無音の音魔術
鍵を開けた手段が魔術ではないと知ったフォカルは殴られた事には気にせず、爪を噛みながら丸い目でコルを睨みつけた。
「貴様は醜い『過ち』に愚かにも女神の名を与えたのか?なんと忌まわしい、そしてなんと穢らわしい!魔術こそが美しき神秘に満ちた神の愛!そのような腐敗した時代の象徴にはふさわしくない!」
「ちょっと声抑えろよ、誰が来たらどうするんだ」
「いいやその心配は無いらしいぜ」
腹を抑えながらパッケンが立ち上がる。
それに対してフォカルは歪に引きつった笑顔を向けた。
「……先に言っとくぜ、あいつは音を消せる、俺を無音でぶっ飛ばしたのもそれだ」
音に関する魔術と聞いて、コルはカロロの音魔術を思い浮かべた。
言われてみるとカロロの放った音波が亜人狩りを吹き飛ばした光景が、先程のパッケンと重なるのだ。
「無音の音魔術……」
ぶつぶつと魔術に対する崇拝を口から垂れ流しながら、フォカルが少しづつ距離を縮めてくる。
「チッ、じゃあこれならどうよ!」
パッケンが何かを投げつけた。
フォークだ、先程飛ばされた時に拾ったのだろう。
何本ものフォークがフォカルめがけて真っ直ぐに飛んでいく。
しかしフォカルは避けようともしなかった。
「貴様らのような魔術を軽んじる愚者にもわかるように教えてやろう、私の音魔術は『既に』発動してある、身に纏う音の鎧『装音』、私に触れた物を音の波動によって弾き飛ばす」
フォカルの薄皮に当たったフォークが、あらゆる角度に跳ね返り、無音であたりに散らばる。
「本来は常に音を発し続けるのだが、その問題も解決済だ……理屈も知りたいか?」
「聞いても解んないからいらないね!でも俺は知ってるぞ、持続とか回数に制限があるんだろ、どうせ!」
コルは右手を前に向けた。
「ネアリールの掌!」
「……!」
四方に散らばったフォークが再びフォカルに矛先を向け飛びかかる。
そのうちの半分程は先程同様に弾かれ、コルの耳を掠めもしたが、フォカルは半分のフォークを避けるように後ろによろめいた。
(よし、予想通りのいい位置!)
コルにとってフォークは牽制だった。
本命はフォカルを挟んで直線上にある大きな鍋だ。
(あれを引き寄せて後ろから当てる!)
コルの作戦は失敗だった。
ネアリールの掌はまだ新品で、機能の全てを把握できていなかったからだ。
コルが引き寄せようとした鍋はガタガタと震えるだけでその場から離れる気配は無かった。
「重量制限……!?」
「ああ、なんと言うことだ……私は今その未熟さに救われたのか……くくっ……ああなんと愉快、それが貴様の信じた物だ、コルゥー……くくくっ……」
この作戦に自信満々だっただけあって少し顔が赤くなる。
「まあそう恥ずかしがるな、お前さんのその鎧も完璧じゃないのは既にわかってるんだ、こっからは俺達の番だぜ?魔人会のフォカル」
「それは理想か?或いは夢か?」
それはつい1秒前まで笑いを堪えていた男とは思えない程の冷たい表情だった。
怒りや思想の強さ等から見ても底の知れない相手だと理解する。
「貴様らにはもう用がない……音、鎧、反発――」
「パッケン!」
「わかってら!」
その行為が詠唱だと気が付き、急いで止めにかかる。
しかし魔術使いとの戦いに置いて、その一瞬の時間は命取りとなる。
「――喧騒よ……『纏え、装音』」
コルが咄嗟に振りかぶった拳と、パッケンの咄嗟の蹴りが見えない鎧に弾かれる。
「いい連携だ、貴様らが振るうのが美しき魔術なく、文明の埃にまみれたその身である事が残念でならない、故にそれを断つ」
二人が怯んだうちにフォカルはそのまま後ろに飛び退き、次の詠唱を始める。
「音、巡り、空間、天は泣き、人は歌う、その喧騒を、ここでは断ち切る――」
魔術使いを前に怯む事は、そのまま詠唱の時間を与えることを意味するのだ。
「――『静まれ、静寂界』」
その詠唱の終了を最後に、辺りから音が消えた。
パッケンが何か伝えようとしているのが口の動きでわかるが、自分の服がこすれる音すら聞こえない。
「……」
(ヤバい……!また何か詠唱している!止めなきゃ!)
再びネアリールの掌でフォークを飛ばす。
当然ながら音の鎧に弾かれる。
ネアリールの掌での鉄操作はまだ慣れない動きであり、弾かれたフォークを直ぐに動かすことは困難だ。
コルは聞こえもしない長い魔術詠唱を見届けるしかないのかと絶望しかけた瞬間、パッケンが動いた。
いや、既に動いていたのだ。
弾かれたフォークを空中で受け止め、再度投げつけ、そしてそこから押し混む様に蹴り飛ばす。
相変わらず音はしないが相手は今、視覚外から来るパッケンの分厚い革のブーツで詠唱が途切れ、挙句の果てに土がついたと憤怒している事であろう。
「読唇術ってやつ?」
聞こえていないだろうと思いながらも一応聞いてみる。
パッケンは肩をすくめ、首を横に振り、その上でウインクをしてから肩を叩いた。
「……任せとけ、みたいなこと?……ああいや、そっか、この感じか」
パッケンは何か口を動かして頷いた。
普段言葉を使わない理由が特にないので言葉を使っているが、コルはしばしばアイコンタクトで渡り月の三人、主にラニと意思疎通を測ることがある。
極端な話、それの応用だ。
パッケンが飛び散った積み荷の中から鍋を担ぎ、フォカルに投げつける。
短い詠唱で弾き飛ばした鍋でできた死角を縫うように詰め寄り、コルが短くしたカノヒ棒で殴りつける。
(戦いやすい、パッケンってただのトレジャーハンターじゃないのか?妙に戦い慣れてる……というか、『この状況』に慣れているみたいな……)
同様するフォカルは隣の積み荷車両にまで戦線を下げることにした。
時間を与えれば不利になると知った二人は追撃を測るが、フォカルの必死の抵抗に再び間合いを取られてしまった。
そしてフォカルが一息ついた途端、雨風と雷が耳を貫いた。
「なんなのだ貴様らは」
「さあ、俺も今気になったからお前をふんじばった後で聞くよ」
「愚かな文明の傀儡め……!だがこのままでは分が悪い事は認めよう、この体に流れる神秘の真髄、見せてやる」
そう言ったフォカルは詠唱も無しに姿を消した。
「!くそっ、まただ!」
「焦るなコル、上だ、なんだしっかり見てれば目で追えたじゃねえか」
「……!」
上、つまり天井に、フォカルが少しづつ吸い込まれるように染み込んでいく。
「これが私の奥の手!会長にこの任を任された信頼の証!古式魔術が一つ、『浸透』!その魔術書を私は読み!見事適合したのだ!」
「……はぁ、がっかりだぜ、俺が子分から聞いてた話より随分しょぼいじゃねえか、古式魔術ってのは」
「挑発には乗らない、ふふ……さあ、追ってくるなり待ち構えるなりすると良い……」
フォカルは少しづつ天井に溶け込んで行き、完全に一つの大きなシミとなった。
「追うぜ、なんか大層な事を言ってたがわざわざ俺等の耳を聞こえるようにしたって事は染み込んでる間は魔術が使えねえって事だ」
窓を開けると横雨が差し込む。
どうやら音を奪われている間に雨風は更に勢いを増していたようだった。




