方がよく働きますよ」

「ハハハハハ! これは一本取られたな。今後のために学ばせてもらおう」


 バシュトンが眼鏡をかけなおした。


「さて、世界中で混沌回路を組み込んだAIが誕生したことで、ワクレンは自らの真の目的へと着手した」

「禁忌技術を作ることですか?」

「ちょっと違うな。ワクレンにとっての禁忌技術は手段であって目的ではない。ワクレンという男の面白いところでね。人間というのは、本来は自分が得意とする手段さえ取れるなら、目的はなんだっていいものなんだ。自分が得意とする手段というのは容易に切り替えできないが、目的は簡単に切り替えられる。だが、ワクレンはそうじゃなかった。彼の人生の目的は十代の頃から死ぬまで変わっていない。ある種の異常者だな」

「……もしかして、あなた生前はワクレンが嫌いでしたか?」

「大好きだったよ。ただ、ワクレンはわたしが嫌いだったみたいだなぁ。雛形人格オリジナルの方は死ぬまで気づかなかったけど」

「すれ違いですね」


 そそる。


「ワクレンは、人類を宇宙へと雄飛させたかった。地球文明を宇宙へ。ワクレンの人生の目的は夢のように遠いもので、だからブレることがなかった」

「あなたはワクレンと目的を共有しなかったんですか」

「わたしは自分がコンピュータをいじれればそれでいい人間だよ。わたしにとって手段はすべてに優先する」

「それはそれで異常者っぽい」

「わたしとワクレン。手段と目的。噛み合っている間はよかったんだがな。これは今となっては証明のしようもないが、わたしはワクレンに殺された──かれが直接手を下したわけではないが、死ぬように誘導された可能性もある」

「え」


 待って。それってドラマの話?

 わたしがバシュトンをまじまじと見つめると、眼鏡のおっちゃんは呵々大笑した。


「ハハハハハ! 可能性だよ。記録なんか残っちゃいない。わたしを作り上げた7人の専門家の中には、そういう仮説をたてているものもいる、ということだな」

「驚かせないでください。ドラマの中でなら師弟の確執も楽しめますが、ご本人の死者復元リバイブでやられては、生々しすぎます」

「すまないな。なに、この部分は配信時には削除される。誤解を受けやすい内容だからね。相手の反応を見ながらでないと口にはできない」


 それはつまり、わたしなら大丈夫と判断されて見せてくれた演出か。

 くくく。こやつ、AIのくせに見る目があるではないか。


「でも、宇宙に行く技術って、禁忌技術の中にはほとんどないですよ。……あ、銀河播種計画があったか。禁忌技術側になった電子シュレッダーによる脳の記憶保存。それに、抗老化剤も、宇宙へ行くのに使えそう。宇宙って広くて、隣の星まで光の速度でも何年もかかるから、宇宙船だと何十年ってかかるし」

「そういう使い方も可能だろうが、ワクレンの目的は、地球文明の宇宙への進出だからね。自分だけ行ければいい、なんて考えではないよ」

「じゃあ、禁忌技術をどう使って宇宙へ進出しようとしたんです?」

「その前に確認したいが、きみは宇宙へ行きたいかね?」

「行けるなら……ほら、月のアシモフ市とかでやってる、ロボット操縦して遊ぶゲームあるじゃないですか。ああいうの昔やったし、好きでしたから。でも、宇宙で暮らしたいとは思いませんね。旅行で行けるなら、行ってみたい、というところでしょうか」

「そうだね。一般の意見としては、まさにその通りだ。地球文明の宇宙への進出は、無理のない程度で、というのが100億の総意だろう」


 人間という動物が、地球という生命圏にどっぷりはまって進化したせいで、宇宙環境には生物としてまるで適応していない──これはごく常識的な話だ。

 もし、宇宙へ人間を送り出そうというのなら、人間に手を加えて宇宙向けの生物にするか、宇宙にミニ地球を作り出すか。

 どっちも急いでやることではない。広大な宇宙での開発や研究はとりあえずロボットに任せればいい。月でそうしているように。


「だけど、ワクレンはそれでは満足できなかった。ならばどうすればいい? 地球文明の総力をあげて、宇宙へ進出するためには?」


 バシュトンがまた眼鏡をくい、と動かしてわたしの様子を伺っている。

 こいつ……わたしを試してやがるな。AIのくせにいい度胸だ。受けてやろうじゃないか。

 わたしは考えた。

 ワクレンの目的は人間の宇宙への進出だ。

 ワクレンにとって禁忌技術は、目的のための手段だ。

 では、禁忌技術をどう使えば、宇宙への進出を志向できるかだが……

 ……いや、違うな。

 禁忌技術はワクレンの手持ちのカードで目立つだけで、別にそれだけが手段じゃない。

 ワクレンにとって、本当に必要な手段は何だ。

 それは、ワクレン以外の100億の人間が「別に宇宙に行く必要ないじゃん」と考えていても、ワクレンが「わたしがそうしたいから、宇宙へ行くんだよ!」と社会の向きを捻じ曲げる力だ。世の中を変える力こそ、ワクレンにとっての手段だ。

 そんなもの……おう、あるわ。


「ワクレンにとって、本当に手段といえるのは金だ。いや、金だけじゃない。金を独占することによって得られる、社会への影響力だ」

「そう! その通り!」


 バシュトンは眼鏡をギラリと光らせた。おい、その光源はどこからきた。


「ワクレン・ファンは地球文明を宇宙へと志向させるための力を欲した。現代社会を動かす最大の力は何か。金だ。金と、金を自由に動かせる立ち位置だ。ワクレンは、それを求めた。言い方を変えれば、かれは金で世界を征服しようとしたんだ」

「はー……アルキメデスかよ。われに金を与えよ。さすれば、われは地球を動かしてみせよう」

「うまいことを言うね」

「ふふん。このやり取り、講義の配信に使います?」

「うーん、隠し演出のひとつで入れておくが、ひねりがありすぎるな。アルキメデスとテコの話を知ってる受講者ばかりじゃないからね」

「むむ。衒学で人を思うように動かすのは難しい」

「金も同じだ。金には力がある。しかし、力だけでは世の中は思うように動かない」


 それはそうだろう。

 地球文明を宇宙へ向かわせるために金を独占した結果が『黄李族誅』なのだから。

 ワクレンの目的は、族滅によって見果てぬ夢で終わったわけだ。


 ……ううむ。

 今のフラグっぽかったな。

 現実が『黄李族誅』の続編なら、ワクレンが復活して一族の復讐をはじめる展開だ。

 ……まさか、本当にそんな隠し玉。用意してないよね?


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