リーゼセンセイの魔術教室 兵士 セリアさんの場合②
「それはちょっと難しいねぇ。」
彼女の返答は芳しくなかった。
彼女は俺のこの世界での恩人にして友人、残念エルフ リーゼロッテことリーゼである。
いつもであれば俺の家に昼飯をたかりに来るリーゼであるが、今回は俺の方から彼女の家に出向いていた。
彼女との付き合いは異世界転移を果たしたほぼ直後からであり、もうそれなりに付き合いも長い。
いつもであれば互いに軽口を叩きつつ割合砕けた調子での会話を繰り広げるのだが、今日に限っては俺も彼女もその表情は硬いものだった。
「セリアって言ったかい?その派遣兵士のお嬢ちゃんは?その子の本来の適正は治癒魔術なんだろ?その子にたかだか一月程度の訓練で攻撃や捕縛魔術を使いこなせるようにしろなんて、いくらあたしが天才でも無理な話さ。」
そう、今日俺が彼女を訪ねたのはセリアさんの件で相談をする為であった。
彼女の指導を正式に引き受けてから更に1週間が経過した。
あれ以降、俺とセリアさんは互いの思うところを忌憚なく話しあいながら稽古を続けてきた。
人間関係という意味では以前とは比較にならない程改善したといえるが、稽古の成果という意味では人間関係程順調な進行は得られなかった。
いくら俺が指導に本腰をいれ、彼女が一生懸命にやったとしてもそれで劇的に何かが改善するわけではない。
彼女の実力は1週間前とたいして変わるわけでもなく。依然、俺と彼女を悩ませ続けていた。
このままでは彼女の空手は付け焼刃の範囲を出ないまま、前衛の仕事に就くこととなるだろう。それが彼女の未来にどのような結果を及ぼすか・・・決して良いものにはならないだろう。
その想像は彼女が正式に入門した今、前以上の恐怖となって俺を襲った。
指導を引き受けておきながら彼女に充分な力をつけさせられない。指導者として心底不甲斐ないばかりだ。
しかし俺に嘆いている暇はない。
彼女の努力、決意に報いる為に、俺も全力を尽くさねばならない。
俺の今の仕事は彼女を一人前の空手家にすることではない。
彼女が前衛として充分にやっていけるだけの力をつけさせることだ。その為には空手だけに拘らず、あらゆる手段に当たってみるべきだ。
そう考えた俺はその相談相手としてリーゼを選んだ。
リーゼは今でこそこの村で薬師をやっているが昔は王都で宮廷魔術師の職まで勤めた一流の魔導師でもある。
彼女の力を借りて、セリアさんの苦手な攻撃、捕縛魔術をある程度でも克服させ、その上で補助という形で空手を使うならば、総合的には前衛として充分な力を付けさせられるのではないかと考えたからだ。
しかし彼女の返答は芳しいものではなかった。
「いいかい?異世界から来たあんたは知らないかもしれないが、攻撃系の魔術と治癒系の魔術の適正はまったく正反対なものなんだよ。」
リーゼ曰く、この世界で魔術を使う上で必要な要素は二つあるという。一つは「魔力」、二つ目は「イメージ」であるという。この場合問題となるのは「イメージ」なのだそうだ。
「攻撃魔術ってのはね、例えて言うならペンキで絵を描くようなもんさ。下の壁の色が何色であろうとお構いなしに自分の色で塗りつぶすってね。反対に治癒魔術ってのは塗り絵だね。下絵をよく見て、丁寧に必要な部分だけを塗る・・・全然別物なんだよ。」
異世界に転移して結構長くなるが魔術についてあまり深く考えたことはなかった。セリアさんの問題にも関わることなので、リーゼの話を注意深く聞く。
「治癒魔術っていうのは治療する人間の体ありきの魔術だ。漠然と魔力を流せばいいってもんじゃあない。一体どこの箇所が痛んでいて、それがどういう症状なのか。それを精密にイメージできる素質・・・それが腕のいい回復術師の条件さ。だけど攻撃の場合はその素質がそのまま欠点に変わるんだ。攻撃魔術はいかに相手の存在を自分の魔力で塗りつぶせるかが問題なんだ。そんな時に相手の存在をしっかり意識してしまうのは攻撃魔術を使う際には妨げにしかならないんだよ。その証拠にタツマ。あんただって未だに攻撃系の魔術はからっきしだろ?」
