(2)
呼び鈴を鳴らして扉を開けると、猫はするりと扉の隙間から入り「只今」と一声鳴いた。
そうすると、奥の部屋から「はーい」という男女の違いが俄かには分からないであろう間延びした調子の返事があり、御勝手からひらひらした前掛を外しながら出てきたのは少女か少年か。すらりとした背を持ち男には髪が長く女にしては髪が短い。
「タマちゃんお帰りなさい。又タマは器量佳い殿方を連れて帰ってきたのね。この方は?」
「あ、あの、本日からこちらでお世話になります桜木と申します。貴方様は……?」
「こちらは君の兄弟子……姉弟子なのか?にあたる書生の秋野さ。タマと呼ばれているのはお聞きの通りだ」
「宜しくお願いします、秋野さん」
「アキでいいわよ、サクラ。よろしくね」
秋野は中性的で綺麗な顔をほころばせて笑った。
「アキは不思議なやつでな。身体は男なのだが心は女なのだ。わかるだろう?」
「ええ、男と云えば男ですし女と云えば女ですよね。初めてサクラと呼ばれたもので吃驚しました。」
「随分苦労したようだよ。きっとアキさん、と呼ぶとやつは喜ぶだろう。さて、この部屋だ」
話しつつ階段を上がり、立ち止った猫のかわりに扉を開けるとそこは綺麗な洋室であった。
「猫さん猫さん」
「なんだね」
「ここ実家の総ての部屋を足したより広いかも知れないのですが」
唖然とする桜木。それを見て猫はもっと狭い部屋はないよ、と云い軽く笑った。
「さて、荷物を置いてアキを手伝うんだな。我が家の夕食は六時からと決まっているのだ」
今日はなんだろうなとにこにこする猫。それを尻目に浮かない顔をする桜木。
「料理はあまり得意ではないのですが……」
「アキの料理は絶品だぞ。習うと良い」
「そうします。さて、御勝手はどこでしたっけ?」
寝具の上に荷物を置き、一人と一匹は階下へ降りて行った。
「あらサクラ。お手伝いしてくれるの?」
御勝手について桜木を見つけると秋野はにこやかに出迎えた。
「ええ、ただ私は料理があまり上手ではなくて。ご教授いただけませんか?」
「ええ、勿論よ!今日のお献立はドリアと野菜スープよ」
「ど、どりあって何でしょう。すうぷは西洋の味噌汁のようなものと聞いたことはありますが、どりあは寡聞にして存じません」
「ドリアは仏蘭西のお料理よ。お米を牛乳で煮て、チーズをのせてオーヴンでこんがりと焼き上げるの。美味しいわよ?」
想像もつかない料理でありながら、あまりに秋野が丁寧にそれがどんなに美味しく素晴らしいものであるかを力説するので、桜木はそれがとても食べたくなってしまった。ふと足元を見ると猫が目を細めてじゅるり、と舌舐めずりをしている。桜木はほほえましく思いながら、
「猫さん、よだれよだれ」
と声をかけるとふやけていた顔がきりっと引き締まり失敬、早速作ろうではないかなどというもので桜木と秋野は顔を見合わせて噴き出した。
「さて、じゃあ先ずは薪割りをしましょう。それから料理。腕ふるっちゃうわ」
「はい!ああ、楽しみです……」