ボチボチでんな
〔サァーーーーーーーーーーーッ〕
いつもの丘の上、賢太の頬をいつもの霊界の風が通り過ぎていく。
「・・・・・・。」
賢太は何か憑き物が落ちたような清んだ表情をしている。
「・・・・・・あのアホゥ・・・。」
賢太は上体を起こして、霊界の中心に目を向けた。
その目線の先には霊界の中心部である大江戸庁がそびえ立っている。
「・・・・・・。」
天幕の中で向かい合うのは賢太と善朗。
ここは霊界のとある場所。
周りには賢太と善朗以外誰もいなかった。
善朗は大前を持たずに素手で賢太と向き合っている。
「ええか、善朗・・・手加減なんてするんや無いでっ。」
賢太は臨戦体勢を取って、今にも善朗に襲い掛からんとしている。
善朗は大嶽丸との闘いを密かに見ていた賢太とその後約束を交わし、今こうして対峙している。
賢太は百鬼夜行に善朗が現れた事で、薄々どうなるのかを予想していた。
これがライバルと拳を交える《《最期》》と思い、真剣に向き合っている。
「・・・うんっ。」
善朗もまた、賢太の思いに答えるべく向き合う。
いつの間にか善朗の手には、『大前ではない刀』が握られていた。
いよいよ勝負が始まる。
激突する賢太と善朗。
勝負は火を見るよりも明らか。
神を越えた善朗に敵うモノはこの世には存在しないかもしれない。
それでも、賢太は挑まずにはいられない。
追いかけた背中にどれほど追いついたのか?
どれほど引き離されて、果たして追いつけるのか?
善朗は出し惜しみをしなかった。
真剣に向かってくる賢太に答えるように『黒刀』を放ち、それを看破した賢太に『無刀』を透かさず放ち、賢太の意識を断った。
「賢太、大丈夫?」
賢太の耳に善朗の柔らかい声が届く。
いつから善朗は賢太を呼び捨てにするようになったのか?
それはそれとして、善朗に名を呼ばれるのは賢太としては心地よかった。
今まで、荒んできた名が、善朗に呼ばれる度に穏やかに耳に伝わってくる。
「アホゥ・・・少しは手加減せぇや・・・空気読めんやっちゃでっ。」
賢太が目を開けて、上体を起こし、善朗を視界に入れ、悪態をついた。
「えっ・・・あっ・・・ごめん・・・。」
善朗は賢太の冗談に未だに振り回されている。
「アホかっ・・・冗談やろうがっ・・・気持ちいいぐらいにノビとったわっ。」
賢太は清々しいまでにおだやかな笑顔を善朗に向ける。
「ははっ。」
善朗も賢太の冗談に苦笑いで返す。
「・・・もう、行くんか?」
賢太は笑顔を真剣な表情に変えて、善朗にそう尋ねる。
「・・・・・・。」
善朗は笑顔だけを向けて、それを答えにした。
善朗が『転生する』というのを賢太が知ったのはついさっきだった。
賢太は善朗が神となり、高天原に昇るとばかり思っていた。
しかし、ツクヨミとの交換条件の話を聞いて、賢太の中の何かが淀んだ。
賢太は善朗ほど優しい人間ではない。
それは生前、喧嘩で相手にナイフで刺されて、ここに来た人間だからこその直感というか感覚だったのだろう。そういう世界に身をおいていたからこそ、賢太の何かの淀みが、次第に熱を帯びていった。
それでも、健やかな善朗の笑顔を曇らせるような無粋な真似は賢太はしなかった。
賢太の様子を見終えて、善朗が一人去ろうとする。
「・・・・・・善朗、忘れとらんやろうな?」
不意に賢太が立ち上がって、善朗に尋ねる。
「えっ?」
善朗は不意の賢太の問いに驚いた。
賢太は肩をすぼめて、気を取り直して、善朗に言い直す。
「・・・・・・調子はどないや?」
賢太は笑顔を善朗に向ける。
善朗は賢太の言葉にハッとして、笑顔になる。
善朗の頭にはスカイツリーで大嶽丸と戦う前に賢太に教えてもらった言葉が蘇った。そして、善朗は満を持して、満面の笑みで恥ずかしそうにこう答えた。
「ボチボチでんな」