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はじまり

 人類と呼ばれる生き物がこの世に生まれて幾千年。ある日私たちは圧倒的に敗北した。かつて人間こそが世界で最も高尚な生物であると信じ込んでいた私たちは、唐突にその価値を、地位を、失った。

 地の位に落ちた。



「ほら! エム、トート、早く来いよ‼」

「ちょっ、待ってよエル兄!」

広い草原を三人の子供が駆ける。

 先頭の少年は大きな瞳と長めの髪、瞳はどこか赤みがかっていて髪の毛の色は淡い灰色である。明るい笑顔は天真爛漫な自身の性格をよく表していた。右目のすぐ下に泣きぼくろが一つあって、それがまた魅力的でもあった。

 続く少年は、その目も、その髪の色も、顔の形すらも、先頭を走る子と見分けがつかないほどに似ていた。いわゆる双子である。強いてあげるならば、身長が少し低いのと、ほくろの位置が右目の下から口元に移動していることだろうか。あとは、笑った時の顔が、こちらも自身の性格である柔和な様子を示していた。

 最後に走るのは、こちらは少女であった。瞳は薄い青、ブロンドの髪を揺らしながら必死に二人の背中を追っている。だいぶ長い距離を走っていたのだろうか、息は切れ切れで苦しそうだが、それでも止まろうとは思わないらしい。顔を上げて少年二人に負けじと足を動かす。

 短い草が生えそろう大地にできた一本の道、そこを三人は縦一列になって走り抜けていた。

 一番目の少年はただひたすらに前を見る。

 二番目の少年は兄を追いかけるように。

 三番目の少女は秘めた想いを隠して。

 空に昇っていた太陽は、いつしか高度を落としていて、はるか先の水平線へとその端をつけようとしていた。

 そんな時、彼らは立ち止まる。走り続けてきた道は目の前で途切れており、そこから先は断崖絶壁となっていた。下を覗けば足がすくむほどの高さで、崖に打ち付ける波の白さが目に留まる。

 眼前に広がる果てしない海と、その中へ沈もうとしているオレンジ色の太陽。もう何回も何回も見てきた風景だが、その感動が色あせることはない。

 横一列に並んで、三人ともが黙って立っていた。まるでその景色を、今まで何度となく見てきたその光景を瞼の裏に焼き付けるかのように。


「ほら、そろそろ戻らないと大変だよ」

どれくらいその場にいたのか、陽が落ちても佇んでいた二人に少女が話しかける。一人はそれも聞こえていないかのようにじっと前を見続け、もう一人はその言葉に賛同した。

「そうだね、ここから帰る時間もあるんだし。……エル兄、行くよ」

 弟からの提案も、兄の耳には届いていないのか、動く素振りすら見せない。

 最初に声を出した少女、トートと呼ばれていた子と、微動だにしない少年の双子の弟、エムと呼ばれていた子は、顔を見合わせて同時に溜息をつく。

 これはいつものことで、仕方のないことなのだけれど、それでも三人に与えられた時間は限られているのだ。エムは瞬きもせずに立っている兄の手を引く、そうしてようやく意識を取り戻したかのように、こちらを向いた。

「ああ、悪い。…………そうだな、もう行かなきゃ」

 ここまで走ってきた時とはまるで別人のようなその顔に、エムは胸が痛むのを感じる。兄はいつもこうやって、あの景色を見たあとに悲しそうな、寂しそうな顔をするのだ。

 そんな姿は似合わないよ、と思いながらも、それを言葉にすることは出来ない。

 そうなってしまった理由も、それをどうすることも出来ない自分たちの力も、全部わかっているのだから。

 それでも、兄はすぐにいつもの強気な顔つきに戻る。まだ自分は諦めていないんだと、そう言い聞かせるかのように。

 弟に、少女に、世界に。

 何よりも自分自身に。

「戻ろう!」

 そう言った兄は笑顔で、つられて二人も笑った。

 そして三人はまた走り出す。


 三人が自分たちの住む村に帰った頃、既にあたりは暗く、道を照らしていたのは空に浮かぶ丸い月だけであった。村の入り口にいる門番にそれぞれが自身の名前を告げる。

「プリクエル・アフターワード。プリクエム・アフターワード。トート・アップシート。三人だな、よし入れ」

 三人は自分の村の門番であるにも関わらず、決して目を合わせるようなことはしなかった。その虹色に煌めく瞳を見ると、どうしようもなく心が怯えるのだ。その男は、三人のうちの一人にだけ気になるような視線を送っていたが、それもすぐに打ち消し、もう興味はないとでも言うように前に向きなおった。

