38◇竜の記憶と不完全な不死
エクトルと名付けられた竜は、自分の母を殺した聖騎士に引き取られた。
引き取られたとは言っても、エクトルの巣の近くに勝手に住み始めただけなのだが……。
竜がどれだけ敵意を剥き出しにしても、襲いかかっても、聖騎士は優しく笑ってそれを受け流し、『人を襲ってはいけないよ』と窘めた。
その忍耐力たるや凄まじく、三年ほどにも及んだ。
その男は必死に竜の生態を調べたらしく、母親代わりになって狩りの仕方であったり、竜の成長に合わせた巣の作り方であったりを身振り手振りで教えようとしてきた。
エクトルが竜固有の病に掛かれば、一生懸命看病し、どこからともなく薬も調達してくれた。
同時に彼は聖騎士としての仕事もこなしており、家を空けることもあったが、必ず竜のところへ戻ってきた。
そのしつこさは、まったく興味がなかった人間の言語を、いつしかエクトルが覚えてしまうほどだった。
それでもエクトルは、彼に素っ気ない態度をとり続けた。
殺される少し前から、母の様子がおかしくなっていたことも。
自分を見ても我が子と認識できなかったのか、襲いかかってきたことも。
とっくに理解していたけれど。
その聖騎士に心を許したら、母に申し訳ない気がして。
エクトルが彼に心を開いたのは、彼の仲間に殺されかけた時のこと。
どうやら竜は母竜と同じく殺される運命だったらしく、男がそれに反対し判断を保留にさせていたようなのだ。
しかし竜はいつまで経っても、人に懐かない。
ならばもう、人里に被害が出る前に討伐してしまおう、ということなのだった。
エクトルが人間に母を殺されたことを思えば、人間が復讐を危惧するのも頷ける話。
しかしその男は、エクトルを庇うように立ち塞がった。
仲間たちと敵対してまで、竜を守ろうとしたのだ。
そこでエクトルは気づいた。
竜は生物としてあまりに強い為に、周辺の動物には恐れられている。
母を除けばこの男だけが、自分を慮ってくれていたのだと。
同胞に敵対してまで竜の子を守るなど、並大抵の精神では出来ない。
エクトルは無抵抗を示すように、地に伏せた。
それを見た男はすぐに何かを理解したようで、竜を撫でて無害であると主張する。
他の聖騎士たちは呆気にとられていたが、エクトルが人を襲わないこと、その男の言うことはしっかりと聞くことなどが検証され、討伐はまたしても保留となった。
やがて、任務に連れて行って見てはどうかという提案がなされ、エクトルは男を背中に乗せて魔獣と戦うことになった。
そこから更に数年が経つと、エクトルはついに、街への出入りを許可されるに至った。
『忙しくて留守がちなんだが、ここが俺の育った家なんだ』
そこは教会で、孤児の面倒も見ているような施設。
庭だけは広かったので、エクトルはそこで寝起きすることになった。
最初は警戒していた子供たちも、竜に危険がないとわかると触ったりよじ登ったりと喧しい。
『俺の親もだいぶ前に死んだんだが、ここの人達が引き取ってくれてね。だから……「親が死んだから終わり」ってのは、なんだか嫌だったのかもな』
どうやら、そんな理屈で男は竜を見捨てられなかったらしい。
いつしか男は竜騎士と呼ばれるようになり。
エクトルは街中の者たちに慕われ、守護竜と呼ばれるようになった。
そして、そんな幸福な日々は終わりを告げる。
『エクトル! まずい、街中でゾンビが発生してる。それに感染速度が異常だ』
孤児院の庭で寝ていると、騎士の屯所に向かった筈の男が血相を変えて駆け寄ってくる。
ゾンビが発生……それがどうしたというのか。
ゾンビは討伐したことがある。
火を吹けば一発だ。
『だめだぞ、ここは街の中なんだから。それに、名も知らぬゾンビじゃない。ここで暮らす、俺たちが守るべき民が転化してしまったんだよ』
心を読んだかのように男が言う。
そう言われると、エクトルの中にも抵抗感が生まれた。
『とにかく、俺は動ける聖騎士を集めて人々の避難誘導と救助を手伝う。そこでお前には――俺の家を守って欲しいんだ』
竜は自分もついていこうとしたのだが、相棒にそう言われては断れない。
『頼むよエクトル。俺の家と家族を傷つけようとする者がいたら、それがどんな奴であっても、やっつけてくれ。お前になら俺の愛するものを任せられる』
エクトルは渋々ながら頷いた。
男は教会の大人たちに、出入り口を閉ざし、自分が戻ってくるまで戸を開かぬよう伝え、去っていった。
それから、どれくらいが経っただろう。
竜は約束通り、孤児院の中に入ろうとするゾンビを片端から時に潰し、爪で裂いた。
見知った顔もあったが、侵入を諦める様子はないので、約束通りやっつけた。
どれだけのゾンビを殺したか分からない。
ある時、男が帰ってくる。
待たせ過ぎだと文句の一つでも言いたかった竜だが、相棒の様子がおかしいことに気づく。
青白い顔、虚ろな目、噛み跡や出血の跡、覚束ない足取りに、空を掴むように揺れる両手。
