第1話 婚約破棄と濡れ衣
「エリシア・フォルネーゼ。お前との婚約を、今この場で破棄する」
夜会場に響いた婚約者レオンの声に、ざわりと周囲が揺れた。
私はただ、彼を見つめる。
「……どういうことでしょうか」
「まだ白を切るつもりか」
レオンの隣では、腹違いの妹リリアが震えていた。
涙を浮かべ、小さく肩を縮めている。
「お姉様……どうして、あんなことを……」
周囲の視線が一斉に私へ向いた。
嫌な予感がした。
「公爵夫人の宝石を盗んだ罪だ」
レオンは冷たい声で言い放つ。
「証拠はお前の部屋から出ている」
「……盗んでなどいません」
「ではなぜ、お前の部屋から見つかった?」
息が詰まる。
そんなもの、知らない。
でも私の部屋に自由に入れる人間は限られている。
私は思わずリリアを見た。
リリアはびくりと肩を震わせ、レオンの腕に縋る。
「怖い……お姉様が睨んで……」
「リリアを脅すな!」
レオンが怒鳴った。
違う。
私は何もしていない。
けれど誰も私を信じない。
「お父様……」
助けを求めて父を見る。
けれど父は、私と視線を合わせようとしなかった。
「エリシア。フォルネーゼ家の名を汚した以上、もうお前を置いておくことはできん」
「そんな……」
「今夜限りで家を出ていけ」
頭が真っ白になる。
私はこの家のために働いてきた。
帳簿整理。
使用人管理。
領地の収支確認。
病弱な母に代わって、ずっと。
「私は……家のために」
「恩着せがましい!」
レオンが吐き捨てる。
「リリアはいつも怯えていた。お前が家の中で威張り散らしていたと」
そんなこと、していない。
私はただ、必要だったから働いていただけだ。
でももう、誰も聞いてくれない。
私はゆっくり息を吸った。
泣いてはいけない。
ここで泣けば、本当に惨めになる。
「……承知いたしました」
深く頭を下げる。
それがフォルネーゼ家の娘として最後の礼だった。
屋敷を出る頃には、雨が降り始めていた。
馬車はない。
外套もない。
財布すら持たされなかった。
石畳を歩きながら、ようやく理解する。
私は捨てられたのだ。
家のために尽くしてきた。
婚約者のために努力してきた。
でも誰も、私を見ていなかった。
「……寒い」
視界がぼやける。
その時、一台の黒い馬車が目の前で止まった。
扉が開く。
現れたのは、銀の髪を持つ長身の男だった。
冷たいほど整った美貌。
深い青の瞳。
“氷の公爵”と恐れられる男。
アレクシス・ヴァンフォード公爵。
彼は雨に濡れた私を見下ろし、静かに眉を寄せた。
「ひどい顔だな」
「……申し訳、ございません」
「謝るな」
低い声だった。
不思議と、怖くない。
公爵は自分の外套を外し、私の肩へ掛ける。
「行く場所は」
「……ありません」
「なら来い」
「え……?」
彼は私へ手を差し出した。
「お前を捨てた連中に、お前の価値を教えてやる」
雨の中、その手だけが温かく見えた。




