第025号室 闘技場 指揮触
ダゴンの長兄、指揮触にとっては、壁の一画が崩れた時点で遊びは終わりを告げており、残りは退屈で事務的な後片付けでしかなかった。
逃げ出した団地の住民達に闘技場の高台から毒礫を撃ち込み終わると、一匹冷めやらぬ闘争の雄叫びを上げるドラゴンを冷ややかに見降ろす。
「毒なんて卑怯だぞ!」「ちゃんと戦え!!」
デスマニア妖精からのブーイングを鬱陶し気に触手で払う。それを見た愚鈍な破壊触と軽薄な分裂触、そして粗暴な戦闘触は、その仕草を攻撃指令と都合よく解釈してドラゴンへ飛び掛かった。
頭上からの初撃を躱したドラゴンの眼前に破壊触が着地、人の掌のような触手を広げて飛び掛かり、ドラゴンの口を塞ぐと擂鉢状の板歯で鼻と鱗を刮ぎ落としたが、コンテナへ擦り付けられて半分の触手を捥がれ、拘束が緩んだところを反対に噛みつかれると、前足の竜爪で口から胴元に掛けて切り裂かれ沈黙した。
無数で一体の分裂触が縦に裂け、ドラゴンの爪を掻い潜って纏わりつく。鉤状の隙歯をガチャガチャ鳴らし鱗と鱗の隙間に差し込むと一枚ずつ荒々しく引き剥がし、ドラゴンの全身に赤鉄色の鱗とピンクの肉で斑模様を刻んだが、決定打を持たないことが看破されると、ドラゴンが辺りに立ち込めるように毒腺から竜酒を散布し時間差で着火、ドラゴン自らを包み込むような爆発に対し、胴の細い分裂触は、拘束を解き寄り集まって防御したが大部分を焼失し、継戦能力を失った。
指揮触の静止を無視して戦闘触が飛び掛かり、ドラゴンの尾の根元に牙を立てる。音速の薙ぎ払いも尻尾の根元を押さえられれば威力も半減し、戦闘触の上下に細動する口顎により噛み千切られたが、身体から分断されてもなお、怒り暴れ狂う竜尾の脈動が、得意げに向き直る戦闘触の死角を薙いで昏倒させた。
湧き立つ妖精の首を捻り落とし、一対一ではこうも弱いのかと愚弟達に天を仰いで落胆を隠さない指揮触、恐怖に煽られまともに擬態も出来ず、触手とコンテナが分子単位で結合したような見た目になってしまっている擬態触と、その後ろに隠れた工作触を顎でうながしダム湖に逃す。自走能力を持たない置いて行かれた補助触を見て連れて行ってやれよとまた天を仰ぐ。
連携して闘えば楽に片付けられたはずだった。サシでやり合うのなら骨が折れそうだと指揮触は思った。
外壁から飛び降り、ふわりと音も無く着地すると味見を終えて、捕食されつつあった戦闘触をドラゴンの口から奪い取り、ダム湖へ乱暴に投げ込む。触手の外套を広げ末端を揺らめかせ注意を引いて瀕死の破壊触から遠ざけつつ後ずさり、補助触を拾い上げ、せっかく残ったのだから手伝って貰おうと、取り込み身体を一回り膨らませる。単体としては何ら機能を持たない補助触であったが他の触手と交わることで、その力を大きく拡張する事が出来た。
後ろ足で立ち上がったドラゴンが大鎌のような爪を備えた前脚を振り下ろす。高い位置から重力を乗せて加速、指揮触の脳天目掛けて迫り来る。外套のように巻き付いた触手をひるがえし、ドラゴンの指先に絡めると煙のように身体を燻らせすり抜ける。触手が絡まり固定されたドラゴンの指は勢いそのままに地面を打ち付け、衝撃を吸収できずに干木の弾ける音を響かせ潰れて拉げた。
砕けた指の痛みを糧に怒りに任せてもう片方の前脚で薙ぎ払う。風のままにそよぐ柳のように指揮触の身体がぐにゃり、竜爪を躱しすり抜けざまに指へ触手を一本引っ掛けると、渾身の力で振り抜かれた前脚の指に絡められた触手の張力で関節があらぬ方向へ反り返った。
失われていることを忘れ、ドラゴンが背を向け噛み千切られた尾を振る仕草を見せる。指揮触が致命的な隙を逃すわけもなく、毒を塗布し錆び付いたナイフを傷口に突き立て勝利を確信する。
毒の周りを待つべく大きく間合いを取った指揮触の隙に合わせ、ドラゴンの火球が一面を焼き払う。粘液を全身から吹き出し空気と瞬間的に混合し極細小の泡を作り出して纏い、猛火を遮断、触手の外套を風車のように振り回して泡を振り撒き地表の残り火を消化して、気持ち身体が小さくなる。