それは間違いなくゾンビのものだった。
男はエクトルの前脚に噛み付く。鱗があるにも関わらず、構わず噛み付く。
その内、何かを思い出したかのように剣を抜き放ち、てこのようにしてエクトルの鱗を剥がしてまで、肉に噛み付いた。
その間、エクトルは動くことが出来なかった。
彼がゾンビになるということを、竜は想定できなかったのだ。
だが噛まれた痛みで、竜は咄嗟に動く。
約束を守らねばと。
そして反射的に前脚を振るい、弾かれた相棒は、叩きつけられた果実のように、遠くの家の壁の染みになってしまった。
一瞬の判断が、相棒をこの世から消してしまった。
タイミングがあと少しズレていたら、竜は十二形骸にならなかっただろう。
『とこしえの魔女』の呪いは、不死を幸福だと思い込ませる。
死への恐れや、大切な者との離別とは無縁でいられる世界は幸せだと、そういう思想を植え付けられるのだ。
だが、エクトルは転化するより先に、その大切な者を自らの手で殺めてしまった。
その後で永遠を手に入れても、虚しいだけだった。
エクトルは相棒に噛まれたことでゾンビと化し、相棒を殺したことで自我を保つこととなったのだ。
守護竜は男との約束だけは守らねばと、孤児院を守護し続けた。
建物の中にいた大人も子供も、とうに死んでいるだろう。
あるいはどこかのタイミングで、脱出を図ったのだろうか。
どちらにしろ、あの日以来、顔も見ていない。
中を覗くのが、怖かった。
長い長い時の中、もはや守ったところで何があるわけでもない約束を、律儀に護り続けてきた竜は。
中に宝があると勘違いした人間を、自分を討伐しようとした人間を、言われた通りにやっつける。
もう、自分に名前をつけてくれた人の、顔も名前も思い出せないのに。
彼に貰った自分の名前と、彼と交わした約束だけを、何度も反芻し。
いつまでも終わらない留守番をしている。
だがそれも、もう終わりのようだ。
何故なら、一人の聖騎士に討伐されてしまったのだから。
◇
「……どの……アル殿!」
「――――ッ」
夢から覚めるような感覚。
見れば、お姫さんが心配そうな顔で俺の肩を揺らしていた。
立ったまま、竜の夢を見ていたようだ。
夢の中で別人のように振る舞ってしまうことがあるように、まるで自分が竜であるかのような視点で記憶を見るという、奇妙な感覚だった。
「大丈夫ですか? もう何分も、返事がありませんでしたが……」
「あぁ、問題ないよ」
彼女がほっとしたような顔をする。
かなり心配をかけたようだ。
「それにしても……さすがはアル殿ですね」
「なんだ? 俺が負けると思ったのか?」
「いえ、ですが十二形骸救済は、少なくとも卒業後の予定だったので」
「あはは。一体だけだが、予定を大幅に前倒しできたな」
「はい。ですがアル殿、本当に大丈夫ですか? どこか不調は?」
まぁ何分か反応がなくなっていたら、不安にもなるか。
「よくわからんが、こいつの記憶を見せられた」
「記憶……『毒炎の守護竜』の、ということですか?」
「そうだ。こいつは……古い約束を守ってただけなんだ」
孤児院の者たちを守るという約束を、果たそうとしただけ。
そう聞くとクフェアちゃんやリナムちゃんが連想されるが、それだけではない。
――『ありがとう、アル。お前は、俺の愛する者を守ってくれた』
三百年前、義父を手に掛けた時に言われた言葉だ。
竜の生を疑似体験した俺は、竜の胸の内にこびりついて離れなかった罪悪感も知ってしまった。
竜の相棒は、絶対にこいつを恨んではいないだろう。
相棒が約束を守ってくれたのだから。
だが、竜はそうは思えなかったのだ。
せめて誰かが、言葉を掛けてやれればよかったのだが……。
「あ、あの、アル殿……。『毒炎の守護竜』に勝利したことは理解できるのですが……そうなると、これは一体どういうことなのでしょう」
「どういうってなん……だ」
途中で、彼女の言葉の意味を理解し、俺はハッとする。
竜の頭も、首から下も、残っているのだ。
完全に死んだのなら、三百年分の時の経過によって、骨が風化する筈だというのに。
だが、もはやこの竜から、命の気配は感じない。
だから、異変に気づくのに遅れてしまった。
俺が気づいたから、ではないだろうが。
首を失った骨格が、ずずずと動き出す。
「これは――」
「……くそ」
俺は咄嗟にお姫さんを肩に担ぎ、大剣を片手で握ったまま、その場から離れる。
何が起こるかわからん場所に、生者であるお姫さんを置いておけない。
「あ、アル殿、あれは一体……」
「知らん! だが、あの体を動かしてるのは竜の意識じゃない。あれはさっき、確かに俺が殺した」
それだけは間違いない。
「ですが――あの体は今、動いています」
後ろでガンガン破壊音がするのだが、手当り次第に周囲を攻撃しているのだろうか。
形骸種になって眼球が腐り落ちても、目のあった箇所から周囲を観測するのは変わらない。
首がなくなったので、視界も失われてしまったのか?
