9.引きこもりはスイーツを食す(裏):2120年2月14日
『ワクレン・ファンと禁忌技術』の第1回講習の日がきた。
元の『黄李族誅』が人気ドラマのせいか、直接講習に抽選が必要なほどの人気だった。
聡子の招待券で、わたしは抽選の必要もなく、直接ログインできた。
内容はというと──正直、驚いた。かなり突っ込んだ研究がしてある。
50分の講義が終わると、わたしは仮想空間への投影用ゴーグルとグローブをはずし、ベッドに横になった。短い時間に入ってきた情報量が多すぎて、頭がひどく疲れている。
目を閉じる。外からの情報を遮断し、考える。今日の講義では、わたしが知らなかったことも、たくさんあった。残る4回の講義も、俄然楽しみになる。
まずは、自分の記憶にある情報との差異、矛盾の確認だ。
ワクレン・ファンはわたしにとって曽祖父にあたる。だが、わたしが生まれる前に死んだ曽祖父の為人は、あまり知らない。
父は曽祖父を畏れていたと思う。曽祖父について語る父の口は、いつも重かった。
「立派な方だったよ。立派すぎたくらいだね」
カリブ海の別荘に飾ってあった曽祖父の絵──死者復元レンブラントが描いたもの──を見ながら父が冗談めかした、だが重い口調で評したのを、今も覚えている。
「それはそれとして……この絵は、オリジナルっぽくしすぎてるな。闇の中から浮かび上がる構図はレンブラントっぽさをだすには最適なんだろうが、少々、あざとい」
「お父様。この絵はひいおじいさまが描かせたのでしょう? この絵のひいおじいさまは、ずいぶんなお年に見えます。抗老化剤はお使いになられてなかったのですか?」
「自分がまだ30代の時に描かせた絵だからな」
「まあ。では、老けておられるのはわざと、ですか?」
「自分の未来シミュレーションだ。死者復元レンブラントと同じく、自在回路を使ったAIネットワークの優秀さを世に知らしめるためにしたことだ。そうだ……あの頃の黄家は、アメリカ上流階級の間ではアジアからの新参者で、積極的に売り込む必要があった。そうして我らは強く、豊かになった……なりすぎた」
父は繊細な人だった。父の言い方を真似るなら、繊細すぎたくらいだ。
優秀な人でもある。曽祖父が急死したあとの一族内の権力闘争を、若い父が祖父を助けて見事に乗り切ったことで、次期黄家当主としての父の地位は盤石となった。
母は常に父の心を心配していた。父が無理をしていると思っていたのだ。
母は娘であるわたしや、弟よりも父を大事にし、何くれとなく世話を焼いた。母は子供のころに黄家に引き取られた遠縁の娘で、父よりも2才年上だった。子供の頃から父にとっては、姉とも母とも呼べる存在であったようだ。
幼いころは、父が最優先の母に対して恨む気持ちもあったが、今は違う。よくぞ、最後の最後まで父の心を支えてくれたと感謝したい。
黄家封神の日、わたしはようやく11才になったばかりだった。もし、わたしが8才や9才の時に父の心が折れていたら、黄家封神で肉体の死を免れたとしても、その後の生活は親族頼みになって──後に続く天罰の月で命を落としていたはずだ。
母への恨みはなくなったが、母のことは前より嫌いになった。嫌いというよりは、苦手というか、理解不能というか……父を自我強化させるなり、もっと他によい手立てはあっただろうにと思ってしまう。
「詮無いことですね」
わたしはため息をつき、目を閉じたまま秘書AIを呼び出した。
「ジキル──“ダイダロスを呼んで”」
「はい」
胸の鼓動がとくとくと打つのを感じる。
「情報迷宮、展開しました」
「よし」
これで、この部屋の中で起きたことを、アーコロジーの管理AIに気取られることはない。
もちろん、部屋を監視するカメラはいつもどおり動き、映像と音声をログに蓄えている。だが、情報迷宮化したログデータは、いくらチェックしても、何もヒットしない。たとえばわたしがこの部屋で誰かを殺し、その映像が残っていても、チェックプログラムは「異常なし」と報告する。もっとも、部屋で死体が発見されてしまえば、その結果に満足せず「異常なしということはないはず」と複数のAIと人間の捜査官が入念に再チェックを始めるから、いずれバレるだろう。
つまり──
情報迷宮の中で、直接、犯罪につながることをしてはならない。
情報迷宮は完璧ではない。そのことをわきまえて行動する必要がある。
「聡子は、今、どうしているかしら?」
「どう、とは?」
これはストーカー行為という犯罪行為ではない。
あくまで、これから親しくなる──かどうかはまだわからないが──相手について詳しく知りたいという、ごく一般的な行動だ。
「あっちの秘書AI、聡子はバディと言ってたけれども、連絡は取っているのでしょう?」
「はい。ですが、相手側のプライバシーに関することはご報告できません」
「そうでしょうね。ですが、推測はできるはずです」
わずかな間。
電子的なため息とでもいうものが聞こえてくる気がする。
