世界の姿
今から十数年前、我々が住まうこのフロントザイテと呼ばれる大地は一体の魔物に支配された。のちに魔帝と呼ばれるようになるそのモノは、圧倒的な力と生命力で瞬く間に各地の主たる街を破壊し、人間界を恐怖で包み込んだ。今や人間界と呼ばれる場所はどこにもなく、全てが魔の統べる土地、魔庭界となっていた。
フロントザイテは、大きな円状の島となっていて、かつてはその大地を四つの大きな国で分けていた。東西南北にそれぞれ扇状に広がっていた国は、そのどれもが例外なく魔帝の支配下に置かれている。エルが暮らす村は、円の北側の国に位置していた。
魔帝はあるとき、自身の魔力と命を削って数体の眷属を生み出した。それが魔旺と呼ばれるもの、特殊な力を持ち、魔帝直属の部下であるとともに、今現在人間が最も恐れているといっても過言ではない存在。それが大地の中心部である魔庭界本土に構えている。
それからさらに、魔帝は己の眷属を増やし、それらに人間の支配を、否、飼育を命じた。
魔庭界の軍勢はと言うと、頂点に魔帝が君臨し、その下に数体の魔旺。そこから魔臣、魔平兵と位が下がっていく。下になるほど数は多く、知能も低いものばかりだ。また、その四種の魔物とは別枠で生まれ出でるものがいるのだが、それは後々話すこととしよう。決して進んで話したい事柄ではないのだから。
彼らにとって人間という生き物は我々から見る家畜のような存在でしかなかった。ただ一点異なる部分があるとするならば、捕食はしないということ。もちろん例外はあるにしても、基本的に魔物は人間を食べない。
その結果起こることと言えば、単なる虐殺であった。
我々人間が牛鶏豚などに対して行っているのが殺害であったとしても、虐殺にはいきつくまい。食料として感謝の念を持って殺す。果たしてそれが良いことなのかは議論を避けるけれど、こと魔物と人間の話になると、その様相は大きく違ってくる。
ただ殺す。向かってきたから殺す。邪魔だから殺す。用がないものは容赦なく殺されていった。根絶やしにしないけれど、殺す。
今までに在った街や村は、全てそうやって彼らに乗っ取られ、一応形はそのままとして操られることとなった。
大規模な都会から、土地外れにある村まで、老人だろうが赤ん坊だろうが、老若男女関係なく何から何まで誰から誰まで人間としての地位を失った。
そうして今や、各地に存在する魔なる者たちにその生活の主権は握られ、尊厳も品位も無い人生を送っている。
ちなみにエルたちが暮らすような小さい土地の管理をしているのは、魔平兵と、それを束ねる一体の、いわゆる上官である。大きな街になるほど、位の高いものが支配権を握り、多くの人を隷属していた。
ただ、人間の心がそんなに弱く、脆いものでもないことは確かである。表面上は支配されているように振る舞っていても、ひそかに反逆を企む者が世界各地にいるのであった。
そしてその中の一人が今ここにいる幼き少年、エルこと、プリクエル・アフターワードなのだ。
今年で八歳になるこの子供は、生まれたころからこんな暮らしを送っている。成果を上げられない村人を容赦なく痛めつける魔物たちを見ていて、少年の心に浮かび上がった感情は恐怖と呼ばれる類のものではなかった。怒りや悔しさが胸の中に渦巻いて、それが心に根付くころには、一人で剣技を磨く日々となっていた。
弟のエムは、そんな兄を見続けていたので、自分もそれを始めるのに時間はかからなかった。
二人の想いはたった一つ。
このどうしようもない世界を、どうにかすること。
二人はこのことを、幼馴染であるトートに伝えてはいなかった。いずれこの村を飛び出していくであろう二人を、彼女のことだ、無理にでも追いかけてくると思ったのだ。
それは避けたかった。危険な旅に同行させることは、イヤだった。
そうして二人は秘密の特訓を続けている。
