2-3 運ぶ
第2章第3節です。
ぜぇぜぇと息を切らしながら少女は男の後ろについていく。
「ま、待ってくれ……はぁ、お前さんさっきよりも歩くのが早くないか?急いでいるのなら、なおさら魔法を使わんかい。その方が楽だぞ。私が……だけでなくお前さんも」
「魔法は使わない」
「はぁ……わからんな。ならせめて歩く速度を私に合わせたらどうなのだ?お前さんが気づいた時には、置いて行かれた私がそこら辺で転がっているかもしれないぞ。それは困るんだろう?」
少女は、喋る時だけは体力を使わないのか?と思わせるほどよく喋った。男が黙り込んでいたのはそれに圧倒されてしまったから……ではなく、普通に迷っていたからだった。
――魔法は使いたくない。それは少女の言うことを聞くのが非常に不服だから。
――魔女に死なれては困る。それでは俺がこんな羽目になった意味がないから。
魔法を使って彼女を運べば、とりあえず死なせずには済むが、それでは彼女の思うツボだ。かと言って自分のエゴを押し通すなら、彼女はいずれ動けなくなる……。
絶望的に思われたこの状況で、ふと、男は“正解”に気づいた。
男はおもむろにその場でしゃがみ込んで、手を後ろにやる。無言だった。少女もぽかんとしてしまったので、数秒ほど世界が止まったかに思えた。
やがて少女の方が口を開く。
「ん?急に座ってどうしたのだ?」
彼女からしたら、黙っていた男が急に座り込んだのだ。“この姿勢”が何を意味するのか……仮に彼女と同じ身体年齢の子供がパッとこの状況に置かれても、すぐには理解できないだろう。ましてや彼女は、人間社会の文脈をほぼ知らない。ただの奇怪なポーズにしか見えなかったはずだ。
男もそのことを察したようだった。若干居心地が悪そうに意図を伝える。
「……乗れ」
「む?“のれ”……とな?」
「背中に座るんだよ。魔法でじゃなくて、俺が背負って、運んでやる」
「!」
それを聞いて少女は合点がいったのか、手を叩いた。
「なるほどなるほど。かかっ!よく考えおったな!」
そう言うと、足を踏み出して男のすぐ後ろまで来る。
「それで?座ると言うからにはもう少しばかり四つん這いになったらどうなのだ?こんな角度ではすぐに地面へ落ちてしまうぞ」
少女は土まみれの足で容赦なく男の背中を踏みつけた。男は非常に憤りを感じていたが、ここで冷静さを欠いたらまた彼女のペースになってしまうと思い、必死に心を鎮めた。
「……そうじゃない。確かに座るとは言ったが、まず俺の肩につかまるんだよ。落ちないように」
「なら最初からそういえばよかろう」
少女は文句を言いつつも男の肩に両手を置いた。
「ほれ、できた……ぞぉおおっ!?」
刹那、少女の体は急上昇した。
「なっ、おい!危ないではないか!なぜ急に立ち上がるのだ」
「こうやって運ぶんだよ。頼むから、そのまま大人しくつかまっててくれ」
男は、魔女を背負った。彼が導き出した“正解”――魔法を使わず、体力が限界の彼女を運んで、森を抜け出すための最も効率的な方法……それは「おんぶ」だった。
「高い……高いな。おお……!」
少女は目を輝かせながら、仄暗い灯りの路に照らされた森の中を見渡していた。手は男の肩に置かれ、足はがっちり捕まえられていた。
「魔法も使わずにこんな高くに……かかっ!面白いぞ」
もっと高くがよい!と言いながら、少女はたまに身を乗り出す。
「危ないだろ。余計なことするな」
「お前さんがしっかり掴まえているから大丈夫であろう?それよりもなんだか不思議な気分だ。まるで私がお前さんを操っているみたいだぞ!かかっ。ほれ、もっと右だ右!ちゃんと前を見ているのか?」
「……勘違いするなよ。俺はいつだってお前を地面に落として、一人で走って行けるんだからな」
「ほう?だが現に今は私もお前さんを制御できる関係にあるぞ?こうやって……」
そう言うと少女は男の右耳をつねってひっぱる。
「痛っ!何すんだ」
「かっかっか!お前さんが口答えするからだ」
右、左と指示を出しながら、少女は男の耳を引っ張った。男は非常に憤りを感じていたが、この方法以外の選択肢がないことは一番よくわかっていたので、ただひたすらに歩き続けた。
しかし、あまりに少女がはしゃぐので、加虐心が刺激されてしまう。そこで男は不意に、初め彼女が「子供」という単語に反応していたことを思い出した。
「……言っておくが、お前が今俺にされているこれは“おんぶ”って言って、基本的に大人が子供に対してするものなんだよ」
「……なんだと?」
少女が食いついてきて、男はニヤリと笑った。
「まぁ、でも当然だな。お前は実際にただの幼いこどもだ。“疲れた”、“もう歩きたくない”と駄々をこねる子供に、おとなの俺が融通を効かせてやってるだけだ」
