~生と死~
「……失礼します」
背を向けて部屋から出て行った若者は、反省どころか謹慎処分を受けたことさえ納得していない様子だった。
「全く、熱心なのは良いことですが行き過ぎるのも困りものですな。犯人を重傷まで追い込むなどとは……」
先程まで若者を叱責していた管理官が横で溜息を吐く。私は何とも言えず、若者のプロフィール資料に再び目を通した。
秋山竜一 25歳 刑事第一課所属 階級巡査長
つらつらとプロフィールを眺めるが、彼の犯人に対する執念の理由は分からない。
彼は関わる事件の犯人に対して、異常と思える程の憎悪を向ける。犯人に怪我をさせるのは日常茶飯事、今回は逃走するコンビニ強盗を捕まえ殴る蹴るの大暴れ。これまでにも何度となく呼び出されていた彼は、とうとう謹慎処分となった。
「署長、このままでは日本の警察の在り方にも関わります。次回は自主退職を促してはいかがでしょうか」
「彼に問題があるのは確かだが、犯人に強硬な姿勢は一部の市民から支持を得ているのだよ。多くの事件を扱う警察は一つ一つの事件に関して事務的になりがちだ。だが彼は決して犯人を許さない。被害者や遺族はそういった警察官に好感を持つのだ。簡単には判断できん問題だよ」
私は管理官と同じように大きな溜息を吐き、椅子に座ったまま天井を仰いだ。
署長室から出て一課のデスクに戻る。今回は少しやり過ぎたが、2週間の謹慎っていうのはちょっと厳しくないだろうか。デスクを片付け課長に報告し、謹慎期間中の仕事について打ち合わせをしておく。課長は頭と胃が痛いようだったが、正直あのチンピラにかけてやる情けは欠片も無い。事前の準備を終えてロッカーへ向かう途中、噂好きの同僚が話しかけてきた。
「よう秋山、今回は謹慎だって? 派手にやったらしいじゃねぇか」
「話が広がるの早いな、2週間だとよ。人質取ってた奴に何しても構わんと思うんだがな」
思った通りのことを言っただけだが、目の前の同僚は俺の発言に驚きを隠せていない。
「だからって腕と脚を折るってどうなんだよ。そういやなんかあのチンピラ、ここらへんのギャングチームに入ってたらしくて、仲間がお前のこと狙ってるらしいぜ。謹慎中は署に詰めれないから十分に気を付けろよ」
「ああ、分かったよ」
同僚の忠告を話半分で聞き、支度を済ませて自宅に帰る。今時お礼参りとは面倒な奴らだ、そもそも犯罪に手を出してる時点で何をされても文句は言えない癖に。
ああいう身勝手な犯人に関わるといつも思い出す。俺が警察官を目指した理由。何もできなかった高校生の頃に目の前で殺された幼馴染。血に塗れたナイフを持ち、ぼろ布をコートの様に纏った銀髪の女。日本人には見えなかったが、どこの国だと聞かれても分からない。あの女は未だに逮捕されておらず、その特異性で話題になった事件も今はすっかり風化している。
「絶対に見つけ出す……」
地を這う様な低い声がいつの間にか漏れ出ていた。アイツの命を奪い、何処かへといなくなったあの女を殺す。それが警察官を目指した理由だった。あの女を殺せば俺も犯罪者になる。それでも捕まえるなんて甘い事で済ませる気はさらさら無かった。捕まるか殺されるかするだろうか、だがそれでもいい。ずっと一緒に居られるかもと、漠然と思っていた相手は何の前触れもなくいなくなった。いなくなって十年近く経った今でも、アイツを忘れるなんて出来ない。あの女を殺せばアイツとの繋がりは完全に途切れる。だからもう、殺した後のことなんてどうでもいいんだ。
近所のスーパーで惣菜とビールを買い、特に予定もないのでダラダラと過ごす。そんな日々を三日続けた頃だった。自宅への帰り道、どこから湧いてきたのか見るからにチンピラな輩共に囲まれる。ご丁寧に鉄パイプやらナイフやらやる気満々といった感じだ。
「随分と手厚い歓迎だな、あのチンピラの知り合いか?」
「お前がムショに送ったのは俺の弟だ。間抜けな奴だったが、あそこまでやられちゃあチームの面子が立たねえ。ここで死んでもらうぜ」
そんなことだろうと思ったが、正直なところヤバい状況だ。パッと見ただけで10人、その奥からも人影が見える。正面からの攻撃はある程度捌ける。だが、
「……ぐぁっ!!」
後ろから次々と殴り掛かられると流石に防ぎきれない。後頭部に大きな衝撃を感じ視界が歪む、受け身を取ることもできずうつ伏せに倒れ込む。
「ざまぁねぇな! 死にやがれ!!」
頭がはっきりしない、上からの雄叫びにも反応できない。そして背中に激痛が走る。刺されたのかと理解できる頃には傷口が焼ける様に熱く、体は氷の様に冷たく動かない。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえる。誰かが目撃して通報したのだろか。その音もだんだん聞こえなくなっていく。視界が黒く塗りつぶされていく。
(あっけねぇ……こんなもんか……)
何も考えられない。何も見えない。何も聞こえない。
下り坂が見える。螺旋階段の様に長く長く続く下り坂。その中心を光の柱が貫いている。行かなければいけない。気が付くと、立ち止まっている自分を追い越す影がいる。それもぞろぞろと。人に見えるが、それは黒い霧が集まって形を成していて、自分の体も黒い霧に包まれ思うように動けない。皆ゆっくりと下へ向かって進んでいる。自分も行かなければ。
でも
やりたかったことがあった。
諦めきれないことがあった。
このまま行っていいのか?
意識がはっきりしてくる。体を覆う霧が晴れ、手足も動かすことができる。振り返ると、上り坂の先に小さな光が見える。その光は小さく、下り坂の先とは比べものにならない程おぼろげな光だったが、何故かその光に惹かれた。歩を進め、光へ手を伸ばす。次の瞬間、視界は白く染まり、俺の意識は途切れた。