ジキルは、父が使っていた秘書AIだ。情報迷宮は、ジキルが固有で持つ機能だ。
情報迷宮の本来の用途は、AIネットワークの中で自分の活動の痕跡を消すためのものだという。反転してハイドになると、さらに攻撃的な──いや、これは今は関係ない。
「古谷聡子は寝ているはずです」
「寝てる?」
「はい。あなたと同じように」
「それは……ああ、なるほど」
仮想空間に自己投影しての受講は、教育効果が高い。人間の持つ五感からの入力をあえて制限することで、能力を持て余した脳が乾いたスポンジのように、情報を吸い取る。座学型の学習でいえば100時間分の情報を一度の講義で吸収できる。しかし、その分だけ疲弊もする。1回の受講で50分、1日に3回が限界とされ、受講後に2時間の休息が義務付けられている。
アーコロジーの個室で休息となれば、ベッドに寝るしかない。14年前。日本にきて最初に個室と名のついた棺桶に入った時には、己の惨めさに落涙を禁じ得なかった。いずれ黄家の長女として、全世界資産の3%、いや、5%はこの手に握る予定だった我が身の、なんという落魄よと。
あの頃のわたしは若かった。11才だったし。
棺桶生活の良さがわずかなりともわかったのは、宅配ドローンが届けてきたチーズケーキを食べた時だ。
舌をくすぐる甘味と酸味のほどよい混淆。
口から鼻腔へ抜けるチーズの芳醇な匂い。
小さな二等辺三角形の中に、複雑な味が詰め込まれていた。
カリブ海の別荘で、黄家お抱えの料理人に作らせたデザートに匹敵する味わいに、わたしは、しばし陶然となった。別荘が島ごとナノ結晶と化した今、あの料理人も永遠の水晶の塊になっているはずだ。たとえわたしが黄家を中興させても、食べることはかなわないと覚悟していた、キラキラ輝く味覚の万華鏡が、そこにあった。
父に母と弟を殺され、父から逃げ、父もまた死んだ。
胸が潰れそうな日々だった。いっそ自分も途中で死んでいれば、と何度も考えた。
そんなわたしの心の扉を、甘いチーズケーキは開いた。
──生きていて、よかった。
家族と故郷を失って以来、わたしは始めてそう思えた。
わたしが落ち込んでいることを、生体データから察してジキルがわざわざ注文してくれたのだろう。逃げる時に使用者権限を父から奪ったのは、正解だった。
続いて、警戒心がわきあがった。
これほどの菓子を、海外からの難民の娘であるわたしが食べることに、危険はないのか。カリブ海の別荘から脱出する際に、わたしは長時間の腸人格融合を行い、腸内細菌叢に負担を強いている。数ヶ月……いや、数年は腸人格融合がほぼできない状態だ。その間は、目立つことは厳禁だ。ジキルに作らせた難民としてのニセの経歴と矛盾はないのか。
わたしが危惧を伝えても、ジキルの反応は鈍かった。長いあいだ父の下で権謀術数に携わってきたはずなのに、危機意識がない。不審にも思い、ひょっとして逃げ出す時にいくつかのアプリが引っこ抜かれたかしらと不安にもなった。
しばらく頓珍漢なやり取りをした後で、ようやく真実が明らかになった。
わたしが食べたチーズケーキは、日本ではどこでも食べられる安い宅配デザートであった。
「かつては、コンビニスイーツと呼ばれておりました」
「コンビニ? 聞いたことがあるわ。業務形態のひとつね」
11才のわたしには違和感ばかりが増す話だった。コンビニという業態には、野蛮で猥雑な印象がある。荒野を貫く一直線の道路と、物流を担う巨大なトラック。それらが集うエネステーション。エネステーションの中心にある、衛星送電網から電力を受け取る巨大なアンテナの上に、陽炎が立つ。苛烈な電磁輻射の下をうろつくのはトラック運転手などの下層民ばかり。コンビニが設置されるのは、そういう場所だ。
わたしが食べた、繊細で手のこんだ、ちっちゃくて可愛いチーズケーキがふさわしい場所ではない。トラック運転手のような下層民にふさわしいのは、バターを油で揚げてケチャップを塗りたくったものだ。あいつらケチャップはトマトで、トマトは野菜だからヘルシーとか言い出すからな。
「日本ではコンビニは合衆国とは別の進化を遂げました。そして都市住民を中心に多くの顧客がコンビニスイーツを買い求めたことから、競争原理が働き、より高品質で価格も安いデザートが誕生したのです」
独自進化を遂げた日本のコンビニであったが、今はその役割を終え、東京、中京、畿内のメガシティ内に店舗を展開するのみだ。だが、コンビニスイーツの開発元は提携する流通業者をドローン宅配業者に変え、今も活発に活動を続けている。
理由もわかる。22世紀日本では棺桶のような個室は、ごく普通の居住スペースなのだ。人口が減少して使える土地面積は広がってるはずなのに、日本人はあえて個人の居住スペースを小さくする方向に向かっている。富士山の令和大噴火や、第二次、第三次関東大震災などの大規模災害が頻発したことが、土地利用についての独自の哲学を発達させたという説もある。アメリカにいた時は、そんなものかと思っていたが、実際に押し込められてみると、これはきつい。こんな棺桶生活をしていては、ストレスを発散させる甘いデザートが欲しくなるだろう。
