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プロローグ

「お前みてぇな化け物が、アルカディアの王子に愛してもらえると思ったら大間違いだからな! 血筋を何より重んじるアルカディア王家にとっちゃ、お前らなんざ忌まわしい化け物でしかねぇんだよ!」


 人間の賊たちは、魔王の国マギナへ侵入し、魔族の少女から角を切り落として売りさばこうとしていた。叩きのめされ、地に這いつくばった男がなおも喚き散らす。その眼前に、ゼーレは無表情のまま剣先を突きつけていた。賊の大きな荷袋からは、魔族の角がこれでもかというほど転がり出ている。


「角が魔族にとって、どれほど大切なものか……あなた方はご存じなのですか?」

「知ってるに決まってんだろ! だから金になるんじゃねぇか! すぐにお前のご立派な角も切り落としてやるよ。そう焦んなって、嬢ちゃん。ついでに人間様にご奉仕でもして、その身体も俺ら人間様が可愛がってやるからよ。へへっ!」


 ゼーレは小さく息を吐いた。誰もが反応する間もなく、賊の両手が地面に転がった。悲鳴を上げる男を一瞥することもなく、「あとは任せたわ」と傍らの騎士に告げながら、彼女は震える少女の頭をそっと撫でた。


「人間って、みんなこんなに怖いの……? 姫様」

「いいえ、そんなことありませんよ。人間にも素敵な方はたーくさんいらっしゃいますわ。たとえば、わたくしの愛しい憧れの王子様!」


 少女を慰めるつもりだったのに、愛しい王子様のことを思い浮かべた途端、ゼーレの胸はときめきでいっぱいになった。頬を赤く染め、両手で包み込むようにしてうっとりするゼーレを、少女はぽかんと口を開けて見つめていた。


 風になびく深紅の髪。頬に傷を負うことも厭わず、剣を振るう姫。その口から、これほど子供じみた純情な言葉がこぼれるようになったのは、今より少しばかり時を遡った、幼い頃のことだった——


 魔族と人間は、違うところこそ多いものの、決して大きく異なる存在ではない。

 

 神の姿に似せて造られたとされる人間と同じく、大地の民である魔族もまた、ほとんど同じ姿形をしている。角があるという違いこそあれど、それは魔力を蓄えるための、古より受け継がれてきた器にすぎなかった。


 長い歴史の中で、かつて大地の強者たちを一掃した古の魔族も、魔王を除けば、その力はわずかなものとなっていた。戦いに用いるには心許ないほどに。人間を喰らうこともなければ、好んで争いを起こすわけでもない。むしろ、温厚で争いを好まない魔族や魔物のほうが、いつしか多くなっていた。


 それでも、人間たちはよく知らぬ魔族を恐れ、魔族たちもまた、そんな人間を遠ざけてきた。長い年月をかけて積み重なった誤解と偏見は、そう簡単に消えるものではなかった。


 そんな中、魔物たちの国マギナを治める魔王は、人間の世界に強い興味を抱いていた。

 

 人間の文化や知識を積極的に学び、互いの違いを知ることで、種族の隔たりを少しずつでも埋めようとしたのだ。魔王は折に触れて人間の国々との交流を深め、両種族が手を取り合える未来に、わずかながらも期待を寄せていた。


 そうした『努力』が実を結び、魔王はついに、各国の王族が集う万国祭へ招かれるようになった。表向きは国境を越えた縁を結び、互いの文化に触れ、長く閉ざされてきた扉を開くための宴。しかし、その水面下では、各国の王侯貴族が互いの国力や軍事力を探り合う場でもあった。


 魔王の長女ゼーレが、夢にまで見た王子、アーサー・ソレイユ=アルカディアに出会ったのも、そんな宴の席だった。

 