「……」
少女は暫く黙っていた。しかしやがて……
「下ろせ」
そう言い始めた。
「ん?なんだ、もう自分で歩くか?」
「当たり前だ。もう体力は十分に回復した。それに私はこどもなんかではないからな。……そもそもお前さんが勝手に始めたことなのだ。私はそれに“合わせてあげた”に過ぎない。だから下ろせ!」
しかし男は、彼女の言いなりになるのは気に食わなかった。
「嫌だな」
「なぜだ!私が歩いた方がお前さんも楽だろう?私の提案の方が合理的だ!下ろせ、下ろせ……!」
「お、おい!暴れるなって!危ないだろ」
少女は無理やり背中から離れようと、男の肩に置いていた手を離した。しかしその拍子にバランスを崩し、落ちそうになる。
足は男にしっかり掴まれているので、このまま落ちたら頭から……。彼女の脳は最悪の事態を想定し、脊髄へ反射の信号を送る。「つかまれ」と。
「うぐっ」
そして次の瞬間には、男の呻き声が樹海の中心で木霊した。
「おい、首!死ぬ……死ぬって」
「し、死なんだろう!それより早くお前さんの手を離すのだ。降りられんわ!」
少女がとっさに掴んだものは、男の首根っこだった。突然のことに男は手を離し、彼女は宙ぶらりんになっていた。落ちないように、腕でつかまっている。
「俺は、もう、離してるだろ。お前だよ」
「い、嫌なのだ!離せん、離せんわ!」
少女は目を瞑りながら、必死に男の首を掴んでいた。
「ああもう、なんだよ……!」
男は痺れを切らし、背中でひょいと彼女の体を持ち上げて、再び足を捕まえた。まるで空のペットボトルのように軽かった。
「おわぁ!?」
少女は再びおんぶされる形になった。恐る恐る目を開けると、男はいつの間にか歩きはじめていたようだった。
少女はもう騒がなかった。むしろ口を閉じて、さっきよりも強く男につかまっていた。男の靴が湿った土を踏みしめる音を、黙って、聴いていた。
しかし男は背中で――背中の紋様で、少女の心音を聴いていた。トックン、トックンという、確かな生命の拍動を感じていた。
もう男には無い――今はこの世の理から外れた謎のエネルギーに上書きされた――当初男が投げ出そうとしていた、「命」という――本来ただ在るだけで“尊ばれるはず”のもの。少女はそれを、この軽い体に宿していた。
現代社会は「命」に価値を見出そうとする。自分の価値を他人に認められなければ生き残ることができない、と言い換えてもいい。
もちろん、憲法において国民は「個人として尊ばれる」ものだと明言されている。しかしそれは社会の構造をそのようにすると保証するものではない。
法をいくらこねくり回したところで、結局社会に根付いてしまった「お金」の魔力を弱めることなんて不可能だ。「お金」のために「命」を削り、「お金」で「命」を修復させる。それが現代社会だった。
男は、確かに生命の拍動を感じていたが、不老不死となりある意味「命」を手放した今も尚、それは魅力的に見えなかった。そして彼女を非常に気の毒だと思った。これから少女は、やっとこさ手に入れたこの「命」に、うんざりするのに、どれくらいの時間が必要だろうか。男は三十一年ほどかかったが。
――その時まで、見届けてやる。
男は心の中でそう呟いた。これは決意だろうか。あるいは執着とも呼べるかもしれない。自分をこんなことに巻き込んだ彼女が苦しんでいく様を一番近くで見届ける。そして言ってやるのだ「お前が長年追い求めていたものは、こんなにしょうもないものだったんだよ」と。その時彼女はどんな顔をするだろう。あのニマニマとした気味の悪い笑みを苦悶の表情に変え、唸り声をあげるだろうか。はたまたあまりの悲惨さに絶望し、希死観念を抱くのだろうか。
……男は歩きながら、そんな、魔法よりも現実味の無い空想に耽っていた。もっとも、男にその自覚があったかはわからないのだが。
どれだけ歩いたかわからない。しかしやっと、男の魔法で創られた道標が、最後の一灯りとなった。ぼんやりと照らされていたのはもう、湿った土と針葉樹の幹ではなく、アスファルトで舗装された道路とガードレールであった。
「そうか、ここに戻ってくるんだな」
男がそう呟いたことで、何事かと少女も身を乗り出した。
男の目には、ヒビだらけの道路と酷くサビ着いたガードレールの他に、乗り捨ててきた中古の軽自動車が映っていた。月明かりに照らされたメタリックな外装は、彼女の目にはどう映るのだろうか。
魔女はついに、現代技術と相対する。
さて「おんぶ」、いかがでしたか?
子供って言われてムカついちゃう魔女ちゃんかわいいですね!愛おしいです。
そしてついに森を抜けられました!やっと場面が変わります。少し長かったか?わかりませんが、次回をお楽しみに。