そうして。
疎開用アーコロジーを転々として14年が過ぎた。
わたしもすっかり棺桶生活に慣れたが、そのいくばくかは、手軽に食べられる“コンビニスイーツ”のおかげである。特に小ささがよい。頑張れば、一口で頬張れる……いやちょっと無理。でも、二口なら大丈夫なサイズが、甘いものを食べる罪悪感を軽減してくれる。デザートには天国と地獄があるが、小さな“コンビニスイーツ”は天国が広く、地獄が狭い。だからといって一度に5品も頼んでしまっては、意味がないが。
「ジキル」
「はい」
「適当に甘いもの。2……3品頼んで」
「はい」
「それと」
「はい」
「……いやいい」
「……」
「待って」
「はい」
「メッセージ。聡子に」
「はい。内容をお願いします」
「んー」
今日の講義を主催した一件でも、聡子の有用性は明らかだ。
わたしが曽祖父の遺産を手に入れるにあたり、『黄李族誅』の熱心なファンである聡子はよい隠れ蓑になる。
わたしは聡子との絆を深めたい。彼女を利用するために。
これはそのための手段だ。
農耕生活を始める前の狩猟採集時代から、人の群れは食物の分配・交換・贈与を発達させてきた。それまで何もせず、いきなり農耕で共同作業が必要になったからといって、社会性は生まれない。人は、その前から食物の贈与を通して社会性を育ててきたのだ。
臆することはない。人間は20万年前から同じことをやってきたのだ。進化した人間の、さらにその頂点に立つ黄家の惣領が怯んでどうする。
「今日の講義が素晴らしかったから、褒美……じゃなくてお祝いとして、デザートを贈りたいと思うので、可否を問いたいの。アレルギーとかあれば、秘書AIを通して指定してくれれば、こちらから選んで贈ります。だいたいそんな感じで」
「ご確認を」
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本日は、『ワクレン・ファンと禁忌技術』の講義第1回にお招きいただき、ありがとうございます。とても素晴らしく、第2回以降が楽しみになる講義でした。
今日のこのよき学びを記念して、そちらに宅配デザートを贈りたいのですが、よろしいでしょうか。もしアレルギーなどありましたら、秘書AIを通してお返事いただければと思います。
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空中に表示された文字を、ベッドに寝転がったまま読む。
そっけない感じだが、最初はこんなものだろう。親しくもないのに、長文を送ってどうする。
「……ん…………送って」
「はい」
ルビコン川を渡った──わたしは胸の鼓動が高鳴るのを感じつつ、思った。
さて、返事がくるまでの間に、贈るデザートを選ぼう。
疎開アーコロジーで手に入る宅配デザートはどれも粒ぞろいだが、だからこそ、目利きが求められる。……この地元の酒蔵の酒粕で作られるデザートとか、どうだろう。
「返事が戻りました」
「早いな」
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ありがとう!
ワクレンと禁忌技術って、題材がマニアックすぎるかなと思ったんだけど、劇団の調停AIが張り切ってくれちゃって、素晴らしい内容になりました。
宅配デザートもうれしいです。
何でも食べられるけど、もしよかったら、地元の酒蔵の酒粕入りデザートがいいです。まだ食べたことがなかったら、わたしが食べて美味しかったのを添付でリストアップしてあるから、ぜひ見てみて。食べたら感想聞かせてくれるとうれしい。
第2回なんだけど、公開した第1回の評判がすごい勢いで伸びてるから、一般の公募では入れないかもしれないし、わたしの持ってる権限で遙華の枠を入れておきます。もし都合が悪くなったら、秘書AIを通して伝えてくださいね。
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「……ふふ」
よほど今日の講義がよく、手応えもあったのだろう。
文面からも、はしゃぎっぷりが伺え、微笑ましい。2才ほど年上のはずなのだが。
それにしても、酒粕入りデザートか。わたしの目は正しかったということか。
添付でリストアップされているものからひとつを選び……もうひとつ、こちらで選んで贈るとしよう。
聡子は使える。
いずれわたしが黄家の復讐を果たした暁には、聡子には十分に報いよう。
そのためにも、彼女には黙っておいた方がいい。
彼女が必死になって推しているレミフォウ……あのカップリング、ほぼほぼ完全に創作なのだ……レイミ姉ちゃん、恋多き人だったけど、相手が李家のお嫁さんとなると、名前を知ってたかも怪しい気がする……