確かにその通りである。
以前、リーゼに調べてもらったのだが、この世界での俺の魔力量は中の上~上の下程度で一応平均値を上回る程度には高い魔力量も持っているらしい。
しかし、現在に至るまで俺は攻撃魔術が極端に不得手であり、ほとんど使うことはない。
日常生活で使う程度の火ならば問題なく出すことができるが、攻撃としては極めて貧弱な火の玉しか出すことができない。
それというのも俺が魔術のない世界から転移してきたせいか、自分の手から炎やら雷やらを出して相手を倒すということがどうにもしっくりイメージできないのだ。
その代わり【身体強化】や【魔力視】のような自分の身体に作用する類の魔術については当初より高い適正を示した。これは自分の身体を徹底的に見つめ、鍛える武道の修行がそのまま役に立ったといえるだろう。
「イメージってのはその人の思考の癖みたいなもんだ。それをたかだか一月程度で変えるなんて無茶な話さ。それにね・・・」
リーゼは一度言葉を切ってこちらを見直す。
「お嬢ちゃんの魔術面での強化なんて当人も他の派遣兵士も領主も皆とっくに考えた筈さ。あんたにお鉢が回ってきたのは、それでは得られない成果をあんたに期待したからだろ?他でもない・・・あたしらの世界にはない「武の技」っていう概念にね。いろいろ煮詰まっているのは分かるけどそこんところを思い違いしちゃあいけないよ。」
リーゼの言葉に返す言葉もなかった。
当たり前の話である。魔術面での強化がそんなに簡単であるなら、とっくの昔に対応した筈である。
それができないからこそ俺の空手――武術に領主もセリアさんも一縷の望みをかけたのだろう。
覚悟を決めたつもりがまたも逃げ道を探していたらしい。
空手指導者の俺自身が空手の力を信じきれていなかったなんて本末転倒もいいところだ。
思わず自己嫌悪にがっくりとうな垂れる。
「でもね・・・」
リーゼがなにごとか喋り始める。
「力になってやれなかったのは悪いが、相談に来てくれたのは嬉しかったよ。」
リーゼの言葉に俺は思わず顔を上げる。
「あんたもセンセイ、センセイって呼ばれちゃいるが、まだまだ若いんだ。迷うことだって失敗することだってある。そんなの当たり前のことさ。」
普段のリーゼらしからぬ言葉に驚きつつ彼女を見つめる。
「だからね。あんまり背負い過ぎんじゃないよ。愚痴や相談があるならいつでもおいで。力になれるなら手伝うし、何もできなくたって話くらいは聞いてあげるさ。・・・もうそれなりに長い付き合いだろ?」
そう言って笑うリーゼ。
いつもは軽口を叩きあう仲だがその笑みは慈母のように優しかった。
彼女からの返答はけっして明るいものではなかったが、それもこちらの相談に真摯に対応してくれたからこそのものだろう。
「さて、小難しい話をしてたらそろそろ食事の時間だねぇ。ところで今日のメニューはなんだい?」
急に戻った彼女の口調に思わず俺はずっこける。
「何で、当然のように俺が作ることになってるんだよ?一応客だぞ?」
「いいだろ別に。ケチケチするんじゃないよ。あぁ、そうそうあたし粕汁って料理を食べてみたいんだけど、あんた作れるかい?」
「・・・中途半端にマニアックな料理だな・・・ていうかこの世界って酒粕あるのか?・・・って何で俺が作ること確定になってるんだよ?」
さっきまでとは一転普段どおりの口調で軽口を叩き合う俺とリーゼ。
このやり取りすらも俺を元気付ける為の彼女の気遣い・・・といっては穿ちすぎだろうか?
美人という長所を完全に覆い隠すほど、わがままで食い意地が張ってて、口の悪い残念エルフ リーゼロッテことリーゼは俺の恩人にして時に母のようであり姉のようでもある得がたい友人だ。
そんな彼女の気遣いに報いる為にも、もう一度自分のできることを考え直してみよう。
そう俺は決意を新たにした。