フリーターと青い空
空。それはどの場所から見ても変わることの無い不変の景色。
だからきっと、世界が違っても見える景色は同じ筈。
そんな幻想をぶち壊すかのように、ぽっかりと開いた“穴”がそこにあった。
――みたいな話ではないのであしからず。
「……ん……もう朝か」
俺は窓から差し込む光を浴びて、閉じていた瞼を薄っすら開けた。
ソファで眠っていた為か、妙に体の節々が痛む。俺は立ち上がった後、軽く背伸びをして固くなった体をほぐした。
壁に掛かった時計を見れば今の時間は朝の7時。大体いつもどおりの起床時間だ。
俺は顔を洗ったあと、アイテムボックスの中に入れたままだったカフィ豆を専用の豆挽機の中に移した。
挽きたての豆を使ってお気に入りのコーヒーを淹れるのは俺の日課だ。これが無いと俺の一日は始まらないと言っても過言じゃない。
「それにしてもよく生きてたよな、俺」
全く……昨日は散々だった。
一日経ったらすっかり元通りになったけど、しばらくはあの犬の顔を忘れられそうにない。一体何回噛み殺されるかと思ったか。
それにメリーにも色々酷いことしちまったし、後で謝らないといけないよな。
あー嫌だ。さっさと仕事して別のことを考えよう。
俺は出掛ける準備をした後、足音を立てずに二階の自室に入った。
そこには昨夜走りつかれて眠ってしまったメリーがベッドの上で横になっている。
あんな夜中に一人で帰らせるのも流石に悪いと思って、仕方なく家に泊めてやったのだ。
「……すぅ……すぅ……」
全く……眠ってる時はすっげー可愛いのに、起きるとどうしてあんなにも残念極まりないのかねぇ。
ま、裏表がないこいつの性格は嫌いじゃないんだけどな。調子に乗るだろうから絶対に言わないけど。
「じゃあ、行ってくる」
俺はメリーの頭を撫で、起こさないようにそっと静かに家を出た。
「……ケイスケの……ばかぁ……むにゅ」
正直、俺は昨日の一件で痛感してしまったことがある。
それは体の動きが思っていた以上に鈍っていたということだ。
この国……いや、この世界においてレベルやスキルは何物にも変え難い大切なものであり、戦闘技術は生きる上で絶対に必要になる。
あのアーサーちゃんの戯れだって、半年前の俺なら難なくやり過ごすことが出来た筈だ。
情緒不安定になって、メリーを傷付けることも、あの時ギルドにいた奴等に失態を見せることも無かった。ぶっちゃけ、恥ずかしくて今からこれからどんな顔でギルドに行けばいいのか分からない。
そう考えている間も足は真面目に動き続け、気が付けばもうギルドの目の前だ。
「……はぁ。過ぎたことを考えてても仕方ねえか」
俺は諦めて今日の仕事を始めることにした。
「あ、ケイスケさん! おはようございます!」
「おはよう。……俺に普通に接してくれるのはシェーレだけだよ。毎度ありがとな」
「え!? ええええ!? いえいえ! 滅相もございませんよ! 突然どうしたんですか!? いや、でも、その、えへへ……嬉しいです」
相変わらずシェーレは俺に笑顔を向けてくれる。それは俺にとって一番の癒しだ。
俺も笑い返すと、彼女はウキウキとしながら数枚の資料を俺に差し出してきた。
「なんか、今日はいつもより依頼が多くない?」
「はい。どうやらキャメロット夫人が知り合いの人に声を掛けてくださったようですよ。凄いですね! これでケイスケさんが馬鹿にされることもグッと少なくなりますよ!」
「マジで!? あの人、そんなことしてくれたのか。……あと一回くらいならアーサーちゃんの相手をしてやってもいいかな」
「もういっそのこと冒険者になりませんか? きっとすぐに大物になれますよ!」
「お断りします」
「むぐぅ……頑固ですね」
「お互い様だろ?」
可愛く頬を膨らませるシェーレに苦笑しながら、俺は渡された書類に目を通した。
……ん? これって、本来は冒険者達にしか回ってこない仕事だよな?
そこに書かれていたものは、どれも俺が初めて見る内容だった。
「『キラーウッドの禍根を三つ納品せよ』『紅蓮の魔石を五つ納品せよ』『バーサクゴブリンを討伐せよ』『アーサーちゃんの遊び相手をよろしくお願いしますわ』……。凄いな。二つ以上の依頼が一度に来たのは初めてだ」
「それはケイスケさんがギルドに冒険者登録をしていないからです。冒険者になればこれの十倍くらいはお仕事を紹介できるんですよ? ね、冒険者になりましょうよ」
「絶対やだ。メリーみたいに無理矢理仕事をやらされるくらいならフリーターの方が百倍マシだって」
「……またあの女ですか。全く、傍にいなくても私の邪魔をするなんて……!」
「何か言った?」
「いいえ? それよりもお仕事はどれにしますか? どれも期限が今週中なので、一日で全部終わらせる必要はありませんよ」
シェーレは少し棘のある声でそう言うと、書類の束を俺の胸に押し付けた。
なんだろう? 俺、なんか怒らせるようなこと言ったっけ? それとも俺の気のせい……かな?
少し疑問には思ったが、今の俺はたくさん来た依頼の方に意識が持って行かれてそれどころじゃなかった。
とりあえず、依頼は全部引き受けよう。どれも魔物を討伐する依頼ばかりだし、鈍った体を動かすにはちょうど良い。そして最後にアーサーちゃんとリベンジマッチだ!
*****
「……はぁ。私って嫌な女だな」
「そうだね。嫉妬するシェーレちゃんマジ天使」
「きゃああ!?」
ギルドを揚々と去っていくケイスケ。
シェーレはそんな彼の背を見送りながら独り言を呟いたのだが、突然耳元から聞こえた声に驚いて可愛い悲鳴をあげた。
慌てて後ろを振り向くと、そこにはいつものように下衆い顔をしたクオラが立っていた。
「ふへへ。気になるなら直接聞いてみればいいじゃない。『メリーさんとはどういうご関係なんですか』って」
「クオラ……仕事をサボって言うことはそれだけ?」
ゆらり、と緩慢な動作で立ち上がったシェーレの背後に暗い炎のようなオーラが見える。
それを見たクオラは、弄るタイミングを間違えたと悟ってガタガタと震えだした。
「え? あれ? もしかして、本気でおこなの? マジおこなの?」
「ク~オ~ラ~!」
「あ、ちょっとタンマ! お願いしますごめんなさ……ぎゃーーーーーー!?」
こうして毎度懲りないクオラは、いつものようにシェーレから三倍返しの報復を受ける。
それは最早ギルド名物と呼ばれるほど当たり前の光景であった。
故に一部始終を見ていた冒険者達も、「いつも通りで平和だな」と朗らかに微笑むだけで、死んだ魚の目になったクオラを心配することは無かった。
「さーて。まずはどの仕事から取り掛かるかな……」
一方で、ギルドの外を歩いていたケイスケはふと思い出したように空を見上げた。
立ち止まった彼を置いて、人の波は好き勝手な方向に進んでいく。
“穴”が存在する以外、地球のものと何も変わらない広大な空。
その空の中を、風に流されて泳いでいる白い雲。
そんな光景を見て、ケイスケは一人寂しく笑った。
「よし。今日も頑張るか」
ケイスケは両手で軽く頬を叩き、再び前を歩き出した。
異世界『アースヴェルト』から見える空は、今日も青い。
……いいエンディングでしたね(嘘)




