17. アリビアの可能性
アルマンド視点
アリビアの国政がひっくり返った。
市民に弾劾された公主は、その勢いに怖気付き自らその地位を退いた。公主を守るはずの役人が原因不明の失踪を遂げ、彼の周りは完全に手薄になっていたのだ。
官邸数十人の護衛で、市民数百人を相手にするわけもなく、彼らはあっさりと白旗をあげる。隠匿していた人身売買も暴かれ、一時は死をも覚悟したであろう。
しかし市民らの手には武器はなく、ただ拳を振り上げて自らの主張を述べただけだ。腐敗した国を作ったのは公主であるが、そこが全て悪いとは思っていない。
無知は罪。貧困に迫られ、取り返しのつかない選択をしたのは紛れもなく自分である。血反吐を吐くような後悔と自戒。純粋なる抗議と新たな選択肢を胸に抱き、官邸へと突撃しただけだったのだ。
かくして無血の勝利を収めた市民たちは、自分たちの師に教えを乞うた。
公主が雲隠れしたため、残された民たちで国を運営しなければならない。
「こういうのはどうかしら?」
群衆の中央で優雅に足を組む女性が一人
本で城壁を築き、木版に判例を並べながら彼女は民の顔を見回す。何倍も希釈したお茶に口をつけ、世間話をするかのように国の建設を話している。
彼女は別に政治家ではない。効率的に物事を運ぶだけではなく、時に遠回り、時にショートカットして話を進めてしまう。
市民らの理解度を確かめながら、市民らの選択を優先して、メリットデメリットを共に考えるスタイルだ。
学があるのならより良い正解をドンと叩き出して欲しいところだが、そういうことは決してしない。あくまでもこの国のあり方を決めるのはこの国の民であるからだ。
建国に力を注ぐ彼らの間に入れる隙などなく、僕は黙って店の外に出た。
彼らの会議場は酒場であるファルフ亭だ。
外に出るとスアードが待っていた。
「ロラは中だよ。まだ時間かかりそう」
「…………」
そう伝えたがスアードはプイッと他所を向いてしまった。この子供は心底ドローレス以外に興味がないのだ。
ドローレスがスアードの保護を申し出た当初、あの時はまだ警戒を解いてはいなかった。彼女が日々世話を焼くたびに、煩わしそうに眉を顰める。あの瞳の意味を僕は正確に読み取っていた。
『気まぐれな偽善で動く貴族様』と嫌悪に色を染め、逆に嘲りすら滲む。
しかし悪意に聡いドローレス。当然スアードの気持ちを受け止めた上で、ドローレスは一切態度を変えなかった。
甘やかしたり、労わるばかりでない、成長に必要な知識教養指導。その行動は確実に母親のそれである。
抱擁も叱責も賞賛も、全てに愛が含まれ、いつしかスアードの心の氷が溶けてしまった。親の愛など知る由もない、子供の心はある意味単純。
一度ぬるま湯に浸かったスアードはそこから抜け出せるわけもなく、あっさりとドローレスへと陥落する。アリビアに着いてから彼女に付かず離れずで。たまに僕のところに来ることもあったが、あれをいい方でドローレスは誤解している。
僕に懐いていると思っているが、実は間違いだ。
その証拠に。
「僕が待っているから、スアードはお家で待ってて」
「……ハ?」
にこやかに話しかけたのに、返ってきたのは憎悪に歪んだ顔だ。
「ワタシ、マッテル。オマエ、キエロ」
「『お前』とか。ロラが聞いたら泣くねー。折角淑女的言葉遣い習ったのに、活かされてないし」
「……シネ」
言葉とともに針の雨が降ってきた。容易く避けると女児は忌々しそうに舌打ちをする。
スアードは僕に嫉妬しているのだ。彼女と親しい僕に、愛情を取られるのではないかと本気で危惧している。その為彼女がいない時は猫かぶりを捨て、針攻撃の嵐である。何度殺されかけたか数え切れない。
