神として、どう至るのか?人として、どう向き合うのか?
〔ホーーーーホケキョッ・・・ケキョケキョケキョッ・・・〕
なだらかに雲が空を流れる。
善朗の頬に雲を穏やかに流す風が吹きぬけた。
耳には、ウグイスの高い音程が届く。
「・・・・・・。」
善朗は全てを終えて、ゆっくりとした時間を見知らぬ赤い瓦ブキの屋根の上で、ただただその時間をかみ締めるように空を目的なしに眺めていた。
「・・・善朗、いるのでしょう?」
少し高いが穏やかで優しい女性の声が下の方から聞こえてくる。
〔フワッ〕
善朗は重力すらも自在に操るように、それがさも自然なように屋根を優しく蹴ると、しゃぼんが空中からフワリと地面に落ちるように緩やかな軌道を描いて、白を基調にした枯山水の庭に降り立った。
「ッ?!」
善朗がフワリと屋根上から姿を現すと、それを見たスサノオが驚く。
〔スゥーーーッ・・・。〕
アマテラスの後方の部屋から静かにフスマを開け、部屋から出てきたのは、ツクヨミ。
善朗は地上に降り立つと、アマテラスに丁寧に頭を下げて、スッとアマテラスを視界の正面に収めた。
「・・・大儀でした、善朗。」
アマテラスはにこやかな微笑みを善朗に向けて、百鬼夜行を終えた善朗を労った。
「いえ・・・ツクヨミ様が地上に降りる許可を下さったからです。」
善朗は大仕事を終えて、風格が変わったのか。ツクヨミを立てるように自分を下に置いた。
「善朗殿・・・まずはお疲れ様でした。事を急かせるつもりはありません・・・まずは、御緩りとおやすみなさい。」
ツクヨミはアマテラスの後方に陣取ると、そう善朗に優しい労いの言葉を送った。
「・・・大変ありがたいお言葉ですが・・・早々にお約束を果たしたいと思います。」
善朗はツクヨミに向き直り、深く頭を下げて、そう願い出る。
「そうですか・・・貴方がそう言うのであれば・・・こちらとしては、そういう形でご協力いたします。」
ツクヨミは一切表情を変えずに、そう善朗に対応した。
すると、善朗とツクヨミの会話に割って入るように、アマテラスが少し前に出る。
「善朗・・・もし、考えが変わるのであれば・・・私の《《傍に》》居てはくれませんか?」
「ッ?!」
アマテラスがニコニコとそう善朗に提案する。
周囲はその言葉に度肝を抜かれた。もちろん、一番驚いたのは、
「姉上ッ!・・・いえ、大神・・・そのようなわがままはっ。」
ツクヨミがアマテラスの言葉に初めて慌てる姿を見せて、撤回させようとした。が、その行動をスッと左手を上げて制するアマテラス。
ツクヨミはアマテラスの制止に、口を閉じざるを得なかった。
そして、アマテラスはツクヨミを黙らせると、再度笑顔を善朗に向ける。
「・・・善朗・・・貴方が私の傍で尽くしてくれるのであれば、これほど心強いことはございません。《《転生》》という考えはこちら側の提案ではありますが・・・考え直す気はございませんか?」
アマテラスもまた、表情を変えずに、そうにこやかに穏やかに善朗に接する。
「・・・・・・。」
善朗は言葉には出さない。ただ、ゆっくりと首を横に振り、アマテラスに頭を下げた。
「・・・・・・そうですか。ですが、私は貴方が選んだ道を誇りに思います・・・善朗、今まで、この世界に尽くしてくれて・・・ありがとう。」
アマテラスはそう言葉を残すと、ゆっくりとスサノオとツクヨミをつれて、廊下の奥に姿を消して行った。
「驚いたよ善朗君・・・君はもう自在にこの世界のどこへでも飛べるんだね。」
ナナシが善朗に近付き、にこやかにそう尋ねた。
アマテラス達が去って、この枯山水の庭に居るのは善朗と死神ナナシだけとなった。
「・・・・・・どうなんでしょう・・・大嶽丸を倒して、もうやる事がなくなったので、約束を守りに行かないとって思ったら、気付いたら、そこの屋根の上で空を見上げてたんです。」
善朗がナナシの方を向かずに、たったいま自分が降りてきた屋根を指差して、虚空に視線を送る。
ナナシは善朗に視線を合わせる様に上を向き、肩を並べるように前に進む。
「・・・本当にお疲れ様でした・・・これまで、随分と君に助けられてしまった。」
ナナシは善朗と同じように虚空を見詰めながら、これまでの事を改めて善朗に感謝した。
「・・・俺がやりたいって、自分で思って行動した事なんで・・・全部が全部うまくはいきませんでしたけど・・・誰かにお礼を言われるようなたいした事はしてません。」
善朗は虚空から視線をナナシの横顔に向け、ニコリと微笑む。
「君は私の想像など容易に越えていきました・・・私の計りなど、ちっぽけなものでした。私の長い時間の中で、君のような人間は多からず居ましたが、君はそんな誰よりも誇りに思える魂の持ち主ですよ。」
ナナシは自分の実に長い長い時間を振り返って、善朗を讃えた。
「・・・・・・お願いできますか?」
善朗は暫しナナシと視線を合わせた後、口を開き言葉を伝える。
「・・・・・・。」
ナナシは黙って、善朗をエスコートする。
その時がきた。
善朗は現世への干渉を交換条件にツクヨミから提案された二つの案の内、一つを選んだ。
それは、『神の力を全て捨て、転生する』という事だった。
もう一つの提案は『高天原に昇り、神としてアマテラスに仕える』というモノだった。しかし、善朗はあくまでも人と関わり合う事を選び、神としてではなく、また人として、人の世界で生きる事を選んだ。世界を変えうる絶対的な力を得ながら、善朗は迷わず、それを捨てる事を選んだ。
善朗とナナシはどこかへと歩んでいく。
その先はきっと善朗の願いを叶える場所であることは間違いなかった。
アマテラスが提案した『私の傍で』というのは、ツクヨミの提案したモノよりもずっと重いものではあったが、それでも善朗の心は動かなかった。
『神は人の世に干渉してはならない』
その一つが、善朗の思いを堅くした。
善朗の頭には、あの少年少女たちの笑顔が今もずっと刻まれている。
善朗が力を持ちながらうまく行かなかった過去。
結果的には、あの子達は救われる形にはなったが、それは最低限の救いでしかない。善朗は関わったからこそ、最低限でも救う事ができたことに胸を撫で下ろせた。それが、何よりも善朗自身を救ったのだった。
善朗とナナシは光の中へと姿を溶けさせていく。
しかし、善朗の脇にはいつもそこにあるはずの大前の姿はなかった。