第157話 善湖善朗
「・・・・・・。」
ツクヨミはいつものお茶を飲む部屋にて、正座をして、いい玉露茶の入った湯飲みを両手で静かに持ち、目を閉じて何かを考えていた。
ここは高天原。
善朗がツクヨミとの交換条件を飲み、現世へと再び舞い降りた後、ツクヨミは部屋で一人、考えに更け込んでいる。
「ツゥちゃんっ・・・何か悩み事?」
優しい聞き覚えのある女性の声が、ツクヨミの耳に届く。
ツクヨミは未だ目を閉じたまま、口を開いた。
「・・・姉上・・・その呼び方はやめて下さいと何度もお願いしておりますが?」
ツクヨミは少し左眉を上げると、聞き分けのない姉に対して、再度注文した。
「はいはい・・・分かりました、ツクヨミ殿・・・。」
ツクヨミの姉であるアマテラスは静かにツクヨミの傍まで近付き、ゆっくりと腰を下ろす。
「・・・姉上・・・時代が変わります。」
ツクヨミは隣に来たアマテラスにそう、一言伝えた。
「・・・そう。」
アマテラスの口調は変わらない。明るく軽い口調で、短く返答する。
アマテラスの返答に思わず、目を開けるツクヨミ。
「・・・時代が変わりますが、秩序の有り様は変わりはいたしません・・・ご安心下さい。」
ツクヨミはアマテラスの横顔をジッと見て、しっかりとした言葉と口調でそう話す。
「・・・善朗君の未来は、未だ貴方に見えるの?」
アマテラスはツクヨミの話に興味を示さず、はぐらかす様に善朗の事を尋ねた。
「・・・・・・。」
ツクヨミはアマテラスの問いに沈黙する。
「・・・そう。」
アマテラスは先ほどとなんら変わらないトーンで、短く相槌を打つ。
ツクヨミは姿勢を正して、アマテラスの顔を見直す。
「最早、善湖善朗の未来は霞がかかり、私ですら見通すことは出来ません・・・そして、大嶽丸の未来もまた、霞がかかりました・・・。」
ツクヨミはアマテラスに何一つ隠さず、誠実にそう告げる。
ツクヨミは高天原、八百万の神々の中でも、全てを見通す神眼を持っているとされる未来視ができる八百万髄一の能力を持っていた。神は元来、人の未来や行く末をある程度見通し、助言したりする事がある。ツクヨミはその未来視をより鮮明にできたのだ。しかし、対象が神になると、ツクヨミですら完全に見通す事が出来なくなる。
ツクヨミが神を高天原に縛り付ける大きな理由がここにあった。
未来が見通せるからこそ、見えなくなった時の恐怖や不安がツクヨミには人一倍のしかかる。だからこそ、ツクヨミの守りたい『アマテラスを中心とした秩序』において、見通せない不安分子は目の届く所に留めて、管理する必要があったのだった。
善朗は神に近付き、ツクヨミでは未来を見通せなくなった。善朗がアマテラスに刃を向けるとは誰しも到底思えはしないが、それでもツクヨミは不安を完全に排除する為に、善朗の管理にこだわった。
しかし、ここに来て、大嶽丸もまた神の領域に入り、ツクヨミの管理から外れようとしていた。ツクヨミは対大嶽丸の対処について、善朗が敗れ去った後の対応を思案していたのだった。
「・・・ツクヨミ・・・あまり、考えを固めては駄目よ・・・我々は常に対等で助け合っていく事が大切なのです・・・私が今、この立場にいるのは、必然ではありませんよ?」
アマテラスは悩める可愛い弟に柔らかい優しい笑顔を向ける。
ツクヨミはその笑顔を直視できない。
「・・・姉上は上に立つべき神でございます・・・この秩序は幾星霜も平和を保ってまいりました・・・保守的といわれようとも、今ある平和が続く事を願う事がなぜ、罪となりましょう?」
ツクヨミは視線を姉から外した後に、再び視線を戻して、力強くそう自分の考えを守るべき姉に話す。
アマテラスはツクヨミの言葉を最後までキッチリ聞いてから、ニコリと微笑み、立ち上がる。
「・・・善朗殿の心配はいりません・・・あの子はきっと憂いを全て取り払ってくれましょう・・・・・・ツクヨミ・・・貴方のその不安も全て背負って・・・。」
アマテラスはゆっくりとツクヨミに背を向けて、そう言葉を残していく。
「・・・・・・。」
ツクヨミは一人部屋に残されて、再び目を閉じ、一人の世界に戻っていった。
「・・・姉上はアモうございますな・・・おはぎの様にございます・・・。」
ツクヨミの瞑想する部屋から出てきたアマテラスにそう声をかけたのは、高天原に似つかわしくない大男だった。
「あらあら、ノオちゃんっ・・・わざわざ来てくれたのねっ。」
アマテラスは無骨な大男のスサノオを見ても、驚きもせずに笑顔を振りまく。
「・・・姉上、心配はいりません・・・善朗という者が倒れたのなら、ワシが言って、鬼を小突いてきますゆえ・・・。」
スサノオはそういって、拳に息を吹き掛けておどけた。
「・・・まったく、貴方もツクヨミも心配しすぎですよ?」
アマテラスはスサノオの言葉に少し頬を膨らませて、反論する。
「・・・善朗という小僧はそんなに頼もしいのですかな?」
スサノオはアマテラスの機嫌を取るように軽い口調でそう尋ね直した。
「・・・・・・私達の大事な娘が想う・・・大事な御仁ですもの・・・鬼なんかに遅れを取るなどありえません・・・。」
アマテラスは虚空に目をやり、優しい眼差しを向ける。
「ふっ・・・なるほど・・・姉上がそう言うのであれば、これほど頼もしいことはございませんなっ。」
スサノオはアマテラスの言葉に鼻をくすぐられて、そう返答する。
そんな二人が話していると、二人の目の前に広がる枯山水の庭に一人の男の姿が現れる。
「・・・ナナシ・・・。」
アマテラスが優しくその者の名を口にした。
ナナシは静かにシルクハットを取り、深々と大神アマテラスに礼節を尽くした。
「・・・《《成長する神》》など・・・決してあってはならない・・・決して・・・。」
ツクヨミが一人残された部屋で、冷めたお茶を抱きながら誰に話すでもなく、そう静かにつぶやく。そのツクヨミの目には、冷静なツクヨミには似つかわしくない小さな焔を宿していた。