独学にしては、筋が良く、兄は生まれ持ったセンスを存分に煌めかせていった。弟はその兄の技をひたすら見た。見て、診て、観た。そうすることで、エルの技をスポンジのように吸収していった。
道を切り開く兄と、それを取り入れる弟。
二人は遠い未来ではあるけれど、世界を変えられるんだと、確信にも似た気持ちを持っていった。
村人に課せられる作業は、それでも何日かに一度だけ休日を与えられる。毎日毎日馬車馬の如く働かされては、満足にご飯も食べられない人間の身体はあっという間に壊れてしまう。同時に心も。
だからこそ休みの日を与えられ、その日に関しては村の外へ出ることも許されるのだった。これはこの村の制度であり、もちろん都会になると変わってくるだろうし、隣の村だって違うかもしれない。
三人はその貴重な休みを使って、ほとんど毎回、昨日訪れた夕日を見に行くのだった。島の北端に位置する辺境の村だからこそ見える水平線と、そこに沈む太陽。
その幻想的な風景を見て、また志を新たにする。
村の中ではこの子らが最も年下で、あとはほとんどが成人していた。子供を養う余裕もないのが実情であるが、それでも村人が絶えるのは魔庭側もよろしく思わないのか、最近は子孫を残すように指示を出してくる。
劣悪な環境であることに間違いはないのだが、この子供たちだけはまだ諦めていなかった。それが夢だと言われればそれまでだが、夢を持たなくなったら人間は生きているとは言えない、エルはそう考えていた。
そしてもう一つ、エルが常々心に留めていること、自分の決心の表れともいえる言葉がある。
“人類最護”
これがエルの生き方であり、唯一の信条だった。
この言葉はいつも胸に刻んでいて、それこそ人類全てを守るんだと、護るんだと誓っていた。誰に誓ったかは、もちろん自分にである。
この村を起点として、近くの村々や街の支配を解いていく。そしていずれはこの世界を魔帝から取り戻す。それは険しいものであることに間違いはないけれど、エムと二人で成し遂げるんだと、そう思っていた。
二人ならきっと出来ると。
エルにとってエムは自分の半身だった。
単に双子だからというわけでもない。自分が感情に流されそうな時、いつもなだめて、抑えてくれるのが彼だった。
昔ある時、村人の一人が魔物に連れて行かれる事件が起きた。今より二年くらい前だろうか、有無を言わさず村の男を担ぎ上げて、村を出ていこうとしていた。当然他の村人も抵抗をしようとしたが、力の差は歴然である。たとえその魔物を倒したとしても次の刺客が来ることは容易に想像できた。だから、皆が諦めていった。
そんな中、エルだけは声を張り上げて、立ち向かおうとしていた。冷静に考えればそれは自殺と同義なのだが、今もしも同じようなことが起きれば、また繰り返してしまうかもしれないとも思う。
ただ、今にも掴みかかりそうな彼を寸前で止めたのが、弟のエムであった。周りの大人に制止されながらも、罵詈雑言を述べる兄に平手打ちを一発。静まり返る空気をよそに、その頭を掴んで魔物相手に頭を下げさせた。そして、下げた。
ごめんなさい。
と、一言。その時エムの顔を見ていなかったら、さらに暴れていたかもしれない。何してんだと、ちらりと弟の顔を覗くとそこには、血が滲むほど唇を噛みしめる姿があった。
それを見た途端、スッと頭が冷えるのを感じたのである。それからエルはより熱心に特訓をして、力と技だけでなく、心を鍛えていった。強さを求めて。いつになるかはわからないけれど、捕らえられた男は自分が取り返すんだと、そう思って。
ただその思いは、それから時間が経って唐突にかき消えることとなった。
事件が起きてから一年ほど過ぎたころ、村の男は何の連絡もなく一人で帰ってきた。
村の者が見たのは、彼の変わり果てた姿。
その男は今も村にいる。
門番として。
人間たちを支配する者として。




