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73◇黄金郷の墓守・後




『ふ、ふふっ』


 口づけのあと。

 イクセリスは照れたように頬を染めながら、己の唇を手で覆い隠す。


『ずっとしたかったのよ、セオ』


 呪いの件がなければ、セオフィラスも喜んだかもしれない。罪悪感を伴いつつも、最愛の人と心を通わせられたことを嬉しく思ったかもしれない。


『ですが……姫』


『なぁに? さっきから暗い顔をして』


 少女は自分のやったことなど気にしていないように、ぷくりと片頬を膨らませている。

 ただの、乙女のように。


『そ、その、祝福について、ですが』


 冷静に、解決策を探らねば。

 彼女の犯した罪を、少しでも軽くできるように。

 最早、セオフィラスにできるのはそれくらいだった。


『あぁ、気になるのね! そうよね! いいのよ、なんでも訊いて』


 勘違いしたイクセリスは、自信満々に胸を張る。

 気分は家庭教師といった面持ちだ。


『魂を留めるとのことでしたが、先程のご家族の様子は……』


 とても正気とは思えない動きをしていた。


『あぁ、適応には時間が掛かるようなの』


『時間……』


『えぇ。貴方なら、きっとすぐね。だって器用だもの。他には?』


『……動く死者の呪いに近いというのなら、その……我々の体は、やがて腐り落ちるのではないでしょうか』


『その通りね』


 なんてことのないように、イクセリスは頷いた。


『ひ、姫は、それでもよろしいのですか?』


『ねぇ、セオ。考えたことはある? 「好き」とは一体なんなのかって。私はあの黄色い花が好きだけれど、たとえば同じ形で色が青だったら嫌いになるのかしら? あるいは同じ色で花弁の形が変わったら? 咲く季節が違ったら? どこが変わったら「別物」と認識してしまうのかしら?』


 彼女が何の話をしているのか、セオフィラスには分からなかった。


『考えた末にね、私、気づいてしまったの。そのようなことを考えるのは無意味だって。その花が黄色かったことを覚えている限り、どのように変わってしまっても、私の中にある「好き」という感情は色褪せないのだから』


『姫が、何を仰っているのか、私には……』


『もう、鈍感なんだから。だからね、確かに私は、貴方の青い髪も、青い瞳も、ぶすっとした顔も、たまに見せてくれる笑顔も、マメだらけの手も、たくましい体も、少し日に焼けた肌も、全部、好きだけれど。それが全て溶けてしまっても、貴方への愛は変わらないわ』


『――――』


『貴方も同じ気持ちだって信じてる。そうでしょう?』


 少女は美しい。だが彼女から美しさが損なわれた時に、恋慕の情が消えるとは思わない。

 愛する者を構成する一要素は、それがどれだけ魅力的でも、一要素に過ぎないのだ。

 失われてしまっても、在りし日の姿は己が覚えている。


 だから、彼女の言わんとしていることは、理解できた。


『それとね、セオ。賢い貴方なら、聖騎士を不安に思うかもしれないけれど』


 その通りだ。

 転化を促す液体が、少女の家族の朝食に盛られたとして。

 摂取から転化までが早すぎる。

 この呪いは、凄まじい速度で拡散していくということ。

 そうなれば、街一つの秘密では済まない。


 王都の聖騎士団本部から、十二騎士を含む軍団がやってきて、掃討作戦が組まれることだろう。

 そうなっては、永遠など夢物語だ。


『それもまったく問題ないのよ。だって飴菓子様の計画ですもの。私のような協力者は国中のいたるところにいて、今日という日に合わせて一斉に、祝福を振りまくことになっているのだから』