しかし所詮子供のやることなので攻撃パターンは単調だ。遊びにもならない。一応僕を庇って三バカが間に入ったりもするのだが、こっちは毎度ご丁寧にくらう。修行不足は目障りだ。迷惑甚だしい。
先日だってアンドレが要らぬ心配をかけてたし。ドローレスの心は僕だけにあって欲しいのに。
あ、そうだ。
「スアード。もっかい攻撃して。今度は逃げないから」
「……ヤダ」
思惑は筒抜けか。
あからさまに嫌そうに眉を顰めると、今度こそそっぽを向いてしまう。何度話しかけてももう答えてくれない。
こうなれば自作自演しかないな、と地面に転がった針を拾う。女児がこちらを見て目を見開くが、もう遅い。束にして肌に突き刺す──前に酒場の扉が開いた。
扉の真ん前にいた僕に取っ手がぶつかり、針を落としてしまった。
「ハール!」
「あら」
ごった返す人の中心にドローレスを見つけ、スアードが駆け寄る。
ハールとは? 美女は首を振ってその呼び名を否定したが。
「オシゴト、オワリマシタカ?」
「もう少しよ。あとは庁舎で片付けるから、途中まで一緒に帰りましょう」
「ハイ!」
無血革命を境に、紛争が絶えたアリビアはどこも平和である。庁舎内で息を殺す生活から解放され、今は各職員自由に住居を構えることができた。住民税や土地税の名目でアリビアに金銭を納め、家を建てる。
税収の使い道をどうするか、予算会議が最も熱い国民の関心事だ。先ほどもドローレスがその会議に混ざり知恵を貸していたところである。
国政に力を注いでいるのは意外にも、女性を代表するシーラである。男にばかり任せてはいられないと、寝食も惜しまず国の立て直しに精を出し、メキメキと頭角を表しつつあるのだ。
ドローレスやカルメンとすっかり仲良くなり、度々女子会という名の会談を行なっている。
「晩御飯は何にしましょうか?」
「ママ ツクルノ ミンナ スキデス」
「うふふ。じゃあ一緒にカレーライスを作りましょう。スアードは玉ねぎを剥いてね」
「ハイ!」
夕日に照らされて仲良く手を繋ぐ母娘のような二人。
美しいその光景を眺めながら、身長よりも数倍に伸び上がったスアードの影を見下ろす。
純粋無垢を着飾ったあの女児が、今回一番の功労者だなんて、一体誰が信じるだろうか。
国民の間では無血革命だと言われているが、実はそれは真っ赤な嘘だ。平和路線に前進させたいがために唱えた、はったりである。
事件のきっかけとなったドローレスの誘拐。その主犯はスアードだった。
自分だけの母が欲しかったスアードはドローレスをおびき寄せ犯行に及ぶが、仲間の認識に相違が生まれた。単純に愛を求めただけの行いだったが、仲間の男たちは彼女の価値を金であると思ったのだ。
安全を担保にタリタンから金銭を引っ張る目的と勘違いし、乱暴を働く。それがスアードの逆鱗に触れた。
男たちはすぐに粛清され、その他の仲間も同様の末路を辿る。スアードにとって、ドローレスに危害を加えかねない男は全員同じに見えたのだろう。
アリビア中に張り巡らされた盗賊団は一夜にして壊滅し、残ったのは公主とその周りの護衛だけである。
人攫いと人身売買を行なっていた盗賊──兼役人はもういない。
圧倒的な戦力不足を悟った公主は身を引き、表向きは無血の戦果を上げたが。
日が沈むにつれ、スアードの影は長くなる。
まるでスアードの中の情愛が膨れ上がっているようにさえ見える。
ドローレスがここまでの展開を見越していたかは不明だ。けれど、何となく感じ取っていたのではないだろうか?
知性派のプリシアと対比して、ドローレスは感覚派だと言う。
理屈を一切抜きにして、着地する場所を嗅ぎ分け、感覚的に行動を選択しているような。
ある意味一番厄介なタイプである。何しろ考えが一切読めない。しかしそれでこそ僕の妃に相応わしい。
膨張する女児の影の隣で、悪女の影も同様に伸びた。




