アイン村
身体を清め終わってしばらくすると、納屋の扉が開かれてアネモネさんが入ってきた。
彼女は俺に近づいてくると、手に持ったお盆を俺の膝の上にゆっくりとおろした。
「麦粥だよ。簡単なもの悪いけど腹持ちはそこそこ良いからね」
「ありがとうございます。わざわざ食事まで出してもらって申し訳ないです」
「別に構わないよ。にしても、いかつい見た目のわりに丁寧な物言いをするんだね。苗字も持っているようだし、実はどこかのいいとこの家の出なのかい?」
「いえ、私の生まれた地域では名字を持っていることは別に珍しくないんですよ」
そう言葉を返しながら、俺は麦粥が入った器を持ち上げ、その中身を口に含んだ。麦粥は、粘り気のある白粥のような風味で、心をどこかほっとさせる味だった。自然と頬が緩むのを感じつつも、俺は麦粥を再度スプーンにすくい口に放り込む。
「気に入ってくれたようだね。あとあたしには砕けた口調で話してくれていいよ。堅苦しいのは苦手だからね」
「初対面の人にはこの口調で話すのが癖なんです。だけどそういう事なら善処します……いや、するよ」
彼女は俺のぎこちない口調に苦笑いしつつ、言葉を返した。
「まあ慣れないならしばらくはそのままでもいいよ。ところでほんとは起きたら、この村の案内だけするつもりだったんだけど、今はまだ無理そうだね」
彼女の言葉を聞いて、自分のいる場所について考えることをすっぽかしていたことに気付き、問い返した。
「ここは何処なんですか」
「ん? ああ、ここはアインっていう名前の村だよ。っていうかあんた、自分の居場所もわかってなかったのかい?」
「お恥ずかしい話なんですが、森の中で遭難してしまって自分がどこにいるかも定かじゃなかったんです」
「まあそういう事なら仕方ないか。とりあえず今日はゆっくり休みな。体を起こせるようになったら村の案内はするからさ。じゃあ悪いけど、あたしはやらなきゃいけない事があるから行くね」
俺は知りたいことがまだあったが、彼女の手をこれ以上煩わせるのはまずいと思い、返事をする。
「ありがとうございました。あまり返せるものがないですけど、動けるようになったらちゃんとお礼をさせて下さい」
彼女は俺の言葉を背に受けて、右手を上げ振り返した後、納屋の入り口から外に出ていった。
その様子を眺めていた俺だったが、麦粥が冷めないうちに食べようと、食事に集中した。
食べ終わった後、器をベッドのそばに置いた俺は、落ち着いて考えればマップを見たら自分の位置が分かるじゃないかと我に返り、すぐにマップを表示させた。
マップを見た俺は、自分が最初にこの世界に紛れ込んだ位置から大分遠くに来ていたことに驚いたが、なんとなしにインベントリの欄を開いてそれ以上に驚くことになった。
なんとインベントリの欄には、ウルフに襲われたときに落としたはずのリボルバーやスナイパーライフルが入っていたのだ。
なぜそれらがインベントリの欄に入っているのか不思議だったが、別段デメリットはないので良しとしておくことにした。
そして、俺はあるものの効果を試そうとインベントリから取り出した。
俺が取り出したのは、ゲーム中では体力を瞬時に回復できたポーションである。こちらに来たときは5個あったが、今は手に持っているものも含めて4個しかない。
実は、一番最初にゴブリンと戦闘したとき、棍棒を腕に当てられ少し痛みが残ってしまっていた。その時にもしやと思い一度服用していたのだ。飲んだ効果は驚いたことに、一瞬で痛みが腕からなくなっていた。
その効果を今回も使えないかと思い、俺はすっきりとした飲み口のポーションを口に含んだ。
飲んだ直後、体の奥が温かくなり、体全身を覆っていた鈍い痛みがなくなっていた。体の疲労にも効果を示したようで、半月ほどにわたるサバイバル生活でたまった疲れによる体の倦怠感も消えていた。
そして驚くべきは、ウルフに咬まれた左腕の痛みがなくなっていたことだ。俺は、傷口を確かめようとゆっくりと左腕に巻いてある包帯を外していき、その下に傷跡一つ残っていない腕があるのを確認した。
ここまで大きな効果があるのに驚きつつも、服用後の経過を見るために動き出すのは明日からにしようと体を休めるべく俺は背をベッドに預け、ゆっくりと瞼を閉じた。
次に目を覚ますと、納屋の扉の隙間からオレンジ色の光が入ってきていた。寝ぼけ眼のまま今の時間を確認しようと、ベッドから起き上がった俺は、おぼつかない足取りで納屋の隅っこに置かれていた靴を履いて、納屋の扉を開けた。
扉を開けると、そこには朝焼けの空と、光を浴びて白い漆喰の壁やレンガの壁が光を反射させている家々が目に入った。
ふわりとしたそよ風に頬をくすぐられながら、俺はあたりをぐるりと見渡した。あたりにはまばらに家が建っており、納屋の横には、アネモネさんが住んでいるだろう母屋が建っていた。
納屋も含めたアネモネさんの家だと思しき建物は、村の外縁部に建っており母屋から少し離れた位置には、3メートルほどの木でできた外壁が建っていた。
外壁は簡易的なもので、村の建物に比べて多少粗末な出来で、少しちぐはぐな印象を受けた。
そんな様子で村を見渡していたところ、村の家々からぽつぽつと人が出てき始めた。外に出てきた彼らは、共用の井戸と思しき場所まで水を汲みに行っているようだった。
その様子を眺めていると、俺の後ろから母屋の扉の開く音が聞こえた。振り返ると、アネモネさんが少し眠たげな様子で、腕を大きく空に向けて伸ばしながら家を出てきているところだった。
身体を伸ばし終えた彼女は、俺のいる納屋のほうに顔を向けたと同時に、俺が起き上がれていることに驚いた様子で話しかけてきた。
「もう動けるみたいだけど、体は大丈夫なのかい? 起き上がれるまでもうしばらくかかると思ってたんだけど」
「はい、体のほうは大丈夫です。故郷から持ち込んだ秘薬を使ったので。腕の方ももう問題ないぐらいです」
「へえ、あれだけの傷を治せるなんて結構貴重な魔法薬を持ってたんだね。ああいうのは結構高いって聞くけど」
魔法が存在するからもしやと思って試してみたが、この世界には俺の能力で交換できるポーションに匹敵するような薬もあることが分かった。
こんな鎌をかけるような真似は、アネモネさんを利用するようで後ろめたい気持ちになったが、今はできるだけこの世界に関する情報が欲しかった。そんなことを思いつつ、若干自己嫌悪になりながら言葉を返した。
「はい、故郷を出るときに餞別として渡されたものだったんですが、傷が残って体を動かすのに影響が出るのは嫌だったので思い切って使いました」
「確かにね。あたしも狩人だから怪我とかには人一倍気をつかうよ」
「アネモネさんは狩人をされていたんですね。多分俺のせいで狩りを中断させてしまいましたよね。申し訳なです」
俺の謝罪に彼女は別に気にしないよとばかりに首を振り、俺に言葉を返した。
「まあ申し訳なく思ってくれるなら、これからしばらく色々と手伝ってもらおうかね。体つきから見ても、それなりに戦闘の心得はあるんだろう? 」
「ええ、どちらかというと遠距離専門に近いですけど、近距離の戦闘も多少はこなせます」
「じゃあ、いろいろと助かりそうだね。まあとりあえず、納屋にある水桶を持ってきておくれ。井戸に水を汲みに行くから」
「わかりました」
そうして、俺のアイン村での居候の生活が始まった。