 もっとも、出会ったといっても、言葉を交わしたわけではない。ただ遠くから姿を見ただけ。それだけで、ゼーレの人生は大きく変わってしまった。


 遥か南方に位置する大国の宮廷。その大広間は、色とりどりの礼服と華やかな装飾に彩られていた。高い天井から吊るされたシャンデリアには無数の灯りが揺れ、磨き上げられた床には光が踊る。各国の王侯貴族が集い、楽団の奏でる音楽に合わせて、あちこちで談笑の声が弾んでいた。


 ゼーレはというと、父である魔王の隣で、先ほどから落ち着きなく辺りを見回していた。


「お父様、あちらのお料理は何ですか? 見たことのないものばかりです! あっ、あちらの方、とっても背が高いですわ! 人間の国にも、いろいろな方がいらっしゃるのですね!」

「こら、ゼーレ。ここはお姫様らしく、落ち着いて振る舞いなさい」

「はい! 気をつけます!」


 返事だけは立派だった。

 

 魔王譲りの深い赤色をした長い髪は、彼女の動きに合わせてぴょこぴょこと揺れ、頭の両側から伸びる大きく黒い角も、好奇心に呼応するように動いていた。初めて見る衣装、初めて耳にする言葉、初めて嗅ぐ料理の香り。興味を引かれるものが多すぎて、とてもじっとしてなどいられなかった。


 そんな娘を見下ろし、魔王は苦笑した。


「ははっ、ゼーレは本当に楽しそうだな。連れてきた甲斐があったよ」

「だって、こんなにたくさんの人間の方々がいらっしゃるのですよ! せっかくですもの、皆様とお話ししてみたいです!」

「いいじゃないか。相手が人間だろうと魔族だろうと、話してみなきゃわからないことだってある。角がどうとか、種族がどうとか、そんなことばかり気にしていたら、せっかくの出会いがもったいないだろう?」

「もちろんです! わたくし、もう立派な王女ですもの!」


 胸を張るゼーレに、魔王は楽しそうに笑った。


 明るく、好奇心旺盛で、物怖じしない。そんな娘の性格を、魔王は好ましく思っていた。魔王が人間の世界から持ち帰った書物を読み、人間の国々の話を聞くたび、彼女の胸には、いつか自分の目で見てみたいという思いが膨らんでいた。だからこそ、この宴を心待ちにしていたのだ。


 しばらくすると、広間の大きな扉から新たな一団が姿を現した。周囲の視線が、一斉にそちらへと集まっていく――世界最大級の国のひとつ、アルカディア王国の王族だった。


 先頭を歩く国王と王妃に続き、数人の随行者が堂々と入場する。その中に、ひときわ目を引く少年がいた。


 すらりと伸びた背筋に、流れるような足取り。華やかな礼装を身にまとい、誰かに呼び止められれば足を止め、相手の目を見て、穏やかに微笑みながら一礼する。年若いながらも、その振る舞いには王族としての品格が備わっていた。幼いゼーレにも、それはすぐにわかった。


 王族や貴族が集う華やかな場で、少年は決して大げさな振る舞いをしなかった。声を張り上げることも、己の存在を誇示することもない。すべてを淡々と、そつなくこなしていく。その落ち着き払った姿に、不思議と目が離せなくなった。


 ゼーレは、手にしていたクッキーを取り落としてしまった。


「……あ」


 胸の奥が、どくん、と跳ねた。


 美しいプラチナブロンドの髪に、整った顔立ちによく似合う、涼やかな水色の瞳。すっと通った鼻筋に、気品を漂わせる口元。幼きゼーレの心は、まるでキューピッドの矢に射抜かれたかのようだった。


 好みなどという言葉では足りない。いつか物語の中で出会えるのではないかと夢見ていた、王子様そのものだった。白馬に乗っていたなら、まさしく物語に登場する夢の王子様そのものだと、ゼーレは目を輝かせた。


「お父様……」

「どうした、ゼーレ」

「あの方は、どなたですか?」


 ゼーレは少年を指さしかけ、慌てて手を引っ込めた。王女たるもの、宴の席で無作法をしてはならない。そう教わってきたばかりだった。それでも、視線だけはどうしても彼から離れなかった。