『で、では、国中でこのようなことが?』


『そうなの! 素敵よね! 飴菓子様は誰も死なない世界が作りたいのですって。素晴らしいお人よね。私、そのお話を伺った時は感動してしまって!』


 セオフィラスは直感的に、それが嘘であると悟っていた。

 (あるじ)が飴菓子様と呼び慕うあの令嬢は、そのような慈愛の心を持ち合わせているようには見えなかったのだ。


 二人がそのように会話している間に、邸内の騒がしさは増しており。

 この街の破滅が進んでいることを、知らせているようだった。


『だからね、セオ。何のしがらみもなく、ずーっと二人一緒に……――ァ』


『……姫?』


 暗い輝きさえも失われた、生気のない瞳がセオフィラスを見ていた。

 透き通るような肌は、死体のような青白い肌になっており。

 感情豊かな可憐な顔は、涎を垂らす無表情で固定されている。


『うー、あー』


 イクセリスは呻き声を上げ、セオフィラスから目を反らし、部屋の外へと向かう。

 既に呪いを受けたセオフィラスではなく、まだ見ぬ生者を呪うべく動き出したのだ。


『姫……』


 そしてじきに、自分もそうなる。

 適応とやらが済むまで、街を彷徨い人を噛み続けるのだ。


 話を聞いた結果、事態の収拾を計るのに必要なことは分かった。

 隔離と討伐だ。

 国中でこのような騒動が起こっているとなれば、実現は困難を極めるだろう。


 そもそも、隔離はともかく、自分に討伐はできない。

 この家の人たちも、なによりもイクセリスを、手にかけることなどできないのだから。


 ならば、彼に残されたものは、忠義を貫くことのみ。


『必ず貴女を探し出し、お守りいたします』


 セオフィラスに出来るのは、もうそれだけだった。


 そして、セオフィラスは意識を失い。

 脳内に響き渡る声のおかげで、祝福の素晴らしさを知り。

 邸内を不死者で満たしてから、街へと出る。


 ◇


 それから、どれだけの時が経っただろうか。


『セオ……セオ』


 まるで、水中から脱したように。

 体中を包んでいた膜のようなものが、破れたかのように。


 突如として、セオフィラスの意識は鮮明になった。

 そして目の前には、骸骨が立っており。

 こちらの頬を、撫でていた。


『……姫?』


 かつての面影など、あろう筈もないというのに。

 セオフィラスにはその骸骨が、己の(あるじ)だという確信があった。


『えぇ、そうよ。ふふ、よかった。探すのに苦労したんだから』


 どうやら、適応は彼女の方が早かったようだ。


『申し訳ございません……私の方から、お探しに行くべきところを』


『いいのよ。それよりも、見て?』


 街はまだ荒廃しているというほどではなかったが、手入れする者が消えたからか、寂寥感を漂わせていた。

 まばらに、同胞たちが歩いている。骨の体で、コツコツと音を鳴らしながら。


『まだかつてと同じ生活を送れるほどの人は少ないのだけど、この街に関しては転化が完了してしばらくが経つわ』


 イクセリスに手を引かれながら歩く。どうやら彼女の家へ向かっているようだ。


『この街の、外は?』


『それがね、ひどいのよ! 大規模な結界術で街を閉ざしているようなの!』


『では、我々は閉じ込められた形になるのですね』


『えぇ。このようなこと、飴菓子様は仰ってなかったのだけれど』


 想定外だったか、想定内だったが黙っていたか。


『姫の、ご家族は?』


『まだ見つかっていないわ。お父様に領地経営を再開してもらおうにも、適応している人が少なすぎる現状、難しいでしょうし。気長に待とうと思うの』


 本当に、生前と変わらぬ様子に見える。むしろ、幾分か落ち着いたようにさえ思えた。

 魂を留める転化の呪いは、本物だったのだ。


『あぁ、そうだ。貴方、約束は覚えている?』


『……どの約束でしょうか』


『私、そんな沢山の約束をさせたかしら? させたかも。ヒントは花よ!』


『あぁ、今は黄色い花の季節なのですか?』


『そう! 一緒に見ましょう』


『承知いたしました』


 そして、屋敷に戻り。

 庭園で彼女と花を見た。

 視覚も嗅覚も、人間時代のものではなくなっていたが。

 花の美しさも香りも、理解できた。


『これから先、ずっと貴方とこの花を見られるのね』


『はい』


『なぁに、つまらない返事』


『申し訳ございません。どこかに剣を落としたらしく……』


 騎士としては、護るべき人がいるのに剣がないというのは不安だった。


『あぁ、適応前のことだものね。屋敷のどこかに予備があった筈だから――』


 突然のことだった。



 彼女が、砂のように溶けてしまったのだ。



『――姫?』


 呆けている間もなく、セオフィラスに殺意が近づいてくる。

 反射で飛び退ると、剣がセオフィラスの左腕を断ち切った。


『ほう! 今ので殺しきれないとは、生前はさぞ優秀な戦士だったのだろうな!』


 男女一組の、侵入者だった。

 男の方の服は聖騎士の制服に酷似しているが、女の方は見たこともない服を着ている。

 一番近いのは、教会の聖女が着ている服だが、色も形状もセオフィラスの知っているものとは随分と違う。


 そんなことよりも。


『……姫をどこへやった』


『はぁ? 今、貴様の前で天に召されただろうよ』


 男の言葉を呑み込むのに掛かった実際の時間は、数秒にも満たなかっただろう。

 だが、それこそ永遠に感じられる苦しみが、セオフィラスの中を駆け巡った。


『殺したのだな』


『貴様らはとっくに死んでいる。その魂を解放してやろうというのだ、感謝してほしいくらいだよ』


 この者たちは街の人間ではない。

 外から来た人間だ。そして外の人間にとっては、そういう認識らしかった。


 これが、セオフィラスにとっての分岐点となる悲劇。


 祝福を振りまく存在である通常の形骸種(キュリオン)から。

 祝福に幸福を見いだせなくなった特異個体への変質。


 気づけばセオフィラスは、その男女を殺していた。


 同胞にしようなどとは思えなかった。

 呪いの強制する祝福の拡散よりも、復讐心が勝ったのだ。


『そ、そうだ。来年も再来年も、花を見ましょう。約束、しましたから』


 (あるじ)を失ったことで正気を失った男は。

 彼女の眠る街を、せめて彼女の好きな花で彩ろうと考え。

 そうして覚醒した『植物を生み出す』能力で常に黄色い花を咲かせ続けた。


 外の人々は花の色と、花畑を護るような彼の行動を指して『黄金郷の墓守』と呼称し。


 そしてある日、ネモフィラとその聖騎士が、彼の領域へと足を踏み入れる。

 墓を荒らし、姫を殺した者と同じ服を着ていた侵入者を、セオフィラスは殺した。


 だが聖騎士を殺し、次は聖女だとなったところで、やつは気づく。

 その聖女が、己の(あるじ)と同じ顔をしていることに。


『姫……!』


 ひと目見た時から、違うと気づいていたにも関わらず。

 セオフィラスは、その少女に救いを求めてしまった。


 (あるじ)を救えなかったという後悔を、やり直す為に。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 忠義と言う名の情なんだろうなぉ。 主→従→主と狂気が連鎖するの悪意が過ぎる。 というか、マジでアルの精神が異質なんだなぁ。
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