57 最終回
五月の際週末、喧嘩してしまった原因の喫茶店に来て、嵐山さんが食べていたパフェより大きい品を香奈さんにおごる。四人席ではなく二人席に座り、向かい合う形。
二人とも私服姿で、中学校の時の話や進路について、これからの学校行事など話題は尽きず、会話が弾んだ。
珈琲の香りが軽く感じるほどラフな空気が流れ、これぞ友達同士といった雰囲気。
でも、友達で終わらせるのは嫌だった。中学生のころは思えなかった感情で、どうにも止まれそうにない。
僕は携帯電話の電子決済でスマートに支払う。ポイントがたまってお得らしい。小銭が出ず、完璧に支払えるのは便利だ。ちょっとはスマートな大人っぽくなっていただろうか。
「ご馳走様です」
「どういたしまして。さっきの僕、ちょっとは大人っぽかったでしょ」
「そういうと、頑張って背伸びしている感が強いよね」
「あはは、そうだよね」
僕たちは喫茶店の裏手にある松島中央公園に歩く。ここは強く印象に残っていた。香奈さんに頬を思いっきり叩かれたところだ。もう、部活で何回も投げられた時の何万倍も痛かった。今でも、思い出すと頬がヒリヒリする気がする。
「な、なんで、わざわざここに来たの……」
香奈さんも印象深い場所のようで、辺りに子供たちがわちゃわちゃと遊んでいる姿を見ながら苦笑い。
「香奈さんに言いたいことがあったからさ……」
よく晴れた空の下、周りにちらほら人がいる。でも距離が離れているし、他人の会話はほとんど耳に入ってこないだろう。
それに、心の中でどんどん大きくなっていく気持ちを早く伝えたかった。もう、中学生のころの僕とは違う。
香奈さんと面と向かう。彼女は何かを察したのか、黒目が一瞬小さくなり、その後少しずつ大きくなる。それと同時、頬や耳に赤みが増した。
「僕は香奈さんが好きです」
長々としゃべらず、一言伝えたいことだけを言葉にした。数秒の間が空く。平然と立っているが、心臓がバクバクでものすごく息苦しい。
何を言われるかわからないけれど、今なら何を言われても言い返せる自信がある。
香奈さんは言葉を絞りだすように呟いた。
「……す、好きだから、なに?」
彼女はぎゅーっと目をつむり、トートバッグの持ち手を握りしめる。
最初に告白したときも、そう聞かれた。ずっとどう答えたらいいのかわからなかったけれど、もう迷わない。
「僕と付き合ってください」
強めの風が吹いた。彼女が纏っているワンピースの裾が揺れ、少し伸びた髪先が靡く。
さっきよりもずっと長い間が空く。いや、僕の時間の感覚がくるっているだけで、数秒しか開いていないかもしれない。
言葉を言う前に、香奈さんは口を押え、鼻水をすする。咳き込むように軽く笑いだして、目じりをぬぐった。大きく深呼吸すると、そっと瞼を上げる。うるんだ瞳、でも口元は柔らかく笑っている。
「よろしくお願いしますっ!」
小さく会釈し、今から試合でもするのかと疑うほど勢いのある返事をくれた。きっと、これからもたくさん勝負して、勝って負けてを繰り返すのだろう。
なら、これは一種の試合と言っても過言じゃない。
勝負の結果より、どれだけ勝負したのかが大切な試合は見たことも聞いたこともない。勝敗が付かない試合も知らない。
僕は試合が始まったというのに、もう肩の力が抜けた。でもこれはまだ始まりに過ぎなくて、これから長い長い試合が続いていくのだと思う。終わりが見えないからすごく怖い。何が起こるかわからない。なのに、彼女との試合が楽しみなのはどうしてだろうか。
一歩、二歩、三歩と前に踏み出して、近づいていく。試合の合図だけで感極まって泣く選手はいないのに、彼女は両手で顔を覆った。
それは、この試合の終わりの合図の時に見せるものではないのだろうか。ちょっと先を見すぎかもしれない。
僕は生まれて初めてできた彼女をそっと抱きしめる。背中をさすって、トントンしてあげて、落ち着かせた。
首に腕を回されると、唇がそっと触れ合った。彼女はキス魔なのかもしれない……。また、香奈さんの新しい一面が見られた。すごくラッキーだ。
周りに人がいる状況を完全に忘れていたのか、数十秒キスした後に目を丸くしながら離れる。
子供たちの母親たちがキャーキャー言いながら話の肴にしているようだった。
気恥ずかしくなった僕たちは、手を握り合い、広いグラウンドから喫茶店方向に走って逃げる。
なぜか、その状況がおかしくって、僕たちは二人して笑った。
そのあとは、特に変わらずバスの後部座席に乗って揺られながら敦賀の中をウロチョロと遊びまわった。
「六月になったら、また席替えがあるよね。優くんの隣の席になれるかな」
「香奈さんが一五分の一の確率を引き当てればなれるかも。まあ、僕もそうだけど」
「今度はちゃんと話しかけてよ。また、ほかの女の子としかしゃべらないとか、いやだからね」
「わ、わかっているよ」
「むぅー、そういって、ほかの女の子が困っていたら助けちゃうんでしょ」
「そこは、僕のポリシーだから曲げられないかな」
「優くんは私の男だってちゃんと唾つけとかないと……」
香奈さんは犬見たく、舌をちろちろと出して、笑う。お茶目で可愛らしい。だが、リアルでやろうとする強引さは見直してもらいたいところだ。
六月に入り、最初の月曜日。僕は軽い足取りでペダルをこぐ。ところどころ庭に植えられたアジサイが綺麗に咲く季節だ。
日に日に気温が暑くなるけれど、自転車をこいでいるとひんやりとした朝の空気が頬を撫でていき、気持ちがいい。
自転車小屋に到着。すると屋根の下に美人さんが立っていた。耳にイヤホンを付けながら音楽を聴いている姿は、コマーシャルのワンシーンのよう。なんていう女優かと思ったら、香奈さんだった。最初からわかっていたけれど、やっぱり可愛い。特に、笑った顔が最高だ。
「おはよう、優くん」
「うん、おはよう、香奈さん」
自転車を定位置に止め、二重ロックをかける。
「わざわざ、待ってくれていなくてもよかったのに」
「ちょ、ちょっとだけでも、優くんと一緒に通学する雰囲気を味わいたいなーと思って」
なんで、そんなに可愛いことが言えるんだろう。体温が一瞬で二、三度上がってしまった気がする。
高校の敷地内に入っているから、もう登校じゃないかもしれないけれど、生徒玄関までのアスファルトで舗装された道を香奈さんと一緒に歩く。
会話はない。でも、特に気にならなかった。
中学生のころ、ずっと後ろから姿を見ていた香奈さんが、今は隣にいる。
前は三年間見ることしかできなかったけれど、今度の三年間はもっと彼女との思い出を作ろう。
そう思うと、踏み出す一歩にいつも以上に力が入る。笑顔が絶えない彼女の横顔を見ながら、僕は少しずつ生徒玄関に近づいていく。




