失われた真実
どのくらい、そうしていただろうか。先代領主グエンに手酷くあしらわれた挙げ句、私は何も言い返せなかった。
とにかく部屋へと戻ろうと踵を返す。すると、視線の先にラベルが立っていた。いつからいたのだろうか?
私はギクリとし、足を止める。
ラベルは何故か、泣き笑いのような顔をしていた。
「僕は死んだ父にそっくりなんだそうです。両親を失った、あの日、僕もまた、記憶の一分が欠如し、正常に戻るまで数ヶ月間かかった。そうして元に戻った時にはもう、シーリアお祖母様は僕を見る度に怯えるようになって‥」
シーリアはグエンが再婚した二番目の妻の名であり、レキの母親でもある。
「僕は小さかったし、最初のうちは何故か分からなかった。それまでも特別親しくしていた訳ではなかったけれど、最初の孫である、僕のことをそれなりに大切に扱ってくれていたから。突然、近寄ることさえ拒まれるようになって、ただ悲しかった」
祖父は領主としての職務に忙殺されていたし、セト叔父は兄夫婦を亡くしたショックで臥せっていた。レキ叔父は学舎で学んでいて不在。唯一、屋敷にいた義理の祖母からも手酷い拒絶を受けた。
「あの頃、僕は寂しくて悲しくて、泣いてばかりいました。しばらくして、セト叔父上とこの別邸で暮らすようにお祖父様から言い渡され、以来、領都を訪れることもなく、何年かが平穏に過ぎた。叔父上と二人、世間から忘れ去られたように暮らすうちに、お祖父様が引退してレキ叔父上が新しい領主につくこととなって、そのお披露目の席に僕達も呼ばれたんです。けれど、それが間違いだったー」
当時を思い出したのか、苦悩するように表情を歪める。
「僕は領主の地位に興味なんてなかった。亡くなった父の代わりに叔父上が新領主となることを心から祝いたかったし、それで僕は領主館を数年振りに訪れた。式典は午後からで僕は幼い頃住んでいた屋敷が懐かしくて、一人で屋敷の裏庭を歩いていたらお祖母様と偶然出会ってしまった」
一人息子のお祝いに手ずから花を摘みたいと彼女は一人だった。僕は数年振りに会う祖母が懐かしくて、歩み寄った。すると、祖母はさっきみたいに絶叫し、闇雲に走り出した。
「許して、お願い許してと大声を上げて叫びながら。そのうち騒ぎを聞き付けた祖父と叔父が屋敷から慌てて出て来て、祖母を捕まえようと後を追って行きました。けれど、僕は動けなかった」
祖母が何に対して謝っているのかが、頭から離れなかった。
許してとは誰に対して言っているのか、深く考えるまでもなかった。それは明白だった。
亡くなった父、僕にそっくりだという、本来今日この日、新領主として立つはずだった父に対して祖母は詫びていたのだろう。
「屋敷の裏庭から祖母は飛び出していったそうです。表は式典に出席する来賓が馬車で乗り付けて来ており、祖母は制止も聞かず、騎獣の前を横切りー‥」
騎獣の蹄で頭をひどく強打したらしい。三日三晩生死の境をさ迷い、目覚めた時には全てを忘れていた。これまで生きてきた記憶も自分自身のことさえもー。
「そして今なお、自分のことさえ分からないまま、夢の中を生きている。もちろん、祖父のこともたった一人の息子のことも忘れ果てて。僕がレキ叔父上に疎まれているのは、こうした訳があるからです」
ずっと知りたいと思っていたんでしょう?そう言ってラベルが真っ直ぐに見つめる。
「お祖母様は全てを失くしまった。記憶も感情も。普段は人形のように静かなのに、僕を、僕だけを見た時にああして狂ったようになってしまうんです」
だから、僕は東領を捨てるしかなかった。
「でも、あんな風に己を失ってしまった人間は犯した罪さえもなかったことになってしまうんでしょうか?僕の父と母が死んでしまったのに、誰もそれを責めようとはしない」
祖母が記憶の全てを失くしたことでラベルの両親の死の真相もまた失われてしまった。疑わしいのに誰もそれを追及しようとしない。祖父はもちろん、叔父達も固く口を閉ざしたままだ。
「僕はそれがどうしても許せなかった」
悲しみと憎しみ、そして、行き場のない怒りがラベルに東領を捨てさせたのだ。
事故に見せかけて長男を殺したのが、自分の妻かも知れないという疑いを持ったまま、グエンは妻とともに世を捨てた。レキは実母が兄を殺したかも知れないと疑いながら、真相に近付こうとする全てから遠ざかった。ラベルをいない者としたのもそのせいだ。
そして、ラベルだけが取り残された。両親の死は大人達によって闇へと葬られ、ただ悲しみに暮れる小さな子供が一人きり。
私は胸が締め付けられるかのように痛みだした。
キリキリキリキリと。
考えるより先に体が動いた。私はラベルの元へと歩み寄り、その首に両手を巻き付け、自分へと引き寄せた。
私より大きくて強い獣人族の男性であると言うのに、まるで小さな子供のように震えている。
守ってあげなければと、ただそれだけを思う。
ラベルは震えながら声には出さず、静かに泣いていた。私の胸元がラベルの涙で湿る。
愛しいものであるかのように、ラベルの焦げ茶色の頭を私は胸へと強く抱き抱えた。
周りは過去として扱っているが、ラベルのなかでは何も終わってなどいないのだ。
そして、私もまたそう思っていた。先程見た、得体の知れない影を追いかけることで、ラベルの知りたかった真実へと近付くと信じて疑わなかった。
きっと、私が終わらせてみせる!