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私は昔から臆病な人間だった。

誰かの意見に合わせていれば道を外れてしまう事もないし、誰かの敷いた道を歩いていれば人生を誤る事もない。

誰かの考え出した道徳に従っていれば人を傷つける事もないし、誰かの命令に従っていればいざこざを起こしてしまう事もない。

私は【誰か】の目を、声を、意思を必要以上に意識してしまう人間だった。

そんな私が普通の生活を送れるはずがない。

それに気づいてしまったのは中学二年生の時だった。


思い返せば、学校に行きたくなくなったきっかけは本当に些細な事だった。

――友達が私を見て嗤ったから。


外に出たくなくなったきっかけはもっと些細な事だった。

――友達がお見舞いに来てくれた後、SNSに書き込んだから。


気にしなければ良い。

虐められてる訳じゃない。

私さえ気づかなかったフリをすれば、全部丸く収まる。

どうせ私が笑ってやり過ごしてれば飽きて次の遊びに行くんだから。

そうだ、これは遊びなんだから。

笑って、ふざけて、仕方ないよねって肩を竦めて。

何の悩みも無い女の子を演じていれば良いだけ。


――でも。

その日、家から一歩を踏み出せなかった。

次の日、部屋から出られなかった。

その次の日、布団から出られなかった。


お父さんもお母さんも私を心配して、部屋の前で何度も話をしようと言ってくれた。

でも、私がその声に答える事は何故か出来なかった。

毎日繰り返される日課のようなそれが聞こえなくなったのは、私が部屋に籠るようになって数か月経ってからだった。

部屋の外に出るのはお父さんとお母さんが仕事に行ってからで、誰にも見つからないようにご飯を食べて、誰にも気づかれない内にお風呂に入って、そしてまた誰とも会わずに済む部屋に籠る。

そうして時間に置いて行かれ、部屋の外に春が来て、夏が過ぎ、秋が訪れ、冬が終わって、また春が巡ってきても家から出る事は出来なかった。

日付の感覚がなくなってしまうくらい毎日毎日ひたすらパソコンに向き合って、私の名前を検索し続けた。

見えないところで何を言われているか分からないのが怖い。

人にどう思われているのか分からないのが怖い。

どんな風に私を捉えているのか分からないのが怖い。

その恐怖を断ち切る為にはパソコンに向かうべきではないんだ、と無理やりそれを部屋の外に捨てたのはいつ頃だっただろうか。


やる事もなくなった私が最初に手を伸ばしたのは、テレビのリモコンだった。

色々な番組を無感動に見て回って、ある音楽番組でチャンネルを替える指を止めた。

日本人離れした綺麗な女の子がデビュー曲を歌っていた。

きらきらとした笑顔と少しだけ低い声、それからキレの良いダンス。

全て歌い終わった後に彼女に司会者がマイクを向けて少しだけトークをして、私はその内容に驚いた―――同い年で、同じ誕生日だったから。

煌びやかな衣装なのにその衣装に全く負ける事なく輝く彼女の名前を、私はその後何度も探すようになった。

同じ誕生日に生まれた同い年のアイドルがテレビで歌って踊って笑っている。

元気出して、と。

私は傍にいるよ、と。

応援しているから、と。

特段珍しい歌詞ではなかったけれど彼女はいつだって前向きな歌しか歌わなくて、私はまるで彼女に応援されているような気分にさえなった。

親近感だって抱いていた。

――そして、私は彼女のファンになった。


一歩を踏み出す勇気がなくて泣きそうになっても何度も彼女の曲を口ずさんだ。

そうしてお父さんとお母さんがご飯を食べている時間に部屋を出て、私も一緒にご飯を食べたいと告げる事が出来るようになったのは、彼女を初めてテレビで見てから数か月後の事だった。

涙ぐんで喜ぶ二人と毎食を共にする事は出来なかったけれど、それでも顔を合わせる回数は格段に増えて行った。

一歩ずつ踏み出そうと決めて通信制の高校に通いだしたのも、この頃だ。

まだまだ外に出るには勇気が必要だったし、遅れていた勉強に追いつくのも難しい。

それでもテレビで彼女が頑張って、と歌う度に私は前に進んでいきたいという思いを強く持った。

少しずつでも人と関わって、もう一度【誰か】と関わって生きていきたい。



――けれど、彼女が事件に巻き込まれてマスコミから酷いバッシングを受け始めた辺りから、また私は人と関わる事を諦めた。



だってあんなにも輝いていた人が世間から疎まれている。

だってあんなにも人気のあった人がいろんな人に恨まれている。

だってあんなにも愛されていた人が【誰か】から嘲笑われている。

私みたいな人間が、彼女の歌に励まされなければ部屋から一歩だって出る事も叶わなかった人間が、外の世界で生きていけるはずがない。

テレビを点ければ彼女のスキャンダルに悪意たっぷりなコメントをするタレントが居る。

その人は何度も彼女とバラエティで共演していたし、彼女の事を優しくて魅力にあふれている人だって言っていたのを私は覚えている。

彼女の方もそのタレントとは食事によく行く友達なんだと笑っていたのも、覚えている。

そう。だから。

彼女が映らなくなったテレビはどこまでも汚くて、どこまでも彼女を追い詰めて、彼女のファンである私さえも傷つけるような内容ばっかりだった。


また部屋に籠るようになってしまった私を心配したお父さんとお母さんは、何度も何度も扉の前で話しかけてきたけれど、それに答える事は今度も出来なかった。

――だって、どんなに親しい人間だって裏切るのだと知ってしまったから。

次第に私の部屋の前で聞こえていた声はなくなり、居間の方から罵り合うような声が聞こえるようになって、最後にはお父さんとお母さんは離婚する事になりました、という手紙だけが私の部屋の扉に差し込まれた。


テレビを見ても傷つくばかりで、ついには電源を消してしまった。

とにかく人の存在を感じたくなかった。

けれどもやる事なんて一つもない。

仕方なく暇つぶしに始めたゲームも、その向こう側に人間が居ると思ってしまうとオンラインに繋げるものは出来なかった。

だからひたすら画面に向き合って一人でレベル上げ。

画面に映る勇者は私に暴言を吐いたりしないし、私の陰口を言ったりしない。

画面に映るパーティメンバーは私の勇気を讃えて、私に好意を示してくれる。

誰も私を傷つけない、誰も私を眼に映さない。


画面を見る目はどんどん動きをなくしていき、本当に私は生きているのか分からなくなっていく。

こんなところに籠って誰とも話さないで、関わらないで、お父さんとお母さんの仲を壊して、迷惑かけて、生きていない二次元の存在に遊んでもらうだけ。

これからもずっとこうなんだろうか。

これからもずっと一人なんだろうか。

これからもずっと臆病なままなんだろうか。


私、どうして生きているんだろう


ふと頭を過った言葉に、ぱたりと涙が頬を伝う。

少し考え始めてしまうと死ねば良いんだ、と言葉が頭の中をぐるぐると回りだす。

死にたくない。

でも、生きていても仕方がない。

こんな世界、抜け出したい。

誰も私を知らない世界に、ここではない世界に、私が必要とされる世界に行ってしまいたい。

―――ぼろぼろと零れる涙を拭う為に目をゆっくりと閉じた瞬間、世界は文字通り色を変えた。

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