 三人の住む村は、さして大きいわけではない。村人の数も百人に届くか届かないかくらいだろう。それぞれの家が、小さな畑で作物を育て、あるいは森の木々を切り倒し木材を集め、またあるいは鉱山へと出向いて鉄鉱などを採集する。

 そうして得た資材を、街へと売り歩いて生計を立てていた。

 かつては。

「じゃあ、また明日な」

「うん、またね」

 村の中間で双子の兄弟と、少女は別れる。互いの家へと歩く様子は、やはり暗いものであった。エムとトートは下を向いて、エルだけはそれでも顔を上げて、ちらほらと立っている照明代わりの炎に照らされている。

 村に着いてから、兄弟が交わした言葉はなかった。それは決して仲が悪いというわけではなく、お互いに思うところがあるのだろう。考え事をしているようで、自分の世界に入っている。

 家の前まで来た二人は、一つ深い息を吐いて扉を開けた。

「ただいま」

 同時に声を出し、それが重なって小さな部屋の中へと響いて消える。

「おかえりなさい、ご飯できているわよ」

 そこで待っていたのは、兄弟の母親。痩せた身体は見ていて痛々しいものだけれど、その笑顔は優しく二人を包み込む。

 その笑みに当てられた二人の顔も自然とほころんで、そのままテーブルへと向かう。

 食べ盛りの子供二人にとっては物足りない量の食事ではあるが、文句を言える立場にはなかった。今日の夕日のことを嬉しそうに母親に話す兄と、その兄の奔放さにどれだけ苦労させられたかを話す弟。ただ聞くだけの母はそれでも楽しそうに笑った。

 母親が笑えば、兄弟はそれを見てまた笑顔になる。

 そうやって、ささやかな幸せを噛みしめながら、また一日が終わっていった。


 明くる日の朝、まだ陽も昇っていないうちに少年二人は目を覚ます。家から飛び出して、数軒の家が共同で使っている井戸へと向かった。そこで水を汲み上げて、顔を洗う。その後に、家の中へと戻って日課である剣の素振りを始めた。家の裏には小さなスペースがあるものの、そこでは決して出来ないことである。

 剣と言っても、木材を自分で削って加工した、棒きれと言われても仕方のない代物であるが。

 兄のエルがそれを上から下へ、右から左へと振るうのを弟のエムはじっと見ている。と思いきや、エムも同じ形の棒きれを手に取って素振りを始めた。

 声は出さず、ただただ振り続ける。

 無言での自己流稽古を終えたころには、もう太陽が顔を出していて、慌てて汗を拭きとってから朝食をとる。小さなパンをあっという間に食べ終えて、母に一言かけてから二人は家を出た。

「今日は何だっけ」

「ほら、そろそろ畑のお芋が収穫できるから、それのお手伝い」

「ん、そっか」

 二人が向かった先は、この村にしては大きめの畑。既に他の人たちが作業を始めており、急いでそれに参加する。

 籠を背負って、地中に埋まる芋を掘り出すエル。皆が同じことをしているが、誰も喋ることはしない。

 ちらりと顔を上げると、長方形の畑の四隅には今日も奴らがいた。

 見張って、いた。

 あるものは四足の獣のような姿。

 あるものは腕が異様に発達した猿のような。

 それぞれが大人より一回り大きいくらいか。そんな化物が四つ角からこちらを見ていた。誰かが逃げ出さないように、サボらないように。



 今日も俺たちは支配されている。きっと明日も。

 いつからのことなのかはわからない。少なくとも俺たちが生まれたころには、こんな世界だったのだ。

 こんな、どうしようもなく、どうしようもない世界。


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