10. 腹黒アルマンド
アルマンド視点
「私のせいで、貴方の手を汚してしまった。それをずっと謝りたかったの」
言葉を震わせて、ドローレスは話を終えた。
話の中で随分と省略し、触れていない部分を感じたが、これまでのことを思い出すと容易に補填できた。充足できた情報を元にやっと合点がいき、頷く。
ドローレスは名を出さなかったが、「リカルド」の「ロリータ」と話が繋がったのだ。王都内の幼児舎に通っていた彼は常日頃から打たれ弱く、泣き虫であった。鬱陶しくて自分も何度か虐めた。
しかしある日を境に、泣くことが激減する。上機嫌に「将来の伴侶が決まった」と両親に報告をしているのを目にしたことがあった。何となく鼻についてまた虐めてやったが。
しかしその伴侶は一向に王城に姿を現すことなく、年月ばかりが過ぎる。次兄の性格がねじ曲がったのもその頃からだ。
思うに、次兄はロリータと婚姻の約束を結んだが、当のロリータにその認識がなかったのだろう。すれ違いを受け入れられない次兄は気持ちを歪めて、色狂いに身を落とした。
全く滑稽な話である。
唇に弧を描くと、空気を感じ取ったドローレスが首を傾げる。気丈に振る舞っているが、僕の反応に怯えている気配を感じた。
彼女は大きく思い違いしているが、僕は聖人でも、聖女でも、天使でもない。出会った当初はそう思わせた方が懐に入り易かったから。人好きそうな人格を形成しただけだ。
あのアルマ像のせいで彼女が心を痛めているのなら誤解を解かなければ。僕への好意が薄まる可能性はあるが、そこに迷いはない。
「ロラの気持ちは嬉しいけど、要らない心配だよ」
「?」
「僕は君が思っている以上に腹黒いんだ。でなければわざわざ一緒に捕まったりしない。……言っている意味、わかるよね?」
そう言うと、彼女の目が瞬時に揺らぐ。
僕の戦闘能力、隠密能力をドローレスは知っている。戦闘の訓練すら受けていない野盗ごとき、僕の敵ではない。ではなぜ、あえて制裁を受け、痛々しい姿を彼女の目に晒したのか。
僕を避け続ける彼女に、関心を引かせたかったからに他ならない。互いに逃げられない状況下ならば話をせざる得ないだろう。展開の中で罪悪感を抱いてくれたら儲けもの。僕だけを心に焼き付けろ。
そう考える程度には腹黒いのだ。だからそんな昔話、気にする必要はない。
「君の件がなくても、僕は暗部に足を突っ込んでたよ。アンドレにも聞いたけど、君が悔やんでるはそこだよね」
「でも」
「そんなことより、むしろ君が僕をどう思ってるのか。そっちが気になる。僕の仕事を知って、嫌になったかな」
「……いいえ」
力なく首を振って否定を唱える。「だって、結局は国を守るためじゃない」と、小さく呟かれ、愛おしさが込み上げた。
頬を染め、睫毛を震わせ、僕へと視線を流した。その色っぽい仕草に目が離せない。
「結婚して、ロラ」
思わず口から出た言葉に、ドローレスは薄く笑う。
「貴方、まだそれを言うの」
「了承をもらうまで言い続けるよ。僕の隣に立つのは君だけだ」
「私はプリシアを推すわ。彼女なら良い国母になるでしょう」
「……やはり、あの口紅は君たちの罠か」
彼女は否定したが、聞き流した。あの晩の一件から僕たちの関係がおかしくなった。ぬるま湯の中で育まれた恋人同士の時間。幸せな生活に急に現実の波が押し寄せた。
嘘偽りが剥ぎ取られ、僕の元からドローレスが去っていく。こんなに簡単にいなくなるなんてずるい。
「……え?」
「大丈夫、痛くしないから」
音もなく互いの手足を解放する。捕まっていたのはあくまでポーズだ。
動揺する彼女の服の下に手のひらを潜り込ませ、下着の紐を解く。重力に伴って落ち、ドローレスが慌てる。
「な、なにッ?」
「言ったでしょ、腹黒いって。了承を早くもらうために、することは一つだ」
「!」
「絶対に逃さない。覚悟してね」
暗い感情をたっぷり含めて笑うと、ドローレスは怯え……ると思ったんだけど。
僕を見て、考えるようにして眉を寄せた。着々と服を脱がせ、肌を重ねる準備を整えているのに、そこに無頓着である。
思えば彼女は裸族だ。裸の一つや二つ、別に恥ずかしくもないのだろう。
ちょっと拍子抜けしながら、正面から膝の上に乗せると、やっと彼女は僕と目を合わせた。
「貴方はアルマと違うのよね?」
「あっちは演技だよ。ロラが好むと思ったからそうしただけ」
「なら、こういうのも平気よね」
美しく笑みを浮かべた女神は、僕の腫れた頬に顔を寄せる。柔らかな唇が触れて、思わず喉から悲鳴が溢れた。
慌てて取り繕うと、女神が楽しそうに笑う。うっわ、可愛い。
間抜け顔が僕の顔面に憑依して、そっとドローレスが両手を添える。
顔から火が吹き出した。
「ちょちょちょちょちょちょちょっと、待ったぁッッ!」
「何かしら」
「な、何って。エッ、いや、待って。まだ心の準備がッ」
「私より貴方の方が凄いことしているように思えるのだけれど。今更純情ぶっても」
「それとこれとは話が違うしッ! だってロラから口にって初めてじゃん?! 待って、宮廷画家を同席させないとッ。後世に残したい! 仕切り直しッ!」
息も絶え絶え。心臓が破裂しかねない動悸を感じながら、慌てて服を着せる。
全てのボタンを留め終えると、目の前の女神が堪えきれずに吹き出した。あまりにも楽しそうに笑うので呆気に取られたが、すぐに揶揄われたのだとわかり呆然とする。
この僕を手のひらで転がすとか、マジか。
いや、令嬢であった時のドローレスはいつもこんな感じであった。
「ありがとう。なんだか気持ちの整理ができたわ」
「え」
朗らかに笑うドローレスに目が釘付け。あー、可愛いよー。
おっと、いかんいかん。可愛すぎて思考が停止する。
「都合のいい話だけれど、私も貴方が好き」
そしてあっさりと言われた言葉を聞き逃した。桜色をした唇が色気たっぷりに微笑む。
待って、今惚けていたからもう一回。人生二回目の遺憾の意である。
「今まで待たせてしまってごめんなさいね。もう悩まないわ」
「え、え、え」
「こんな私だけど、よろしくお願いします。私も貴方をそのまま受け入れるわ」
「ん、んんッ?!」
こんな間抜け全開な告白劇などあるだろうか。
もっとロマンチックに、恋愛小説に載るような、砂糖菓子を堪能するような、甘い甘い告白をドローレスにするはずだったのに。
僕は始終、顎の力が抜けた間抜け面で。殴られたせいでは決してない。
心臓の音がうるさすぎて、まともな返答ができない。
全てを吹っ切ったドローレスは、余裕の笑みを浮かべたのだった。