というか何故、首を断ち切られ、確かに死んだ後で、また動き出したのだろう。
「……不死への適応か?」
「……アル殿?」
「俺は昔、黒幕は不死を目指してると思ったんだ。ゾンビ化の呪いを使って実験しているんだと」
「我々も同じ考えです。当家に残された資料にも、そのような記述が……」
「そう考えると、首が落ちたら死ぬってのは不完全だよな」
「それは、確かに……ですが、その問題を解決することは、魔女にも出来なかった筈です」
「そこまで込みの実験だったんじゃないのか」
「――――」
お姫さんが言葉を失う。
「不完全な不死の呪いから、完全な不死者が生み出されることを期待して、世界を巻き込んだ実験をしたんじゃないのか」
「で、では、あの竜は……完全な不死者に成ったと?」
「いや、俺はあれも不完全だと思ってる。言ったろ、竜の意識はもうないって」
「……つまり、骨の体だけが不死になっている?」
「あぁ。肉の鎧も魂も消えた後で、抜け殻だけが終わらずに動いている。不死って言えば、そうなのかもな」
本当にふざけた魔女だ。
生を愚弄しただけではなく、死をも嘲弄するというのだから。
竜からある程度離れた地点で俺は立ち止まり、彼女を下ろす。
そして地面に片膝をついた。
「……アストランティア様」
他人の手前、丁寧に話すのとは違う。
本気で彼女への敬いを乗せ、名を呼ぶ。
「……なんでしょう、我が騎士アルベール」
「力をお貸し頂きたい」
彼女からの返答には、間があった。
「……よいのですか?」
俺は彼女と契約を交わす際に、戦いを邪魔しないでほしいと言った。
そして彼女は、俺の方から望まない限りは魔法を自分の為だけに使うと答えた。
「俺とあいつの決着はもうついた。だが、こっから先は剣だけじゃなんともならん。君の祈りを借りるより他に、あいつを解放してやる方法はないんだ」
まったく情けないことだが、斬っても死なない相手では仕方がない。
あんな夢を見せられたとあっては、放置も出来んし。
「……素晴らしい」
「あ?」
お姫さんを見ると、彼女は慈愛に満ちた表情を浮かべている。
「貴方は己を単爪無頼の者と捉えているようでしたが、それは違います。死した竜の名誉が為、己の矜持を曲げてでも他者に助力を請うことができる。その深き慈愛――このアストランティア、感服いたしました」
彼女が両手を組み合わせ、頷くように頭を傾け、目を瞑った。
それは一瞬のことだったが、一生忘れないだろうと確信するくらいに、美しかった。
「貴方は誇り高き剣聖。わたしの自慢の聖騎士です」
心からの尊敬を滲ませ、彼女が満面の笑みを浮かべる。
その瞬間、理解した。
肉の体を失ってなお、胸を満たすこの温かい気持ちに、気づいてしまう。
俺はとっくに、この少女のことを――。
「……それは、三年後に寝室に誘ってもいいってことかい?」
彼女は思いっきり顰めっ面を見せたあとで、呆れるようにくすりと笑う。
「呪いますよ?」
「もう呪われてるよ。だから――これからは祈ってくれ」
「えぇ。あの竜を救う為、そして――わたしの聖騎士の為に祈ります」
紫色を帯びた骨の大剣を握り、俺は立ち上がる。
聖騎士として……いや。
彼女と共に戦う――聖者として。