「ああ、アルカディア王国の第二王子、アーサー殿だよ。ソレイユの名を持つ王子だ」

「アーサー……様」


 目を輝かせた少女は、その名を口にしただけで、胸の奥がくすぐったくなった。


 その視線の先では、アーサーが両親から離れ、ひとりで招待客に順番に挨拶をしていた。相手の話に耳を傾け、ときおり小さく頷き、礼儀正しく微笑む。その仕草のひとつひとつが、年の近いゼーレには、どれほど立派なことなのかよくわかった。


 なんて素敵な方なのだろう。

 

 もっと近くで見てみたい。

 声を聞いてみたい。

 できることなら、一言だけでも話してみたい。


 気がつけば、ゼーレは父の袖をぎゅっと握っていた。


「お父様、わたくし、あの方とお話ししてみたいです!」

「アーサー殿と?」

「はい! どのようなお話をなさるのでしょう? お好きな食べ物は何でしょう? ご趣味は? お好きな本は? あっ、こちらのお料理を召し上がったことはあるのかしら!」

「おいおい、初対面からそんなに質問攻めにするつもりかい?」

「だって、気になるのですもの!」


 頬を赤らめながらも、ゼーレは頬を膨らませた。


 生まれて初めてだった。幼きゼーレが、誰かのことをこんなにも知りたいと思ったのは。なのに、浮き立つ心とは裏腹に、アーサーとの距離は一向に縮まらなかった。


 宴の間、ゼーレは何度も彼の姿を目で追った。彼がこちらを向いたような気がすれば、慌てて背筋を伸ばし、王女らしい微笑みを浮かべる。目が合うかもしれないと思うたび、心臓が跳ね、頬が熱くなった。


 しかし、アーサーはゼーレに一瞥もくれなかった。


 正確には、たとえアーサーの視界にゼーレが入っていたとしても、彼が彼女と向き合い、目を合わせてくれることはなかった。


 幼きゼーレは、この頃まだ知らなかった。人間の中には、魔族の角を恐ろしいものだと思う者が大勢いることを。魔族と人間が同じ広間で笑い合うことさえ、快く思わない者がいることを。


 そして、アーサーもまた、そんな人間たちの一人だった。


 それでも、幼いゼーレには関係なかった。目が合わなくても。話せなくても。自分の存在に気づいてもらえなくても。彼が微笑めば嬉しかった。彼が歩けば、その姿を追いかけたくなった。


 宴が終わりに近づいた頃、ゼーレは父の隣で、最後までアーサーの姿を探していた。やがて音楽が止み、参加者たちは続々と広間を後にしていった。


 とうとう、一度も言葉を交わせなかった。


 ゼーレはしょんぼりと肩を落とした。けれど、すぐに顔を上げると、ぎゅっと両手を握りしめた。


「……決めましたわ!」

「おっ、どうした?」

「わたくし、いつかアーサー様とお話しします! たくさん、たくさんお話しして、あの方のことをいっぱい知りたいです!」


 その勢いに、魔王は目を丸くしたあと、愉快そうに笑った。


「いいねぇ、その意気だ。次に会うときは、アーサー殿がゼーレを放っておけなくなるくらい、素敵な王女になっておいで」

「はい!」


 ゼーレは満面の笑みで頷いた。


 その日、彼女は恋に落ちた。まだ名前を呼ぶことしかできない、遠い遠い恋だった。幼い王女は知らなかった。その恋が、いつか彼女の人生を大きく変えることを。


 そして、いつの日か、憧れの王子から告げられる言葉が――「人(・)間(・)し(・)か(・)愛(・)せ(・)な(・)い(・)」。


 そのひと言が、彼女の恋路にどれほど険しい茨の道をもたらすことになるのか、夢にも思っていなかった。

新連載!開始!

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