毒の量が足りないか、回りが遅いだけか、即効性の猛毒が通用していないことに一瞬体色が変化し動揺を表した。外套の裏に隠したナイフを更に投擲、ドラゴンの口に撃ち込み唾液に絡め捕られ、瞳に撃ち込み瞬膜に阻まれ、傷口に撃ち込むも効果が表れない。
小細工を諦め、火球を撃たせないよう密着し格闘戦に切り替える。流水の如く波打つ触手を束ね肉槌を固めると、ドラゴンの側頭部へ人外の発勁、大砲と同等の威力をもってしても、堅牢な鱗と弾性に富んだ肉と海綿質の頭蓋を抜くこと叶わず脳は揺らせない。カウンターの前腕をいなし切れずに地面に叩きつけられ、回転しクッションのように柔らかく衝撃を逃す。
吸盤を地面に貼り付け引き伸ばし、張力を蓄えると身体を礫にスリングショット、迎え撃つ大顎を触手一本犠牲にしてバレルロール、肩口へ打ち噛ましドラゴンの上体を起こすと、比較的鱗の薄い腹部へ潜り込み発勁を連続で打ち込む。波打ちはためき、加速を続ける触手の連打、反撃を許さない全く途切れの無い連携は、相手が倒れるまで続く単発の拳打となって衝撃を蓄積し、ドラゴンの肉を掻き分け柔らかい内臓を激しく揺さぶって身体を仰け反らせるとそのまま押し倒した。
動かなくなったドラゴンに残心を向けつつ固めた触手を解き破壊触へ歩み寄ると、自身から補助触を分離し傷口に押し当て同化させて傷を塞ぐ。引き起こし抱え上げようとしたところで背後から影が差し、動きを止めて臨戦態勢へ再び移行する。
指揮触は背中を向けたままカウンターを狙う。瀕死のドラゴンの息遣いに紛れて水の流れる音が響く。尾から流れる流血にしては大きく聞こえる。次第に大きく近づく水の音に第三者の介入を警戒し先手を打つべく、体組織を変化、移動させ無挙動で身体の前面と背面を入れ替えた。
予想よりも遥かに近く、必殺の間合いにいたドラゴンに怯む。迎え撃つべく触手を固めたところでドラゴンの意識が、別の方向へ注がれていることに気付き訝しみ、その意識を辿り相手を認めて驚愕する。
『待ってくれ!もう、片付ける!!』
光信号による問い掛けは黙殺され、ダム湖の水面がゆっくりと半球状に持ち上がり始める。港に対して見下ろすように水底から現れた丘陵は、そのなだらか斜面に沿って大量の水を押し流し、流れた水はダム湖に戻り巨大な波紋を創りだした。港の岸壁にぶつかり砕けた大波の一部が荷下ろし場に溢れ細波を立て、コンテナと異形の残骸の隙間を縫って、荷下ろし場に染みついた魚の腐臭醸すオイルとそこら中に撒き散らされた鮮血を押し流していく。
指揮触より高く、ドラゴンより高く、闘技場の外壁よりも高く盛り上がった水面は、日差しを遮り港一面に影を落とす。ダム湖の端から端まで届くような大波を創り出すほどの体積を持つダゴンの頭首、支配触はいまだその半身を湖に沈めながらも小山ほどの体躯を水面に現し、太陽を受け止めるかのように球形の胴を平たく広げていく。
呼吸も忘れ、息を呑み、指揮触とドラゴンは日を隠す円盤を凝視する事しかできない。
小さな木漏れ日のような光を受けて指揮触が我に返り全身を防御色に点滅させる。パラボナ状に形を成した円盤の上で鏡の欠片を持った生存触が申し訳なさそうに、ヨイヨイっと小躍りして避難を促す。
生存触に売られたことを悟り、弾き飛ばされたように走り出す指揮触、いまだ動かない分裂触を乱暴に拾い上げ全ての触手を駆使し最短距離で岸壁からダム湖へ飛び込む。
円盤の中心から螺子開けるように、官能的な瞼が開かれ、濡れた瞳が光を収束する。太陽を飲み込むように円盤が球形を取り戻し、小さく重く光を圧縮すべく暗黒惑星へと変貌する。
恐怖でその巨体を固められたドラゴンは筋肉が断裂するほどの力でモルタルの地面を掴み爪を折る。決定された死の運命に抗うべく、毒嚢に残存する全ての竜酒を吐き出し、創られた暗黒に火を灯す。
荒唐無稽な既知外の法則が生み出す真昼の太陽さえ闇夜の星と代わらぬほどに貶めた、支配触の瞳が放つ星喰う怪星の前では、ドラゴン渾身の火球など着け損じたマッチとかわらず、光速の下に飲み込まれ灰燼に帰すと、熱で蒸発し半球状に体積を減らしたモルタルの地面に、小さな影を残し生涯の結末とした。




